現代戦争ノート 4−A


ヴェトナム戦争を終わらせたのは、ひとつの映像、ひとつの写真だといわれている。
映像の方は、誰が撮ったのかはわからないが、写真の方はわかる。


1968年1月、エディ・アダムスは、ヴェトコンが路上処刑にあうところを写真におさめ、それが全世界にまたたくまに広がった。ヴェトコンの頭を回転式リボルバーでぶち抜いたのは南ベトナム警察庁長官のグエン・コク・ロアン将軍である。


間をおかず、全世界に配信されたというこの映像と写真があまりにもショッキングだったので、戦争を終わらすきっかけとなった。とはいえこれは事後的な解釈だろう。本当のきっかけはまだ他のところにもあるし、複数形でしかとらえることはできないだろう。


映像の方は、NHKの特集番組でかれこれ14年前ほどに見た。調べてみると撮影したのはNBCのカメラマンだということになっている。


私がNHKのヴァージョンで見たものは、ヴェトコンが射殺された直後に、ぶっ倒れ、頭から流血していたものだった。


だが、ピーター・ロリンズのテクスト『テレヴィジョンのヴェトナム』(『GS5』所収)によると、当時放映されたのは、流血シーンをカットしたもので、頭にヒットした直後に3秒間の黒味をさしはさんだものだった。当時のテレビ局は「ヒットした直後に黒味をしばらく流したほうが、<撃った>ということのインパクトが高まる」という見解だったらしい。事後を想像させる黒味。文学(発禁図書)における伏せ字の効果と同様に。


NHKのヴァージョンから憶測として成り立つが、ヒット後の流血は、やはりショッキングなもので、相当のリアリティがある。当時のことを想像してみて、即座に頭をよぎったのは、「モラルコード遵守」の見地で黒味を入れてカットしたのではないか、ということだった。これはえげつなすぎる、と。



テレヴィジョンのヴェトナム』でまず強調されているのは、筆者ロリンズが、当時のアメリカのテレビニュース報道に関するワークショップに参加して、何を教え込まれたか、という回顧録である。


ロリンズは、ワークショップ講師を担当していた専門筋から「・・・いいか、あらゆる出来事はニュースになる。そしてニュースとはインナー・ストーリーをもつものだ。内なる物語を。」ということを教えられたという。


この指摘は「出来事をダラダラ撮っても何の価値も無い」ということで、ニュース報道にもいわゆる物語的な価値、出来事がその背景にもつ「起承転結」(インナーストーリー)を設定しなければならない、ということを意味していた。また、そうすることが、テレビの視聴率を高め、ひいては「人々の心に残り、心を動かすものだ」。ということをも意味していた。


「高視聴率と、人々の心」これこそが「近代の合理的視聴覚」の温床として大きく機能したのはいうまでもない。





(時間がない。とりあえずここまで。)


(閲覧注意 ロアン将軍によるヴェトコンの公開処刑 16mmフィルムで撮影され、アフレコされたもの→ http://www.youtube.com/watch?v=pFe52js7rME