若造

その慎重さを欠いた、ひとつひとつの無頓着な言葉尻に多少のムカツキがあったにせよ、現代社会の変形(革命的転覆ではない)をわめきちらすように説く若造に会い、ぼくは多少目の前が明るくなった。社会変形の手段、集団組織の仕方、個人生活のレベルにまで浸透している諸−イデオローグを省みての自己省察、自己反省・・・おおいに結構である。「自分が右利きだからといって右手ばかり使用することでさえ、ある種のイデオロギーに毒されている、」若造は言う。「それは極端に言えば、息をすることさえ疑いながら生きることではないか」ぼくはそう答えたものの若造は翻ってこう言った。「だって、戦争だってそんなものでしょ。こっちが息を吸うか、息を吸うまえに敵に血を吸われるか・・」・・・社会変形を説くこと自体はおおいに結構である。互いに名前も素性を知らぬもの同士が現代社会のイデオローグを酒の肴にあれこれとしゃべりちらすことは楽しいことだ。自分が何様なのかをとんと忘れて・・・。さて、約二年前に田舎から移動し、「無視すべきものを無視し、見るべきものを見る」としかいえない薄弱な観念しかもたなかったぼくは、イデアとしてではなく、単純なる欲望と力の行使としての社会変形系列、力がひしめきあった軸線をその内在に充填する物質としての自己系列を、そこここに回転させることをきれいさっぱりと忘れていた。何かをあきらめた。それが何なのかは判然としないのだが、いずれ分かることだろう。たぶんあの二度と会うことのない、こまっしゃくれた若造、ごくナイーヴに言うと、私が忘れていたなにかを思い出させてくれた、あの小汚い若造のように生きることなのかもしれない。つつじヶ丘のロレンスよ、高貴なる野蛮人よ、書物という書物を燃やし尽くし、凍えた手をあたため、そして岩でもかじって生き延びてほしい。君は大作家、いや、大詩人になれると思う。リップサーヴィスではなく、ほんとうにそう思う。ぼくにつかのまの夢を見せてくれたことに感謝する。