ジェットコースター・ラブ















■ジェットコースター・ラブ〜愛よりも速く〜








○「さて、さっそくだけど、今日は・・・」
▲「今日は?」
○「ジェットコースター、あるいは、ローラーコースター、あるいは絶叫マシンについて話そうと思うんだ。」
▲「え?行ってきたの?」
○「そうそう、よみうりランドっつうところで、バンディットというコースターに乗ってきた。」
▲「BANDIT,山賊のことだね・・・山賊かああ、おれも行きたかったなー。」
○「パイレーツ(海賊)に対する、バンディット。行かない方がいいよ、マジ怖いもん。」
▲「そうなん?」
○「たぶん、おむつ、つけていったほうがいいよ。漏らしてる人いるよ、多分。」
▲「じょーじょー。水分をなるべくカットして行ったほうがいい。」
○「あと、酒気帯びはやべえ。」
▲「あ、飲んでいっちゃったのね。」
○「ま、正月だから景気よく。」
▲「そうね、血中濃度の問題というより、体液の分散が、かなり、やばいことになる。
○「そう、アッパーメディウムをさらにアッパー化させるわけだからね。パキシル!」
▲「どれだけ、ハイになれるかっつうのは?」
○「ま、ハイでもないしローでもない、グッドでもバッドでもない。サブライム・オア・デッド、みたいな。」
▲「オレ的に言わせてもらうと、コープス・サンス・オーガンだよ。ジェットコースターっつうのは。」
○「知らない・・何それ?ラルク・アン・シエルの新曲?」
▲「新曲じゃねええええよ!・・・ま、あとで話そう。」
○「遊園地って女性と子供が多い。とりあえず。」
▲「そりゃそうでしょ?」
○「幼児退行願望だとは思わないけど、、ま、おっさんは過度に少ないわな。」
▲「遊園地っつうのは、おそらく<管理された子供への生成変化>であって、純粋遊戯ではないな。」
○「回転物が過剰に多いという意味でいうと、受け皿としては、ファンタジックな永劫回帰性そのものを体現できる場所として用意されてあるとは思うんだけど、それもまた一過的、かつ管理的永劫回帰であってね。」
▲「永劫回帰へ持っていかそうとするんだけど、実は、手前で止まらせるってことかな。」
○「アトラクション(娯楽)っていうのは、何回でも消費できるけど、永劫回帰は消費できないよ。」
▲「そりゃそうでしょ?」
○「ニーチェよりも、やはりベンヤミンなんだけどな。遊園地。」
▲「折口よりも柳田」
○「そうそう、一般論としては民俗学用語であり、柳田國男の概念装置であった<ハレとケ>のハレに属する。」
▲「それはわかるけど、そういうハレ消費の仕方があらかじめプログラムされているわけで。」
○「そう、主体になることが許されないわけね。」
▲「別にそもそも、主体になりたいがために遊園地に行きたいわけではないな。」
○「映画的には思い出すのは『さすらい』byヴィム・ベンダースの遊園地のシーンと、『ミシシッピー・ワン』byサラ・ムーンの遊園地のシーン。」
▲「そうね、前者は、たんに退屈しのぎの場として描かれていて、柵に囲われたゴーカートゲームのje・・戯れが描かれている。」
○「後者の『ミシシッピー・ワン』はとってもすばらしいシーンなんだけど、髪の毛ボサボサのくたくたスーツ姿のフラフラな精神病のおっさんの主人公が朦朧とした状態で山にふらふら出かけて、さまよったあげく、たまたま遊園地を見つけて、なんてことはない子供と遊んで、まあ、平べったくいうと癒されるわけ。」
▲「ミシシッピ・ワンってのは、ちょっとした<数え歌>的なもんなんだろうけど、ミシシッピー・ナイン、ミシシッピーエイト、ミシシッピー・セヴンとカウントダウンしていって、最後にミシシッピー・ワンとなって、ハイ、目開けて!みたいな使われ方だったな。子供がめちゃかわいかったね、とりあえず。カメラワークがすばらしく美しいですよ。小津の貧乏くさいフィックス画面の連鎖で喜んでいるヨーロッパ人&東京映画文化の対極にあると思うな。だけど、なんでかね。そんなすばらしいっすか?小津。」
