追悼 堤清二



10代の頃、としまえんのポスターはかっこいいと思っていた。
「アール・ヴィヴァン」はとてもかっこいい美術雑誌で、ド・ステイルの特集、
アルテ・ポーヴェラの特集、ウィトゲンシュタインの建築特集などを持っていた。
18歳のとき、つかしんホールでゼルダのライブを見た。
25歳のとき、つかしんホールで映写技師のバイトをしていた。
20歳の時、渋谷のWAVEでサワラギノイのシュミレーショ二ズム
と808ステイトのOPTICALを買った。
25歳のあたりのとき、シネ・ヴィアン六本木でソクーロフの映画を見た。
同じく六本木WAVEで高橋悠治SPKのCDを買った。33歳あたりか、
セゾン・アート・プログラム刊行の『絵画の準備を!』の最初版を買った。
読んだ。20代前半、シネ・セゾン関連の映画を数多く見た。
『五月のミル』『コックと泥棒。その妻と愛人たち』とか。ルイ・マルグリーナウェイ
いつだったか中上健次原作、柳町光男監督の「火まつり」もセゾンプロデュースだと知った。
5年ほど前、辻井喬茨木のり子の対談を読んだ。
読売新聞の夕刊で連載していた「叙情と闘争」は辻井喬名義の連載だった。
2年前、映画作家エイゼンシュテンと、エイゼンシュテイン・シネクラブに興味があったが、そこには堤清二の名が連ねてあった。



スポーツ観戦とかの興味は絶無なので、清二の弟が最初に主催した西武ライオンズについてはまったく知らない。



そして堤清二辻井喬が死んだ。父、康二郎の生まれは滋賀県近江八幡、ということは、火中/渦中の人、猪瀬直樹の著作で知った。クロソフスキー画集はなくしたままだ。合掌。





合掌。