日本美術は、なぜ旧石器時代を…

「エッジ」つうのは大昔からあって、それはひとまず日本ではおよそ3000年前の旧石器時代のブレード(今で言う包丁、ナイフ)に措定できるだろう。原料は黒曜石(オブシディアン)で主要産地は長野の和田峠だった。黒曜石は今で言う貨幣のように交換材、交易材となっていた。

 

 

教科書的には美術というのは縄文土器(火焔模様の)から始まって、ついで土偶、埴輪、、弥生式土器なんかに続くが、旧石器時代のモノは射程に入っていないのは、なぜか?という問いの再浮上、、一般的な「美術」概念の絶対性とは?

 

 

黒曜石はフツーに美しいと思うんだがなあ。しかし人為的とはいえ、テキトーにかち割ってブレード状に出来上がった偶然的形状なので、むしろブーレーズ〜ケージ的な高級芸術パラダイムにあてはめておきたくもなる。

 

 

まあしかし「黒曜石=包丁、ナイフ」のパラダイムから「鉄=包丁、ナイフ」への移行期になにがあったのか? 鉄生成の現場、、それはたたら師によるたたら製鉄の職人の集まりであり、その囲い込みになるのか。東京では日野市にたたら製鉄(小規模)の遺構があるらしい。

 

 

「1970大阪万博太陽の塔岡本太郎=縄文」からそれを反復してはならないし、必要ないという理由からパラダイムシフトすべきな提案として、「2025大阪万博旧石器時代」というテーマ系はどうか? どうか?と言われてもな。

 

(以上9月1,2日、Twitterより転載)