○「ま、ああいう小津映画のまったり感優位って、ゆるキャラ受容とパラレルなのかもね。」
▲「付け加えると、溝口-宮川一夫のカメラワークのゴージャス感が許せないのかね。とも思うな。」
○「それはともかく、都市・郊外の二元性のなかであくまでも都市的プログラムに属性を持つ<逃避所、避難所>って感じもするな遊園地。」
▲「とはいえ、慰安的、慰撫的な装置郡ばかりじゃなく、絶叫マシンのような崇高的カタルシスも準備されている。」
○「そうそう、そこがすばらしいね。京都では、都心という概念が成立しないけど、代表的な遊園地、八瀬遊園地と桃山城キャッスルランドがつぶれてしまい、遊園地絶無。」
▲「むかしはさ、デパートの屋上にちょっとした観覧車とかあったんだけど、そういうのもないのかねえ。」
○「さあ、どうかしら。」
▲「時空共有型の娯楽って、いろいろある中で今はネット上の対戦相手型のゲームが主流なんだとは思うけど、自然光、屋外の空気ってところが、リアリティーがあるんだよ。真の娯楽は。」
○「そうですか?」
▲「正直言って、閉鎖空間苦手だからね、オレ。家はおろか、部屋っていう概念も最近疑ってて、とうとう床に人工芝ひいたり、寝袋で寝たりしている。たまにテント張ってたりして。」
○「テントに郵便受け作って、ここまで届けてくれ、なんて。」
▲「閉鎖につぐ閉鎖、多重構造的な閉鎖によって、見出されるパラドックスってあると思うんだ。たんに開かれてるだけじゃあ、ダメだよ。」
○「そうですか?ところであなたはジェットコースターには乗ったことあるの?」
▲「ありますよ。そのくらい。」
○「どんな?」
▲「幼少期だけど、やはり桃山キャッスルランドのジェットかなあ。当時は 赤と白のボディで、ぜんぜんたいしたことないけど、好きだったなあ。あとは宝塚ファミリーランド、あそこはまあ、すごかった。高さが。あとは、奈良のあやめ池遊園地。10年前くらいに閉鎖したドリームランドもすごかったらしいけど、ここのは乗ったことないっす。」
○「基本的に怖いんだけど。ジェット。」
▲「そう、わざわざ怖い体験をしにいくっていうモダニズムのひとつの特性があって、これは、労働の再生産と関係あるとも思えるけど、安定した生活が確保されて、それがずっとずっと続いて、なんだか〜退屈〜、みたいになって、リッチな専業主婦がアヴァンチュールしたりするのと同じで、何が起こるかわからないけど、とりあえず・・・みたいな冒険心の延長にあると思うな。世界史が崇高を見出したのは18世紀(エドマンド・バークなんかが分析)なんだけど、崇高はいまなおもって強力に作用していて、ハリウッドメジャーなんかが未だに主要に依存しているイデオロギーだよ。」
○「むずかし〜わかんな〜い。」
▲「けど、いろいろ、勉強になるね。最初は絶叫マシンはサディズムマゾヒズムの完璧な一致っていう予測があったんだけど、そこから敷衍して、コルプス・サンス・オーガンby アントナン・アルトーに至ったな。その流れが一種のサブライム、崇高として機能するんだよな。多分。」
○「ジェットコースター自体は外から見ていると攻撃性のかたまりだよね。」
▲「そうそう、それももっと細分化させて考えると、垂直、水平、ななめ、というもっていきかたがあって、原理的には、<とめどない変化>をどう体現させるかなんだろね。しかし、完璧な勃起性の連続があるな、ジェットは。」
○「ジェットにエンジンつんでないというのが、非常に美学的な感じがしたわ。エコじゃん!みたいな。」
