■47−2



■47−2  最近のYOUTUBE上で惚れた女 ベスト3 その2





みなさまこんにちは。良い天気がつづいています。とても良いことだと思いますし、こういった天気の日には悪いことが起こる確率は減るものと思われます。でも、自他共に調子に乗らないのが肝要でしょう。花見の際も、・・・たとえバカ騒ぎを起しても、どこかでクールネスを保つべきでしょう。さて、今日はトレーシー・ウルマンの「彼らは知らない」です。まず、繰り返しになりますが、前回の■47−1のテキストにおいて、やはり何度読み返してみても重要だという箇所、前半部を色機能を使ってブルーにしておきました。はじめてこのウェブログを読む方は、もういちど、■47−1のブルーの部分から読み直してください。




このヴィデオ・クリップは、1983年のイギリスで制作されました。監督は・・・わかりません。しかし、トレーシーは、1983年以前からテレビ・ショウにおけるコメディエンヌとして活躍していましたので、そういった業界の人が指揮をとって制作したのだと推測することが可能です。





「彼らは知らない」は47−1で述べたニュー・オーダーの「完全なる接吻」よりも、いくらかフィクション映画的です。ニュー・オーダーのものが、1幕ものだとするとこれは2幕ものです。ここには人間生活における二面性、言い換えると、「本当はこういうことを願っているんだが、どうも現実的にはこうだ・・・」というような、誰もがもっているだろう理想主義の中断が描かれています。トレーシーは、のちにロバート・アルトマンの映画『プレタポルテ』に出演するくらいの、脇役女優として鳴らした人物でもあるので、要するに「演技をする」ということにおいては、慣れっこです。まずはつけぼくろです。つけぼくろは18世紀のパリの貴族社会で大流行したのですが、それは誰が一番肌が白いかを競うためです。貴族には大いに暇があったのですが、美に関しては大いに多忙だったのです。トレーシーのほくろは「あなた、それはちょっとやりすぎじゃないの?」というくらいの目立つものですが、コメディエンヌですからこのくらいでいいのです。これが冒頭に知らされます。そして、女の子らしく着飾って、ポールという男性とボウリング場に行くのですが、・・・・そこで、うんざりします。なぜならポールという男はボウリングが下手くそだからです。そしてダンスシーンが盛り込まれるのですが、結局トレーシーの心の内は、「ダメな男と付き合っているよりも、女の子同士で踊っているほうが楽しいわ」ということです。・・・そしてトレーシーはその後どうなるのでしょうか?・・・スーパーマーケットに行って、子供を買い物籠にいれて、買い物をしています。トレーシーはすでにギャル(笑)からおばさんに移行しています。それは手入れのしていないあの前髪のたれ具合、ノーメークの所帯じみた表情の演出から導き出されることです。・・・ピンクのふわふわしたスリッパは家で履いているもので、これがトレーシーの現実なのです。そのままスーパーマーケットまで来てしまうほどの、・・・なんというかダレた生活者なのです。最後に出てくるポール・マッカートニーは・・・わけがわかりません。ここまでの文脈(映像脈・・イマイジナリーライン)から言うと、トレーシーが以前つきあっていた男性がポールという名前だっためか、その未練の片鱗のためか、別のポールとつきあったが、あまりにもボウリングが下手くそだったので別れてしまい、そして、なんというか・・・あまりパッとしない生活を送っているうちに、・・・、でも、ポール・マッカートニーとドライヴに行くことになりました!・・ということなのでしょうか。でも、こじつけていうと、結果的には、トレーシーは実体的な男性ポールではなく、ポールという名前に執着しているのです。・・・どこかの父親が・・・女の子が生まれたが・・・名前は●●子よりも●●美がのほうが絶対によい・・・・というこだわりと似ている何かです。以上がクリップのあらすじです。言うまでもなく強調されているのは、ギャル的なトレーシーとおばさん的なトレーシーのコントラストです。これが二幕物ということです。全体的には、表情はおおいに作られていても、関西の<非−レトリックの領域で笑わす>芸人を見ているように楽しめるもので、決して不愉快なものではありません。




もうひとつ。この曲のリリックは、映像で見たものと乖離しています。相関関係がある、とは言いがたい曖昧さを残しています。・・・歌詞には・楽しみにしていたデートの日・・あいつのボウリングの玉は外れた、そして、わたしの玉は見事にピンを倒した。・・・直後、なぜか私はボウリングの玉を私の股の間にくぐらせたのだけれど・・・とか、ピンクのスリッパを履いたまま出てきてしまった、どうしよう?・・・とかはまったくありません。というよりも、歌詞には固有名詞がひとつもでてきません。私はあなたのことが好きで好きでたまらないけど、・・・いっぱい敵がいそうで・・でもがんばるわ。そんなこと気にしないわ。というもので、いくらか観念的なものなのです。・・・リリックは各自調査してみてください。そして、この乖離に関しては誰も文句をいわないでしょう。




結局のところ、私がこのヴィデオクリップに惚れたのは・・トレーシーに惚れたのはなんでしょうか?それはやはりコメディエンヌとしての才能です。面白い女性というのは、いくらか女を捨てているところがあります。これは男の見方ですが、わたしは男なので、それなりの視点があるということです。それでは今日はこのあたりで終わります。次回は最終回、レベッカの「愛は現ナマ」です。それでは。