IMAGON 4

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美術ノート 22

 

 

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■坂田一男展   東京ステーションギャラリー

 

 

六本木であったニキ・ド・サンファール展の射撃絵画からこの美術ノートをつけていない。そのあいだ上野でのデュシャン、府中での長谷川利行、木田金次郎、竹橋での熊谷守一、国立新美でのボナール、などなどに足を運んだ。ジョージ・ブクラーの「時のかたち」も刊行された。

 

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坂田一男は宇フォーラム美術館ではじめて知った。そこにでは岡山前衛美術協会(AGO)の記録写真を見ることができた。

 

 

抽象も具象も概念として成立していない時代時期から、しかし、〈観念としては〉「抽象」はあった。「具象」という対概念は常に「具体」や「具」や「実」としてあった。

 

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昨年の12月末に東京ステーションギャラリーから予約注文しておいたカタログが届いたのでパラパラと。表紙カバーが表紙を超えてるのは表紙カバーの手触りが凝っているからで、もし両眼がー見えなくなってもこのカタログは手触りで認識できるようになっている。

 

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あらためて思ったのは、人類史が獲得した「抽象画」という事件についてであり、人類はなぜ、こんな素晴らしくも馬鹿馬鹿しい、「抽象画を描く行為」を獲得し得たのだろうか?ということだった。キュビズムダダイズム、シュルレアリズムからアメリカ抽象表現主義を経て「ひたすら難解で訳の分からない絵画」もまた臨界点を迎えている(と、たやすく錯覚できるような)現在、坂田一男こそがその第一世代、いわば大祖父にあたるのだ、ということを強調しておきたい。

 

 

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アンナ・カリーナが死んだ

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アンナ・カリーナが死んだ、ということをスマートフォンに頼みもしないのに届けられるニュースで知り、しばし途方に暮れていた。女優は女神に先行すべきである、とかあるいはその逆、女神こそ女優に先行すべきだ、とか、われながら答えのない、答えようのない 問いが霧のように頭上を覆っている16年ほどだったが、アンナ・カリーナの女神性は女優としての人生を閉じた今から各所で再検証されて欲しい。

 

もちろん多くの人がそうだと思うが1960年代、監督ゴダールにとってのミューズ(女神)でありながらもアクトレス(女優)であったカリーナの時代の映画を何回も何回も何回も観てのことで、スクリーンに投影されたカリーナの像、テレビ画面に映されたカリーナの像、脳内で再生されたカリーナの像、が幾度となく(東京にうんざりするほどいる女優ちっくな女にオーヴァーラップされながら)反復され、それは個的な現象ではあったが、こういう小品を私に作らせたりもした。(ほんの1年前のこと)。https://youtu.be/c_Fnm6YFFIMhttps://youtu.be/c_Fnm6YFFIM

 

その後、たまに、たーーんまに行くキャバレークラブ(キャバクラ)のお姫様やデリヘル嬢などをいくどとなくオレのミューズに仕立てあげようとするも散々に失敗し、(オレってやっぱりゲイなのd?かな?)と悩みもした、というのは嘘で別段悩みもなく、「べつにどっちでもいいんじゃね?」と、しかし、正直今は筋骨隆々の刺青腕の男に抱かれたい・・(笑・・だれとは言いませんが)。ことは確かだ。

 

最後にこの曲を。ゴダールの映画から「女の殺意」を読み取る時、必ず君の頭に鳴っていていてくれ。

青い便所でファックを!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

https://youtu.be/-Htpzvmnfww

(映像がジャマなので目をつむって聴いた方がいい、そして歌い方はビミョーにブリっててダサいことに気づく)

新・映画ノート 18

夜の訪問者
テレンス・ヤング
1970
DVD

 

 

イギリス映画かと思いこんでいたが仏伊合作。全編くすんだ色調でハイコントラストのコダックアメリカ色をあらかじめ脱色してある。砂塵、土埃の自然な感じを出すならFUJIFILMの方がいいのかも。

 

 

チャールズ・ブロンソンの半袖の黒Tシャツ、その袖から伸びる腕が異様に素晴らしい、と、前半そればかり見て恍惚としていた。


ブロンソンの顔貌特徴はやはり口髭で、知ってる人なら晩年の中上健次とそっくりだ、と誰しも指摘したくなるだろう。

 


ウーマン・リブ」に似ているリブ・ウルマンも派手な女優ではなく、終生ベルイマンのパートナーだったことに、妙に納得する。

 

 

