岡崎乾二郎「ZERO THUMBNAIL」展をめぐるソフトな会話♪ その1




●「ゼロサムネイル・・ゼロサムゲーム・・」
▼「何言ってんの?しかし吉祥寺って意外にギャラリー多いわね。目的地行くのに迷っちゃって失礼なことに別のギャラリーに道聞いちゃった。魚焼いているにおいがするあたりのギャラリーどこですか?って。で、どうだった?」
●「うーん、0号キャンバスの絵って、やっぱりなんか欲しくなっちゃうわね。欲望が届くサイズっていうか。お弁当箱っていうか。しかしお弁当箱からおかずがはみだしてるーって感じ。」
▼「たしか、パウル・クレーも小さな絵たくさん描いてたでしょ?岡崎乾二郎が、クレーがいたから芸術めざそうと思った、なんてどこかで言っていたけど、即座にそれを思いだしたな。」
●「クレーはたしかにいいね。クレーの絵はお弁当箱からおかずははみだしていないけど。ボードレールのドイツ語翻訳者でもある哲学者のヴァルター・ベンヤミン(1892-1940)がクレーの絵<新しい天使>(Angelus novus/1920」)を購入して、第二次大戦中、トランクの中に入れてずっと入れて持ち歩いていたっていう話はグっとくるよね。しかし、クレーの絵ってなぜか<カルピス>を思い出す。」
▼「なんか、モビールっぽいの、色彩も軽くて質量も軽くて。モビールのある部屋でカルピス飲んでるっていうか。<カルピス>であって<フルーチェ>ではないのよね。」
●「しかし岡崎作品、今までとは全然違う絵を想像してたんだけど、やっぱり今までのと連続性があるよね。でも、質量はどちらかと言えば重いんだな。ソフト/マテリアルではなく、ヘヴィネス/マテリアル。どちらかと言えば<フルーチェ>。」
▼「大きいサイズの絵を断片化してカットアップした感じってこと?」
●「そうね、絵の具の物質性を出すって言う意味では、さっきの<おかずはみだし弁当箱>じゃないけど、流れの強い川の水面を瞬間的に切り取ってフリーズさせたっていうかそんな感じかな。」
▼「しかし、そうでない作品もあったわよ。<おかずはみだし系>ではなくて<おかずきれいにまとまり系>っていうか」
●「なに?」
▼「なんか、薄切りハムが並んでいる感じのとか・・こう同じ形、というか類似形が反復しているのがあったのよ!19点展示されてあるなかで5、6点はあったと思う。」

                                          (つづく)