■ ランダムノーツ 6
「ミュージックマガジン」でボアダムズの特集をしている。懐古も含めていろいろ思うところがあった。まず、「相対的なところでフワフワやる」んじゃなくて、「絶対的な差異を導入しえた」いう意味では90年代初頭における国内の音楽シーンで突出した存在だったように思う。けど、どこかヴィジュアル先行、パフォーマンス先行みたいなところがあって、音楽性云々というレベルではボアダムズはなかなかうまいこと語られていなかったように思う。
ボアダムズのリーダー(?)である山塚アイという人は、僕が高校の頃、京都の三条大橋の上で演説のようなパフォーマンスをしていて、何回か見かけたことがあった。(そのころはハナタラシというバンドをやっていた)。その格好もすごく変だった。足のぐるりに何につかうのかよくわからないホイールやタイヤみたいなゴムを巻き付けて、拡声器でわけのわからない言葉が断続的に繰り返される。それは一種のショック作用とでもいうべき何かで、わけのわからないものに遭遇した時の「ときめき」みたいなものを感じてもいたし、やたらに開放的なものに遭遇した時の爽快感を感じたりもしていた。(僕の友人はあれはナチスの演説のパクリだよ、とか言っていた・・今になって思うとイタリア未来派とかダダイズムの経由で捉えるのが全うだとは思う・・)。
通っていた桃山高校には放送部に妙にませた音楽オタクがいて、昼休みの時にスロッピング・グリッスルや天皇(「NOISE」というアルバムがある)やバットホールサーファーズや、ハッピーフラワーズやらの、マイナーなジャンク/ノイズ音楽をピストルズやクラッシュやデッド・ケネディーズやドクターフィールグッドなどに時折挿入されて流れていた時期があった。それを聴きながら、お弁当とか食べている女子生徒とかいたわけで、今思えば、相当変な高校だった。テクノポップが古くさいものになり、90年代のチャラいギターポップ(マンチェスターブームとか)が出現するちょうど中間にあたる。「夕やけニャンニャン」の松本小雪が全国の小僧にむかってチャーミングな笑顔を振りまいていた時代だ。
さて、ミュージックマガジンの誌面によると77台のドラムを螺旋状に並べて演奏する「ボアドラムズ」を7月7日にやったらしい。そのイヴェント報告を含むインタビューが掲載されていたが、首をかしげた。山塚アイが「みんなで龍になろう」とかお客さんに向かって言うなんて、当時と比べると「退行」しているとしか思えない。「前衛」が「象徴主義」に回収される。音楽が象徴を好むという短絡には辟易とする。ちょっと腰が痛い。(2010-07-29)