Randonneur from channel zero  #2










さて、キーボード上のK I O K U の配列は隣りあっているといったが要するにそれらはご近所さんというところだ。よくみたまえ、UとIとOが横に並んでいてKのキーはIの右下にある。こういった単語は別にもあるだろう。たったいまキーボードを眺めていて気づいたが OMIKUJI も隣りあっている。Mが最下部で支えているというスタイルだがOMIKUJI は当たり前に〈おみくじ〉に変換できる。こういった単語はキーの近接性を確保しスピードを予め孕んでいる。すごく打ちやすいのでそれらの単語には短距離走で疾走するような快感がある。とまあ他愛ないことを書いているが、他に書くことがないわけではない。ポタリングから帰宅して、タブレットで1950年代の日本映画を見て、つまらないので消し、なんとなくノートブックを開けたのだ。それにしてもポタリングというのは最高の言葉だ。ポタリングという発音体系がまず軽さを獲得している。軽さ、浮遊感、コロコロと転がる感じ。ここには一切の苦痛がない。僕はポタリングという語をランドナーに乗るようになってから覚えたが、いい出会いだったと思っている。話はつづくが20代の頃はとくにファクシミリという響きが好きだった。最初の3つ〈ファク〉から始まる語なんてのはファクシミリ、ファクター、ファクトリー、ファクト、どれも素晴らしい響きを持っている。これが〈ファック〉になるととたんに苦しくなる。ファックという語はいつも苦し紛れなのだ。だが、小さなツ、つまり〈ッ〉が抜け落ちただけのファクという響き、それもポタとよく似た(よく似ているが決して同じではない)軽さ、そして渋さをも獲得している。こういった単語のよさは主観的な趣味以上のものではないが、なかなか意識にのぼることはないだろう。さて、書きすぎたか。