考古学 ノート
1
考古学が 扱うのは まずもって古い物質 古い物質について考える というリテラルな意味の共有 しかし古い物質それ自体の存在のみ では学問として成立せず たとえば 国文学全般をリファーして 遺物(のこったもの)の自己確証が 該当すれば国文学と 古物体 との相互関係系列がスキャン可能なもの として 存立する また 捨てる という行為が ゴミの存在との連続性を保証するのは古今東西の普遍性があると思う そして のこったもの は のこすべきものでは 必ずしもない たんなる物体への注視(2016 8 4)
2
考古学の限界があるというよりも 考古学そのものが 限界なのではないか 考古学って ペダンチック過剰 という意味で ジェネラルな批評を恐れている 恐れつづけている そこに考古学の 退屈さ 保守 がある(2016 8 7)
マニフェスト用テキスト断片 英訳サンプル
🌑1
手当たり次第に朗読する
Recite at random
🌑2
手当たり次第に引用する
Quote at random
🌑3
ラディカルな姿勢を崩さない
Do not disturb the radical stance
🌑4
組み替えられた映像
Recombined video
🌑5
想像力を抑止する映像
Video to suppress the imagination
🌑6
われわれは別のやり方で別の映画を作る
Make another movie in a different way
放送大学 西洋音楽史講義 関連ツイート 2
放送大学 西洋音楽史講義 関連ツイート1
Google 画像解析 関連ツイート (まとめ 1)
Googleが開発提供している画像解析サービス
ざっと 目を通したが 興味深い
が 画像ではなく動画に適用するケース
つまり 映画を見て なんらかを語る という慣習を
人工知能が 代用し ついには批評できるレベルにまで→
→ に応用されてゆくと 作り手と批評の人工知能の間にしか映画が発生しなくなり 観客は必要なくなる
というよりも 観客は あらかじめ 当の映画を批評した人工知能の 二次的な存在にしかなくなる
作り手が 作品を発表するという 意味というか 価値観もおおきく 変わってゆくように思える
Googleは 単一画像を取り上げて 解析する手法を テクノロジーで 行うということだが 具象絵画レベル あるいは 一枚の写真レベルで も リファーできるので その場合
作者は 一枚の 具象絵画 写真に 内包される タグ付け(おそらくはいままで無意識的にやっていた) や タグ付けを可能にする カテゴリー メタカテゴリー をどう設定するかに 意識的に 取り組んでゆくことに なるだろう
■以上 2016年6月 ツイッター掲載分を転送