一月の光

一月の光(ニーチェ)。景色がよく磨かれたガラスのようにクリアに眼に映る。水平線間際に小さな雲がぽつぽつあるだけで、天空はまばゆいほどの青を湛えている。13:30起床。煙草を買いに出たついでに、くるりの「NIKKI」とシンガーソンガーの「ばらいろポップ」を聴きながら成城まで散歩。整然と等間隔に植えつけてある桜の並木道。条理空間的な町並み。人気は少なく、吸殻ひとつ落ちていない。成城学園前近くのガラガラのカットサロンでやや楠田江里子に似たかっこいいおばさんに散髪してもらう。『赤い砂漠』のモニカ・ヴィッティくらいの長さになっていたのを、『道』のジュリエッタ・マシーナにしてもらうか、『パンドラの箱』のルイーズ・ブルックス(いわゆるルル・カット)にしてもらうか大いに悩む。いかにも悩ましく、悩む。結果、その中間を選び、拙い説明をする。カット中、恐る恐る目を開ける。われながら笑う、はっは!、と笑ってしまったら「すみません。おかしいですか?」と聞かれる。「いえ、おかしくないです。」と答える。ホットコーヒーを頂く。書店で『九鬼周造随筆集』。蕎麦屋で読む。帰りはaikoの「秋、そばにいるよ」を聴きながら帰る。「NIKKI」と「秋、そばにいるよ」では周波数帯域のレンジ(幅)がぜんぜん違う。「NIKKI」は高音低音ともにカットしすぎている。ベースラインがきちんと耳に届かないし、ハイハット・シンバルのシャキシャキ感の出し方がまるで違う。くるりは弱い。aikoの諸アルバムには録音方法の特異性を感じる。音そのものを全面かつ前面に出している。aikoサウンドには「拍」を感じるが、くるりサウンドは「拍」の強調の仕方が弱い。だからといって貶めているわけではない。しかし、髪を切って、さっそく風邪気味になっているな。「百星の明は一月の光に如かず」(劉安)。