ストーリーは明瞭だし、テンポよく事が進んでゆくが、初期007で慣らしたテレンス・ヤングの小粋なスマート殺人の演出が効いている。荒くれ暴力殺人ではなくスマート殺人をキメるというのは逆のスペクタクルをもたらす。緊張感の持続。


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荒野のガンマン
サム・ペキンパー
1961
DVD


白人男性のヘテロセクシュアルな女性支配をなんとか反転しようという動きがある。モーリン・オハラはブルーのリボンで後ろ髪をしばったり、ほどいたり、で女性化↔男性化(というよりも女性の中の男性化↔女性化?)の往復。それはさりげない演出だ。そしてロングドレスにライフル銃。このスタイルも随所に見られる。

 

 

大昔セルのヴィデオカセットで見た、「我谷は緑なりき」(ジョン・フォード)もオハラ助演で地味にいい映画だったが、現在では機能しづらくなっている単一の家族物語がまだ信じられていた時代だ(と分かって見ている)からか。

 

 

引きの画面がやたらに多く、バストショットはあるがクロースアップが厳密に言ってひとつもない。押し引きのない画面構成なので必然、感情移入度が縮減される。

 

 

アメリカ人にとっての西部劇とは日本人にとっての時代劇であり共通しているのは馬の登場である。

 

 

スタンダードサイズとは馬一匹がすっぽり収まるサイズとして有名だが、それを数匹横並びにするとシネマスコープサイズのフレームの美学的意義が強調されているように思える、という錯覚。ちなみに主演のブライアン・キースは1997年に拳銃で自殺している。

 

 


アルジェの戦い
ジッロ・ポンテコルヴォ
1966
DVD

 

 

サルトル、ファノン、ジュネなんかを集中的に読書したことある人ならグッとくる作品かもしれない。100年以上続いたフランスによる植民地だったアルジェリア、その中心部アルジェを中心に独立戦争が起こり、ついに独立を果たすまでの流れを(FLN アルジェリア独立解放戦線の運動プロセスを軸に)ドキュメンタリー風に撮った(一応の)劇映画(と思いたい)。

 

 

1966年ヴェネツィア映画祭でフランス映画関係者の怒りを買ってみんな会場を出ていったらしい。ただ一人残ったのはトリュフォーだけ…という逸話も残っている。全員アマチュアの役者であるにもかかわらず金獅子賞をとっている。

 

 

ジャック・リヴェットがポンテコルヴォの「カポ」というアウシュビッツを描いた映画の中で用いたトラベリングショットを批判していて、

 

 

日本美術は、なぜ旧石器時代を…

「エッジ」つうのは大昔からあって、それはひとまず日本ではおよそ3000年前の旧石器時代のブレード(今で言う包丁、ナイフ)に措定できるだろう。原料は黒曜石(オブシディアン)で主要産地は長野の和田峠だった。黒曜石は今で言う貨幣のように交換材、交易材となっていた。

 

 

教科書的には美術というのは縄文土器(火焔模様の)から始まって、ついで土偶、埴輪、、弥生式土器なんかに続くが、旧石器時代のモノは射程に入っていないのは、なぜか?という問いの再浮上、、一般的な「美術」概念の絶対性とは?

 

 

黒曜石はフツーに美しいと思うんだがなあ。しかし人為的とはいえ、テキトーにかち割ってブレード状に出来上がった偶然的形状なので、むしろブーレーズ〜ケージ的な高級芸術パラダイムにあてはめておきたくもなる。

 

 

まあしかし「黒曜石=包丁、ナイフ」のパラダイムから「鉄=包丁、ナイフ」への移行期になにがあったのか? 鉄生成の現場、、それはたたら師によるたたら製鉄の職人の集まりであり、その囲い込みになるのか。東京では日野市にたたら製鉄(小規模)の遺構があるらしい。

 

 

「1970大阪万博太陽の塔岡本太郎=縄文」からそれを反復してはならないし、必要ないという理由からパラダイムシフトすべきな提案として、「2025大阪万博旧石器時代」というテーマ系はどうか? どうか?と言われてもな。

 

(以上9月1,2日、Twitterより転載)

 

 

 

新・映画ノート17

以下はTwitterよりの転送。だいたい2019年6月あたりに記述。

 

 

 

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イングランド・イズ・マイン 

マーク・ギル

2018

渋谷シネ・クイント

 

