ランダムノーツ 5



■ランダムノーツ 5







・「言文一致」。ここで「一致」という単語に着目してみると、それが一種の透明な伝達に関わっていることが了解できる。そして、「言」(言われること)と「文」(書かれること)の乖離が両者の特性(同一性)を強化し、言語の準拠枠(言語伝達が着地すべきフレーム)の自律性を保証していたと言える。




・例えばAさんとBさんが同じリンゴを見ながらそのリンゴを写生しているとして、AさんとBさんが同じリンゴを見ているという確証は、実のところどこにもない。なぜならAさんとBさんが写生するリンゴは違ったリンゴになるからである。違ったリンゴの写生が結果として二つできあがることになる。よって、AさんとBさんは違うリンゴを見ていたということになる。「模範的写生」とは、「AさんよりもBさんの方がより写生として優れている」という根拠をどこに求め、その根拠をいかにして正当化するかという(共同体内での)思弁的技術(レトリックといってもよい)に関わっている。こうして絵は感性の対象からはなれ、理性の対象となる。////この問題は「自分の今見ている赤が他人が今見ている赤と同じなのかどうか」というヴィトゲンシュタイン的問題に接続できそうだが、「写生」という概念の基底にある「生ヲ写ス」ことの多様性は(真ヲ写ス)「写真」によってあっさりと裏切られる。いっさいの装飾をそぎ落として、ありのままに「写ス」という観念は写真という「機械の目」によって凌駕されることになる。




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●標準語の発明は
事物を音声によってトレースする、その多様性を消去した。(方言の抑圧)

●写真の発明は
事物を視覚と手によってトレースする、その多様性を消去した。(写生の抑圧)

●言文一致、言われることと書かれることの一致は
(国策レベルで)コミュニケーションの効率化を進めた。(同時に経済効率=エコノミーの促進)

●脚本は「書かれたこと」であり、それは「言われること」(台詞)に還元され、制作の経済効率上、それらが一致することが望まれる。トーキー映画こそが、言文一致を視覚的に強化し、国家レベルでそれを正当化できる道具たりえた。


(2010-07-27)



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