日本ロック雑誌クロニクル

10時起床、やや寝不足気味。3日ほど前から2008年北京オリンピックに備えて、マオイストブラックパンサーの関係を調べようと思い、1967年から1970年までに発行された『THE BLACK PANTHER NEWSPAPER COLLECTION』(ネット上で読める)を、翻訳ソフトと英和辞典を使いながらちょっとずつ訳しているのだが、とても面倒くさい。翻訳は頭のリハビリにもなるし、日頃使用していない脳の局所を使っている感覚がして、最初は新鮮だったが異常に頭が疲れる。まあ、ここ3年くらいのルーティンとして考えているので、地道にやっていこう。


明太子パスタを食べて、ヴァン・ホーテンを入れて、昼過ぎから篠原章の『日本ロック雑誌クロニクル』(太田出版)を読み始める。やっぱり自分に興味のある(あった)ことって自分にとって楽だな、とナイーヴながらに思う。ほんとに珍しくスラスラと読めた。面白かったのは第一章の『星加ルミ子とミュージック・ライフ』。いわゆる初期の洋楽産業を支えていたのが、女の子のミーハー精神一点張りだったという主張がかえってがすがすがしい。(一方で女の子がいるところにミーハー的に男の子も群がるわけだ)。ビートルズに最初に会った日本人である彼女のインタビューから察するには、彼女ないし、『ミュージック・ライフ』編集部には、一切ロックの思想だとか、ロックに対するイデオロギー的な見解がない。かといってプラトニックなロック愛、ポップス愛があるというわけではなく、若い女の子が即自的にミュージシャン(偶像=アイドル)に反応できるようなファナティックな回路だけが共同幻想的に駆動していたこと、その共同幻想を紙面に反映させていた「積極性」だけがあっけらかんと語られている。(ゆえに『ミュージック・ライフ』は「ロック雑誌」ではないから、本書で取り上げるほどの雑誌ではなかろうとも思ったのだが)。それに対して、第三章『渋谷陽一ロッキング・オン』で触れてある渋谷陽一が言うところの「ロック・ジャーナリズムにおける思想の欠如」を彼が吹聴する、その浅はかさ、ウザさに対しての筆者の批判、これには目を見張るものがある。渋谷陽一は筆者のインタビューを「なんのメリットもない」と言って断ったらしいが、筆者は仮のバーチャル渋谷を見立てて、さまざまな資料を基に(国立国会図館館まで行ってバックナンバーをチェックしたりする、その執念深さが面白い)自在に見解を述べてゆく。ぼくもあの背表紙に騙されて、欠かさず(14歳から18歳まで)買っていた口だったが、ろくに文章は読まず、写真ばかり見ていたような気がするな。(なぜなら、個別のミュージシャンのインタビューを除いては『ロッキング・オン』はあまりにも説教くさかった=文学くさかったからである。)そして最終章は「阿木譲とROCK MAGAZINE」。筆者によると阿木譲は日本一のスノッブらしい(要するに徹底したスノッブスノッブを超えたスノッブ)。そして女と金にだらしがない・・・ああ、たまらならいよ・・・しかし、例えば、蓮実重彦ゴダールを積極的に日本に紹介したことだけでも評価されるように、阿木譲ブライアン・イーノパティ・スミスを早くから日本で紹介したことについては積極的に評価されてしかるべきだろう。斬新な造語開発、徹底したエゴイストぶり、スノビストぶり・・・そして一抹のダンディズム・・・ロック・マガジンなるマイナー誌で、さらに捻くれて、「サティ特集」なんかやるところが、素晴らしいと思うのだが。あと、なぜ『フールズ・メイト北村昌士』という章がないのかが気にかかった。フールズ・メイト、馬鹿仲間。阿呆軍団。


『THE BLACK PANTHER NEWSPAPER COLLECTION』については   http://www.etext.org/Politics/MIM/bpp/index.html  を見よ