『カフカノート』 ノート 1



■  高橋悠治 『カフカノート』 1


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咳ごむことのプロセスでまず確認されるのは、喉の内部に一点の小さなかゆみが発見されるということ。気がつけば、かゆみが大きくなり、つい咳ごんでしまう。咳ごむことは、このかゆみを追い祓う、かゆい部分を手で掻くように、しかし、身体の外からではなく、身体の内部(肺呼吸や腹筋)を使って祓うということに他ならない。筆を墨汁につけ、たとえば「大」の字を書く。最後のはらいの部分で、一気に筆を反らせ、中空のどこかへ、今まで執りおこなった「書」それ自体をどこかに追いやり、所作をおわらせるように、咳ごみもまた、祓いを幾度も重ねて、これ以上、もう咳がでないようにと願いながら、ゴホゴホとやる。ところがこの世には咳ごんではならないような場所がたくさんあり、厳粛な場、モラルコードの強い場、パブリックな静かな場所では、咳ばらいは慎んだほうがよい、ということになっている。4月16日の土曜日は、作曲に熱中しすぎて、こじらせた風邪の終わりころ、薬やヴィックスドロップなどをカバンのポケットに入れて神楽坂に行った。芝居の後半は、前述したように、咳が出るのをどうやって抑えるかということに必死になっていたため、まともに見れていない。喉がかゆい、咳が出そうだ、ということに意識しすぎるのはよくないと思いながら、右手の指で左手の甲をつねったり、逆をためしたり、喉のかゆみを手の痛みへと分散させながら、目と耳だけはしっかり開けているが、何を見聞きしているのだろうか。ホコリを吸い込まないように口はムグっとつむぎ、呼吸はすべて鼻でゆっくりとおこない、ちょっとした体の動きにも極度に気をつかいながら、しびれた足をどうやって、どういうスピードでどのような角度で組みかえれば、喉に刺激をあたえないか、ということをこれから試そうというときに、芝居が終わった。天井から吊り下げられたオドラーデックの模型がゆっくりと回転している。(4月27日 つづく)