▲「はっはっは。エコ?・・・サド・マゾ・エコ、みたいな。」
○「最初に巻き取りのモーターでボディが位置エネルギーを確保するところまで、もっていく、つまり頂上化させるんだけど、そこまではメカニカルな仕掛けに頼っている。あと最後のブレーキね。それだけなんだよね。構造的には。」
▲「そうそう、位置エネルギーを運動エネルギーに変えて、どうやってゴールまで走らせるかというところで、コースのデザイニングや構造が決まってくる。」
○「あと、医学的な観点ね。さっき体液の分散ってことが出たけど、バランスよく分散させるようなコース設計になってんのよ。ちょっと間違えたら死人が続出するような世界ですよ。」
▲「おもらし続出。で、50メートルくらい上昇するんだけど、さすがに怖かったね。そこから一気にほぼ垂直落下。こわー。」
○「富士急ハイランドの絶叫コーストは、落下垂直コースが内側にえぐれてるんだってさ。こわー。」
▲「こわこわ〜。」
○「でも、垂直落下のあとがけっこう、めちゃ良くて、キャメルバック、期待の高速二重水平ループ、かっこえー、かっこえー、めちゃ、かっこえーみたいな。」
▲「設計技師とかちゃんといて、モデル模型を何回もつくって、構造計算何回もチェックして、っていう世界なんだろね。」
○「そうそう、位置エネルギーの確保を完全に運動エネルギーとしてとらえるっていうことは、非常に合理的な考え方だよね。」
▲「実際の近距離鉄道がわりにもなるし、そういう実験も、そろそろ始まっているみたいよ。」
○「今日のニュースだけど、上野〜東京間に新しいのが走るんだけど、絶叫列車でやってほしいよね。キオスクでオムツが売られてたりして。」
▲「おじいーちゃん。ムーニーちゃんつけた〜?、みたいな。」
○「そうね。おもろい!」
▲「危険!」
○「危険に挑め!」
▲「・・・・まあ、心理的不安を中途半端に移植するホラー映画を消費しているより、唯物的純粋恐怖を全身化するジェットコースターのほうが、まあ、なんというか、エステティカルではあると思うな。」
○「しっかし、小学生くらいの女の子が喜んで乗ってるんだから、びっくりするわ。
▲「女の子特有の怖いもんみたさなのかね。どなんや?」
○「なんか、ひょうひょうとしてんのよ。お通じがよくなるとか、美容にいいとか、関係あるのかしら?」
▲「それは聞いたことないな。」
○「まあ、子供が子供への生成変化を欲望するわけないとすれば、なんだろね。やっぱり過激な遠心力をフル稼働した全身勃起性、ファルスへの欲望なのか?」
▲「おれは潜在的にはマゾヒズムだと思うな。高速=拘束の純粋物理。」
○「遊園地演出も含めて、子供への擬似生成変化が90パーセント遊園地のファクターになっているんだろうけど、絶叫マシンは、超人への生成変化なのかね?」
▲「そうなんじゃない?あくまでも擬似超人。」
○「あっさり言うなあ。そうか。」
▲「やっぱり、乗ってなんぼですよ。」
○「超人願望ってなかなか持てないけど、コルプス・サンス・オーガン、つまり<器官なき身体>っていうことでいえば、乗っている最中は、内臓性が剥奪されてるような気がする。まず全体的に上半身がカタトニー(緊張)、つぎに、表面が過度に膨張してきて、多層な殻を形成する。次に、骨と皮だけになるみたいな。ま、わたしは絶叫初心者だったんで、みんながみんなっていうわけじゃないよ。」
▲「ま、慣れると、なんてことはないな、ってなってるかもね。」
○「そうね。けど、もいっかい、行きたいなー。」
▲「そうね、接吻くらいはキメたいよね。なんつって。」
○「愛よりも速く、馬よりも速く。」







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