架空庭園の書 3(恐山行き 2)

憑依するものと憑依されるものは

意味するものと意味されるものの 関係に 近いのか

 

一枚の紙の裏表

ウラオモテ ヤマネコ ではなく イリオモテ ヤマネコ

 

憑依されることの弱さと強さ

それは強さではない 余裕というべきなのかもしれない

全ての生命は保守であり保守があり本能の持続が保証される

 なので 革新や 革命 はその次のことなのだ

 

保守 メンテナンス 身体のそれは

憑依されることの身体的余裕を 保証する

 

意味の充填は 意味人間であろうとするその持続

無意味はそこから逃れる 楽しみ

 

詩人はまた無意味も好み

ナンセンスもまた地獄として享楽する

その身体的余裕は 一朝一夕にしては なりたたない

 

憑依と恍惚の弁証法

possession  と ecstasy の弁証法

身体の限界を考えるにあたって 有効なのかもしれない

 

ある程度歳を重ね 死に目にあっていると

こういうことを考える

単に生きていることの穀潰しは

あっさりと乗り越えられ

高次の生命体を求める

 

恐山は驚くほど怖くはない

恐を抱くべきかもしれないが

畏れ と 慄きを 著した 

キルケゴールの哲学ほどには 真剣なわけではない

 

賽の河原は その光景は 俯瞰で眺める 町、街、低層住宅の集まりに見えた

死者のその群れを成立させる

構造体にも似たようなそれ

 

だが

 

全ての肉はただれ落ちるだろう

 

積み上げられた石は

 

崩壊するだろう

 

だからこそ

 

構築が可能になる

 

そういう教え