◼️イングランド イズ マイン 〜モリッシー、始まりの物語  @渋谷シネ・クイント    ムーア殺人事件はマンチェスターで実際起こった事件で、サファー・リトル・チルドレンという名曲の歌詞素材になっているんだけど、その曲が結局鳴らず、ミート・イズ・マーダーっぽいリフをマー役が弾く、

 

◼️のは納得できずで、かえってイライラ、、スミス前身バンドといっていいのか、ノースリーブスがラッシュホーム・ラフィアンズの原型曲をやっていたのにはイライラはしないが、特に感激もしない、、ロングショット完全抜きの閉塞感表現は意図見えすぎて逆に白ける、、よかったのはモリッシーのガーフレ

 

◼️関係のバリエーションで、リディア・ランチ風の女子が良かった、、女装嗜好、ニューヨーク・ドールズファンクラブ会長表現が皆無だったのは残念といえば残念、、次はどこかでいつかあるだろうマザコン映画祭で見てみたい、、あと、映画見てて顔が痒くなるのはなぜか?それはホコリが原因?

 

 

 

 

 

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溺れるナイフ

山戸有希

2016

Google Play Movie

 

◼️ストリーミング配信で 溺れるナイフ。監督は山戸有希。もっと観念的な映画かと思いきやわかりやすい青春ドラマ。あいみょんブームの前に撮られた作品だが、主演の女子があいみょんぽい反時代的な顔。(目が離れている)。

 

◼️コウ君は主人公で、前半の動きがとても軽やか。神の使いなので白装束みたいな私服が多く、「じゃ」と「やんけ」を語尾にもってくる関西弁が心地よい。この田舎の土地に残る、という腹のくくり方が清々しい。

 

◼️結局、田舎から東京に出て成功したいだけのナツミはさまざまなシャーマニックな呪いにかかっている。(ペディキュアを塗るという都会的な行為を田舎でもやるので)。が、立ち直れないほどの深傷を負うこともなく、恋愛で逡巡しながらも仕事をこなす。

 

◼️映画がどうしても開放感へ向かう。盛り上げ効果音楽多すぎで、逆に効果を弱くしている。が、演出的にはコウの開放的な動きの連続で見せきってしまうため、この先あるだろうアリストテレスカタルシスを避け、ベルクソン的エラン・ヴィタルを突き進む。

 

◼️そのクライマックスが火まつりの踊りだが、配分的に長い。カット数も多く、緩急づけもなされているが、緩で導入されるバッティングセンターのシーンが秀逸のフィックスショット。

 

◼️あと椿の花の用い方はうまい。落ちぶれてもなお、足元飾る椿かな、、、これはナツミのペディキュアに対応されていて、またそのためにウキグモの神を祟る結果となり、なりすましレイプ犯との再開を呼びつけてしまう。

 

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火まつり 柳町光男監督 80年代  をなんとなく思い出すが、劇中、 the mods の激しい雨が をバックに竹の子族の真似みたいに若者が和歌山の片田舎で踊るシーンがあるが、溺れるナイフでは 吉幾三の オラは東京へ行くだ がカラオケスナックで熱唱される。

 

◼️もっとあれこれ書きたいところだが、日本映画女流監督では、西川美和よりも河瀬直美(ともに全部は見てないけど)よりも相対的にはいい監督だと思いました。原作の溺れるナイフ作者のジォージ朝倉って男性なんですか?女性なんですか?調べればすぐわかるんだろけど。

 

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けど、物語っつってもどうせフィクション、虚構、作り話、なんだから 極端に作っていいと思うんだがね、極端な不幸、絶望、悲惨、の設定が甘けりゃ、逆の多幸感、全能感、絶対的肯定の描写もヌルくなるのよね。溺れるナイフは(おそらく)監督の自己投影の部分が強くて、作り話に委ねきれてないっつう

 

 

 

 

 

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フィッツカルド

ヴェルナー・ヘルツォーク

1982

GooglePlay Movie

 

◼️ストリーミング配信 ヘルツォークの フィッツカラルド 1982 西ドイツ。クラウス・キンスキーの存在感にまず打たれるが、(とにかく顔のデティールが特異)それはパートナーのクラウディア・カルディナーレの整った端正な顔立ちとの対比からか。

 

◼️アマゾンの密林地にオペラハウスを建造するための資金づくりとして製氷技術やゴム製造に乗り出す男がクラウス・キンスキーで、取り憑かれたように事をすすめていくのが前半3分の1。(しか見ていない)。こないだ読んだバラードの奇跡の大河(小説)被るところありで、個人的には好みの冒険譚。

