映画ノート 20









■ 山下敦弘 『苦役列車』 を、語る前に



西村賢太による原作小説は読んでいないのでわからないが、映画の設定は1986年とその3年後の1989年である。1989年の1月に昭和天皇崩御したのだから、だいたい昭和の終焉直前の東京の風景が描かれているといってよい。

現在、80年代ブームだというが、厳密にいえばブームではない。80年代に10代、20代を過ごした者が大人になり、家庭を設け、子供を生む。そして会社組織で成長し、上役になり、年下を指揮できる立場になる。産業構造的にいえば、20代、30代の者ではなく、40代、50代の者がさまざまな「好み」を仕事に反映できる立場になるのだ。このパターンは歴史的なもので、90年代に60年代ブームがあり、00年代に70年代ブームがあったことと同じである。

しかし、この「ブーム」は端折った表現に過ぎない。マーケティングにおける「受ける予想、受けない予想」は、厳密にいえば相対的な人口比率によって確率化されるということで、たとえば現在の4歳児が、20代、30代の若者を遥かに超える人口だとすると、経済的には4歳児をターゲットにするしかない、ということである。4歳児に消費能力がなくとも、4歳児の欲望を開発し、4歳児なりのアイデンティティ創出を操作することによって、4歳児を中心にする経済原理が発生するのだ。


私は1969年に生まれ、1980年代とは、ほぼ10代に相応する者である。好奇心に任せて、あれこれと手を出していたが、44歳の現在、やはり80年代は良かった、と思える。なぜだろうか?それは私が私自身の若い頃を肯定的に見ているからだろう。景気もやはり今よりも良かったと思う。しかしながら、あの頃に戻りたいとは少しも思わない。現在も比較的楽しい、(または楽しくはなくても、楽しいという観念自体が変化している?)からである。




苦役列車』は80年代の後半を描いている。60〜70年代が(ベトナム戦争を中心とした)「政治の季節」だとすれば、マルクス主義革命(インターナショナリズムを含めての)というイデアに彩られた政治闘争が挫折し、「実質敵/仮想敵」の枠組み自体が壊滅した状況である。メディアはこぞって新しい物、新しい感性、新しい人間像、新しい未来像を刷新しようと、あれこれと貪欲になっていた。(個人的にはMTVの出現が一番強力だったように思う)。


講談社から出ていたホットドッグプレス。その中で連載されていた『業界くん物語』(いとうせいこう、だったっけ?)、宝島に連載されていた『東京トンガリキッズ』(中森明夫だっけ?)などが、80年代東京のポップな感性を育てていた。それらがアジテーションしていたのは、たんてきに「軽さ」である。糸井重里のコピー「おいしい生活」とともにある「軽さ」であり、重苦しいもの、たとえば「人間が生きる意味」とか「存在」とか「実存」は嫌悪された。


「人間が生きる意味」に執着することは、ますますもって「無意味な人生、無意味な人間」を露出させることになるだろう。逆にいえば、無意味を志向するものは、ますます、「意味への執着」を際立たせることになるだろう。この二極分解(引き裂かれ)のエスカレーションが80年代にあったといってもいいだろう。



割合として、現在のテレビ業界のトップにいるのは「全共闘世代が多い」とはよく聞く話だ。だからといって、彼らが政治番組を多作するわけではない。彼らもまた「軽い80年代=ポストモダンな感性」によって浸食されてしまったからである。



昭和の終わり、といっても、私にはなんの実感もなかったが、「昭和の終わりをちゃんと実感せよ」という世代が確実にいると思われる。そしてそれは、『苦役列車』を2012年の東京で産みおとした「集合無意識」なのだと言い換えてもいいだろう。 (以上4月30日 つづく)