にもかかわらず、眼差されなかったもの





まなざされたまなざしそれ自体はすでにしてゴミであります。(まなざしが〈そちら〉へ向けられているにもかかわらず〈そこ〉へ到達できなかったまなざしそれ自体はゴミであります)。まなざされたまなざしではないなにか、それは視線の着地を促しています。というのも眼差しには生きた眼差しとそうではない、生き生きとは決してしていないまなざしがあるからです。生き生きとしていないまなざしは決して死んでいるのではなく、ある方向を持っているが「待っている」だけであり、そこには欠如の充実があります。


目を向けた、しかし、にもかかわらずまなざされなかったものは残余でさえないものでありますが、純然たる無というわけではありません。人は見たいものを見るというその愚かさにも似た無意識に抵抗することができません。たとえ観察者にとってもそうなのです。


〇〇を見に行った、にもかかわらず、まなざされなかったもの。