BALL&CHAIN 15






■分散和音、アルペジオ




蟻の群れに一撃を加えると、いったん蟻はバラバラに散逸する。ところが、まもなくして蟻たちは速やかに群れをなす。群れをなすこと・・・集団性に仮にも本質というものがあるならば、集団は集団であることの記憶保存をすでにして要求している、ということか。分散和音は和音の微分的アレンジメントだが、総合化する(再びコード化する)という動きをその音の連続体(プロセス)に傾向として充填してゆく。









■ピュア・リーズン









「I like COLA・・・」・・いったいぜんたい何が起こったというのだろう?「好き、嫌い」を廃絶するためには「・・・はこう作用した」あるいは「・・・はこう機能した」と言えばいい。「コーラは、こうわたしに機能した、コーラはわたしにへばりついたのだ。」「磁石のN極がS極に作用したことがわたしに作用した、なぜならそれらはくっついたのだから。くっついたことがわたしにくっついたのだから」。などなど。だからといって、N極はS極が好きだ。という言い方はできない。なぜならN極が主体なのか、S極が主体なのかは容易に判明することができないからだ。しかしながら驚くべきことに、「N極がS極が好きだという事態が私は好きだ。」という言い方はできる。・・・主語の作用は驚くべきものであり、文学の立面と映画の立面を繋げる大規模な<政治/文法機械>でもあった。「好き嫌い」のさらなる廃絶ヘ向けて。または機能性、作用性の純粋抽出。「好き、嫌い」を言わせるのはピュア・リーズン(純粋理性・・カント)であるばかりか、それへの批判を作動させるモア・ピュア・リーズンでもあった。今日はここまで。