ビル・ヴィオラの「はつゆめ」




寒空の中、森美術館に足を運んだ。森美術館へ行くのには2つ理由があった。ひとつはビル・ヴィオラの「はつゆめ」と題されたヴィデオインスタレーションを見に行くこと、ふたつ目は52階で夜景を眺めながら酒を呑み、タバコをふかすことであった。





ヴィオラの「はつゆめ」は、スクリーンの表裏から別々の映像を投影したり、薄手のスクリーンを蛇腹状に吊り下げて、双方向から映像を透過させたり、その「投影手法」はかなり手のこんだものだった。しかし、高度に構造的なプロジェクションテクノロジーを導入しているとはいえ、映像内容がやや牧歌的に過ぎるのではないか。それは少し前のベネトン(ユナイテッド・カラーズ・オブ・ベネトン)の広告、例えば、エイズの撲滅を訴えるためにカラフルなコンドームの写真を連ね、その表現を「アート」と通じさせるように配慮した「ポリティカル・コレクトネス」(政治的な正しさ)に通じる「あざとさ」があったのだ。ヴィオラの映像群は極めて具象的なものが多かったのだが、悪く言えばコマーシャル的な域を出たものではなかったし、「ふーん」というくぐもった言葉しか出てこないぬるま湯的なものが多かった。しかし、中には「はつゆめ」にしては「夢」そのものを批判的に扱っている態度が感じられたものもあった(実際、やや悪夢的な映像もあった)。






さて、前回、森美術館に行った時もアルコールと夜景で体を浸したあとに展示場をのぞいたのだが、今回も前回と同じく酒を呑んでからヴィオラの映像のぬるま湯に浸ったのだった。ただ、残念なことに、前回行った2005年の12月から約1年の間にタバコを吸えるスペースが無くなった(というよりも高いチャージ・・平日なら3500円を払ってまでBARと一体になった喫煙場所に行かなくてはならないようになった)。夜景をぼんやり眺めながらプカーっと一服したかったのだが、それができなかったのが残念だった。






それにしても森美術館のラウンジの選曲はなぜ、あんなにもダサイのだろうか。いや、六本木ヒルズ森美術館は「徹底した通俗性」、通俗から一生懸命離れようとする通俗性がダサクて良いと言えば良いのだが。