ウィリアム・ヘンリー・フォックス・タルボット




ウィリアム・ヘンリー・フォックス・タルボット。彼は写真のネガ・ポジ反転焼付けの原理を発明した19世紀半ばのイギリス人で、彼の写真を調べに4階資料館へ足を運んだ。今日は早起きして恵比寿の写真美術館。『自然の鉛筆』という世界初の写真集に掲載されていた写真24点がそのままマイクロフィルム化されていて、PCの画面上であっけなく見れるのだが、なかなか感慨深いものがあった。もっとも良かったのは1844〜1846あたりに撮られた『THE OPEN DOOR』(1844-1846/160mm×100mm /カロタイプ/紙ネガ・ポジ法)。日差しが強くあたる石造りの納屋のドア(ドアは木製)が半開になっていて、中が真っ暗。(この闇が丁度センターポジションになっている)。ドアには長めの木の枝を束ねて作った箒が忽然と立てかけられてある。そして納屋の右側にポストみたいなものがつり下げてあるがよく見ると違う。なんなのか?写真のこともあまり知らないが初期写真を代表する(と、言われる)ウジューヌ・アッジェの写真だけはここ数年何度となく見直している。そこでアッジェの写真をタルボットの写真と比較し、単純化して言うと、あからさまにアッジェの方が対象から距離を置いていると思われる。なぜそう思うのかというと、タルボットの写真の多くが対象との正面性をあらわにしているのに対し、アッジェの写真の多くが対象を斜めから撮っているからである。タルボットの方がどこか対象に肉迫したい、接近したいという衝動的な欲望を感じる。そこで資料館にある初期写真の文献で調べたところ、次のことが判明した。単純に言うと次のようになる。「タルボットがなぜ写真を発明しようと思ったのかと言うと、夏のある日、湖(おそらくはカトリネ湖)に泳ぎに行って、その素晴らしい景色を子供たちにも見せたいという欲望から自分でその景色を写生したのだが、自分の写生するその風景画の、あまりの下手さ加減に落胆し、それで写真を発明しようと思い立った」ということだった(加えて言うと写真を発明したのはタルボットで商売にしたのはダゲール)。それにしても『THE OPEN DOOR』が1846年に撮られた写真だとすれば、20年後に、上野彦馬が例の坂本龍馬の写真(1866)を撮ったわけだから、この20年の間に確実に写真技術が日本に輸入されたのだろう。あと画家の高橋由一が主催していた画塾もこの時代だったろうか。






付記)なおタルボットの『カトリネ湖』の素晴らしい写真は『映画の教科書』という本のp.32に印刷されています。