 

◼️画調がすばらしく、とくに室内シーンではカラヴァッジョの絵画とはいいすぎだけど、レンブラントの絵画色調に近い。ようは明暗比のコントラストが物質ディテールの精細さを際立たせており、たとえばクラウディアの着る凝りに凝ったレース編みの生地やレイヤー(重ね着の多層性)はいったいどうなってん

 

◼️だか?という服の細部へと注視を促す。またアンバー系の色がやや赤みがかっているように見え、暖かさが支配している。

 

◼️屋外シーンでも画調すばらしく、奥行きのある緑の中、より少ない数の白人とより多いアマゾンの原住民の肌の色の対比がこれまたマネの絵を間接的に想起させる。…カメラワークというか構図づくりもベタにはならず絶妙かつ正確で単純に美しい。

 

◼️フィッツカラルド つづき1時間ほど見たけど、近代化のベースとなった植民地主義のリアルな描写に見えてくる。一攫千金狙いの山師クラウス・キンスキーがアマゾン未開民族集団を見事に手なづけてゆく…が、一人死んで、一夜にして全員に逃げられる。未開対ヨーロッパの野蛮。しかけるのはヨーロッパだ

 

◼️フィッツカラルド続き。いつのまにかオペラハウス建築の夢が船体移動の実現化に矮小化されている。が、船体移動成功時に蓄音機からオペラが流れ、なぜか戻ってきたアマゾン原住民は声楽隊として組織され、船上で合唱していたりする。入植者と原住民という構図は守られているが、軋轢はない。

 

◼️川aと川bの接近地帯でいかにして船体をaからbに移動させるかという計画が全体の主シーンとなっていて、技術−発展の成果を細部に渡って見せているところが物語外的に突出していてたと思える。

 

◼️ヘルツォークを知る前に、種村季弘の著書でカスパー・ハウザーのものがあって、それと映画カスパー・ハウザーの謎がリンクしたのだったなあ。VHSカセットの時代だ。ずいぶん見たつもりだったけど、まだまだ未見多し

 

 

 

 

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ホーリー・モーターズ

レオス・カラックス

2012

GooglePlay Movie

 

◼️これからホーリー・モーターズ観る気力なく、万願寺とうがらしの天ぷらに思いはせる

 

◼️さすがパリのホームレスはお洒落やのう〜、という皮肉は成立すると思うが、当のパリ人にとってはそんなことは当然すぎる自明なのかもしれない、と、カラックスのホーリー・モーターズを最初40分ほど。

 

◼️初見だがこんなにも不気味なもの−物自体に迫っているとは。ドニの自在身体こそがマイブリッジ時代の運動連続写真を反復するのに適しているのだと宣告しているかのごとくドニの身体は柔軟剤入り。顔だけが老け込んだイギー・ポップのようでそのチグハグさがまた奇妙にして不気味。またはフリーキー。

 

 

■まあカラックスは早くデビューしたくてしたくて仕方がない、というタイプで、それはサント・ヴーブ、ボードレール以降のイデオロギーと化しているんだろけど、実際20代で35mmの長編撮っていて、早熟早熟と言われてたような気がするが、

 

 

◼️早熟の労苦というか、その後何したらええのん?というというもがき方の精錬過程で出てきた一本ではあると思う。ただ、HOLY 聖なる という冠はポンヌフでビノシュ演じた半盲目から始まっていて、

 

 

◼️「汚れた血」のラヴァンがボウイのモダンラブで疾走するあのシーンのアレンジというか、「おんなじことやってるわ」というシーンもありで、たんに微笑ましくもあるが、もともとあんまり知的じゃないぽい人なんでそれ以上のアレはないが、まー、たんに先日見たヘルツォークの方が素材の刳り方がよかった

 

 

2019夏 帰省日記6

🔷8月15日 執筆現在、今は昔ではなく、今は今、すでに山手線で品川〜渋谷の道中、台風の影響は今のところありませぬ。

さきほどTweetしたが新幹線のトータルデザインとメタボリズム期のデザインは連続しているのではないか? 新陳代謝という意味ではない、表面的なそれ。

🔷渋谷で台風予兆の豪雨に合う。10月に引っ越す(予定)なのでゴミポイ計画を立てようとしている。ゴミいっぱい捨てて身軽になりてえ。蕎麦に豆入っとるがな〜。


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🔷1日ズレた。↓は昨日14日の日記。墓参り済ませたあと、これも恒例というよりも惰性中の惰性で行っている大学時のサークル映像研究会の呑み会。誰も店選びに興味ないので惰性で入っている店へ。が盆休みだったので並びにある店を選択。えっ!こんな店あったけっ!というくらい地味な存在だったが、とってもリズナでよい店。



