近況



















グラフィックに対するデザインという概念。前者は三次元グリッドあるいは単純なデカルト座標に基づいた表象のもとで、図像をやりくりすれば成立するだろう。一方のデザインとはもっと意味深長である。デザインはその語の通りDE−SIGN、つまり、サインをデコラボレーティヴし、デコラージュし、デストロイし、デコードし、ディスクリプトするという否定的あるいは差異的な二ュアンスで覆われているといえるだろう。むろんDESIGNは通俗的にいうサイン(記号)に基づいて意味指標を体現させるために、紙面−平面にそれを展開させるのだ。(キャッチャーがディレクターがピッチャーにサインを送る・・・などなども端的に意味伝達の合理化だ)。


シニフィカシオン(サイン化)における<デ>の作業、つまりデザインは、実のところ、世界中の数多ある「高速硬化流通」している意味をいかにして意味として機能させないようにするかに懸かっている。ノンセンス(非意味)への近似をはばかることのない反意味、これがデザインの極意である。

こんなことをスクリプトするのも、現在書店で並んでいる雑誌『アイデア』で阿木譲と大類信の特集が組まれているからだ。この二人は忘れがたい人物だ。阿木の方はミドル・ティーンのときに読んだROCK MAGAZINEの編集者、というよりも、20世紀末に大阪にあった「M2」なるクラブのオーナメント兼DJであった。「M2」とはマセマティック・モダン(!数学的近代!)の略号で、ここで流れるシカゴ・オリジンであるフランキー・ナックルズの潮流を一様に無視した(だろう)初期のユーロピアン・ハウスが流れていた、それに大阪城ホールでのスティーヴン・パトリック・モリッシー初来日の事後に、この「M2」でのイヴェントがあり、「ディス・チャーミングマン・ニューヨーク・リミックス」10連発で深夜も深夜に30分ちょい踊りまくっていたのもいまとなっては懐かしい記憶だ。

一方の大類信、トゥエンティーネイジャー前半のときに愛読していた『SALE2』(セールセカンド)の編集者であり、14歳から読んでいた『rocking on』のレイアウトを担当していた。そして、とくに覚えているのは彼が赤坂にopenしていたTHE DEEPというクラブ、そしてBIGTITS好みのラス・メイヤー監督『ファスター・プッシーキャット・キルキル!』をかの大類信(fiction inc率いる)経由で京都上映を決行したことだろう。そしてなによりも『SALE2』の特異な紙面作り、どこから探してきたのだろう、ジョン・ウィリーのボンデージ写真、チーズケーキスマイルのベティ・ペイジのピンナップに、松浦理英子の短編小説(『天上の愛 童子』)が並列する。そしてミシェル・フーコー橋本治田中康夫マゾッホ&サド、山田詠美・・・。



そして、いうまでもなく阿木譲、大類信のデザインワークを全面化した諸−物、いわばマテリアルズ(資料)がこの現在発売中の『アイデア』誌に全面的に掲載されてあるのだ。現在その書を膝元に置いて、ぱらぱらとめくっているが、今なおもって、フレッシュな輝きがある。しかし、これが『アイデア』誌の紙面作りだ、といえば蛇足になるだろう。



もうひとつ、ここで書物装丁家、あるいはグラフィックデザイナーである 戸田ツトム鈴木一誌 を両者に加えるのも蛇足だろうか、とはいえ両者もまたいまなおもってクールであり、エレガンである仕事をなされていることだろう。



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そんなわけで、(季節柄、ノヴァーリスの『花粉』についてメモを残しておこうと思ったが)ほかでもない阿木譲、大類信、戸田ツトム鈴木一誌諸氏には、決定的に影響を受けている、とここで言い放っておこう。3月6日の花粉とともに!
(影響はむろんのこと映画、哲学、音楽、小説、建築、美術以外で)


and so on/// 

My favorite ・・・As in is ,was ,and ALWAYS will be !!


追記 3/8
(トゥエンティーンネイジャーだったら、12歳代になるので、20代ということをあらわすのなら、トゥエンティーネイジャーが正しいのでは?というメールをいただいたので訂正しておきます。ご指摘ありがとうございます。アンタは天才や!)




50年代アメリカを駆け抜けたピンナップ・ガール、ベティペイジ。