音楽ノート 1

imagon2009-10-19












キンクスの「ローラ」



最近、キンクスの「ローラ」をよく聴いている。「ローラ」、もう一度発音してみよう、「キンクスのローラ」。なんと美しい響きだろう。「ローラ」という響きも美しいが、それが「キンクス」という鋭利な響きと相まって、さらに美しさに輪をかけている。「キンクスのローラ」、僕にとってはこの語音からして、それ自体が音楽であるにちがいない。(その曲名を知った時、ピーター・ポール&マリーの「WHERE HAVE ALL THE FLOWERS GONE ?」(1962)のようなメロウな曲を想像していたのだが、全然ちがっていた。)



キンクスに関しては少しばかり思い入れがある。20世紀の暮れ方だったろうか、京都にあったミニシアター、それが何年の何月何日だったかは正確には忘れてしまったが、スペース・ベンゲットでたった一度だけヴェンダースの『サマーイン・ザ・シティ』(1969)が上映された。(ベンゲットという名前は川島雄三監督の『わが街』という映画に出てくる「ベンゲット通り」から取られていた)。ヴィム・ヴェンダースの『サマー・イン・ザ・シティ』、このタイトルはラヴィン・スプーンフルの名曲(1966)から取られている。マテリアルはドイツ文化センター所蔵のモノクロームの16mmフィルムで、俳優たちからやや距離をとったストイックなミディアムショットが目に心地よかった。あとになって知ったのだが、この映画は「キンクスに捧ぐ」というサブタイトルがつけられていたと言う。僕がよく覚えているのは登場人物の部屋だったろうか、テレビモニターを映した画面でキンクスの「デイズ」が流れていたシーンだ。真正面から撮られたフレーム・イン・フレームの映像だった。僕はその時「動くキンクス」を初めて見たのだった。



「サマーイン・ザ・シティ」の上映から遡ること7、8年前の話。とある先輩がいた。音楽に造詣がふかく、好きなバンドや曲について語るとなると、ゆうに1、2時間は経っていた。先輩は喫茶店でアルバイトをしており、大学の授業がない時など、たまに一人でふらっと寄っていた。そして、なぜ、僕がキンクスに思い入れがあるかと言うと、(まあ、若い時にありがちだが)フェイバリットソングをまとめたカセットテープを一方的にその先輩にもらっていたからだった。(わからないけど、気に入られていたのだと思う。)



古典的なロックではタートルズヤードバーズ、80年代初頭のネオ・アコースティックのペイル・ファウンテンズやローン・ジャスティス、ハウス・マーティンズ。そしてなぜかジャズのジャコ・パストリアスセロニアス・モンクバド・パウエル。どういうわけか、クラッシックではモーツァルトの「フィガロの結婚」からヒンデミットの「画家マティス」(ゴダールも『ヌーヴェルバーグ』(1990)でこの曲を使っている)。このテープの最後2曲はキンクスの「デイズ」と「オータム・アルマナック」だった。「デイズ」は「日々よ、ありがとう」、こんな単純な歌詞で始まる、とてもいい曲だった。大学の諸事で忙しくなっていたのだろうか、いつしかその喫茶店には足が向かなくなった。数年後のある日、久しぶりに店に立ち寄ったところ、先輩が急にゆくえをくらました、と喫茶店のマスターが僕に告げた。理由はわからない。そして、心の欠落を埋め合わせるようにカセットテープを聴きつづけた。淡い関係だったし、音楽以外のことでは、何を話したかはもう忘れてしまった。カセットテープ交換だけの関係だったかも知れない、と今になって思う。



キンクスの「ローラ」は名曲だ。もともとレイ・デイヴィスの甘い湿った声とデイブ・デイヴィスの嗄れ乾いた声のアンサンブルがキンクスの魅力だが、レイの声色が変幻自在となっている「ローラ」においては、シニカルさとポジティヴさ、コミカルさとシリアスさが見事に同居している。「ローラ」のシングルヒットについてレイは次のようなコメントを残している。「ローラは実在の人物で、とてもいい友人なんだ。実はダンサーでね。でもローラが男か女かは教えないよ。あの曲はジョークだけど、ほんとのことなんだ。友情には男も女も関係ないだろう?だからあの曲をつくったんだ。」(『ザ・キンクス〜ひねくれ者たちの肖像』マーク・ローガン/原題は『THE KINKS THE SOUND & FURY』1984)。ちなみに「ローラ」は当時、「服装倒錯者」の歌だとメディアに騒がれ、レイが表紙を飾った音楽雑誌の見出しは次のようなものだった。「性転換の記録(レコード)・・・今、キンク(変態)が証言!」



1994年の「 TO THE BONE 」以降、キンクスはアルバムを発表していないようだ。レイ・デイヴィスは今、どこで何をしているのか。急に姿をくらました先輩も。