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これは待ち合わせの茶店。ハンキーポッキーだが、クッキーパッキーだか、そんな名前だった。アイカのサンダルが物珍しかったので思わず写。


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↑顔認識機能をためしたところ認識フレームちゃんと2つでてきました。


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惰性のメンバー、アイカ&ツッチー。


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惰性ではないメンバー、中野。永遠のニューウェイヴにして少年野球のコーチ。娘はTWICE聞いてるらしい。会うのは久々で、前回は東京で飲んだくれた。あとファエがくる予定だったがもろもろでキャンセル。残念どえーす。

 


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お店前で。いろいろ話しましたが、だいたいエロ話と音楽話に終始。松任谷由実はシティポップだけど竹内まりやは微妙か、という難しい話も…


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家族ありの中野は帰宅、次に三人でカラオケ。アイカがコスプレ衣装したがっていたところを(やめとけ)と引き止め、部屋へ。まったく次次俺俺予約の入らないまったりしたものでしたが、最後はアイカがハウ・スーン・イズ・ナウ?で、白狐に憑依して意味不明に盛り上がる。


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覚えている限りでは 相対性理論戸川純、スミス、TWICE、ストロベリー・スウィッチ・ブレイド、などがオンエア。あとツッチー(元サイケアウツ)が今のシティポップってどんな?というので(多分東京でサチモス以上にめちゃ流行っている)ナルバリッチ(かヌルバリッチ)の曲をオンエア。ちなみにツッチーはジャスティン・ティンバーレイクのCD全部持っているらしい。
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あとツッチーやBODIL、そして前嫁が出ている自作の聖怠慢学院(1994)という8mm映画をVHSに落としたやつ(テレシネではなくスクリーンを撮した)をもらって帰る。以上でお開き。

 

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そんなわけで6日間つづきました帰省日記は終了します。お墓参りの他、飲み食いだけして何も考えずに帰る。という狙いは実現されたようです。(京アニ焼跡撮影は途中で気が変わりやめました)。あと自分はネット予約というやつが不得手なのですがこれを克服したいなあ、という気づきがありました。ではまた!

 


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2019夏 帰省日記5

🔷8月14日

現在15時09分。阪急桂駅を降りてガラガラの送迎バスに乗り、京都霊園へお墓参りに向かうところです。晴れたり降ったり、移りげな天気のなか、すでに台風の兆しが訪れています。そんでキーーンと二日酔い、三日酔いの頭痛。死にそうです。
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巨大な敷地の京都霊園へ。あやふやだった墓位置も回を重ねるたびにすんなり行けるようになった。毎年入り口で冷たい緑茶をいただくけど、ここの緑茶おいしい。


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いつもながらの墓。周りの要らん草をひっこぬき、水を上からダーっと柄杓でかけ、タオルでさっと拭き、掃除する過程。…爺さんは自分が2歳あたりのころ逝去しててそれまでは北区で出版社を創業して、書道関係の書物、教材(初期の計算ドリルや漢字ドリル)を出版、販売していた。かすかな記憶として、あの紙の匂いに囲まれて幼少期をすごしたことは覚えいる。字のうまい書の先生に頼み込んで一筆書いてもらい、それらを編纂していた、と父は言っていた。



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晩は旧友と呑み。シンスケはずっと地元にいるので地元の変化推移に詳しい。まあたいした変化はないんだけど。あと親の老い、甥っ子がどうのこの、姪っ子がどうのこの、という話題が多くなってきたなあと思う。ここは去年も入った店で小奇麗、清潔、日本酒品揃え良し。店長−料理人が職人気質。(写楽は呑めなかったけど)。値段のついてないのたのんだらけっこう高く付く、というありがちな和割烹。灰皿がよかったですね!
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二軒目。ちょっとしたバースナックっぽい店。二人とも酔っ払っていて、かまわずいちげんで入ったが、迎え入れられる。女将が白着物で深入りしたらヤバそうな美形おばさん。壁が墓石のような灰色でぞっとする半端といえば半端な東郷青児的モダン空間。寿命削られ系(笑)だがそれもまた良し。味付けはそこそこ。

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三軒目。鮭雑炊だけ食って帰る。よーわからん。覚えてない。
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