音楽ノート 8


■ 無調音楽およびアントン・ヴェーベルン




2000年代にi−podという移動体のヘッドフォンステレオが流行していたとき、邦画のサウンドトラックの断片を入れて、聴いていたことがある。全編まるまる入れて聴くのではなく、なるべく日常の音響とダブらせやすい箇所をランダムに入れていた。



(DVDから音声情報だけをレコーダーに取り込み、それを編集ソフトにダウンロードしてパッチをつくり整えて、さらに<ジョン・ゾーンの「ゴダール」>などを参考に別のものと組み合わせ、次にi−tunesに落としこみ、i−podに出力するという手のこんだことをしていた。・・はやくサウンドトラックだけを販売する時代がこないものか)



映画の音響とリアルな音響がまぜこぜになり、判別不能になるのが面白かった。踏み切りが開いて、また踏み切り音がすぐに鳴り、それが現実音なのか再生音なのか、ヘッドフォンをしているのだから、聞き分けできるものの、イコライジングや音量を細かに調整すれば聞き分け不能な近似値まで持っていける。定食屋に入り、映画の定食屋のシーン(たしか伊丹十三の『タンポポ』など)の音響を聞いていては、噴き出しそうになったものだ。驚異的に退屈な音源、ジョン・ケージの『カートリッジ・ミュージック』もまたどこにでもあるありふれた光景によく馴染んだ。



われわれが「音楽を聴く」というとき、実にこの世界に満たされている音響を下地にして聴いている。この下地音は「自然音」と呼ばれたりもするが、この下地に一定の図をくっきり浮かび上がらせているのが、いわゆる「音楽」であり、それは「下地」に対して「図」として聴けるようになっている。ある店に入って、「音楽が鳴っているのかな?どうだろう?どっちだろうか?」と不安におびえたりすることはない。音楽は音楽がなっていることの明瞭さとともにある。



今日の無調音楽の受容のされかたについてはよく知らない。かつては「ホラー映画のサウンドトラック=無調音楽」という説明のしかたが広汎化していたように思えるが、それは一面的な見方だろう。「世界=自然」というのはもともと調子も拍ももっていない。クマゼミの鳴き声が、BPM180のリズムをともなっている、としても、やはりそれはそれに過ぎない。ある人の話し方が、微妙なシンコペーションをともなったラテン音楽に似ているとしても、その声だけでは踊れないだろう。ロマン派の標題音楽は、意識的に自然音(川のせせらぎ、鳥の声)を模倣し、詩的/文学的感性と結びつけてきたのだから、「音楽」が「何ものかのミメーシスの段階」を生き、リプリゼントされているのは、ひとえにロマン派の続行と関係があるように思える。



突然、電話の音が鳴る。これは無調である。突然、カラスの音が聞こえてくる。これも無調である。電子レンジを3分に設定しておいて、3分後にチーン。これは無調ではない。風呂沸かしタイマー、これも無調ではない。無調音楽を聴いていて、たしかに「予想ができない」ということが多々あり、それは無調音楽の良いところである。



ところで、ポール・グリフィスによると、現代音楽の初発(起源)は、クロード・ドビュッシーの『牧神の午後のための前奏曲』(1894)の前奏部にあるらしい。フルートの半音階推移とスケールの無効、主旋律の否定のことだが、もちろんこの曲を聴いていても、まだ「無調」は感じられず、「調性音楽」に揺さぶりをかけたというほどのものだ。そして、完全な無調が開始されたのはシェーンベルク『架空庭園の書』(1908)においてである。その13年後、ユダヤ教に改宗し、アメリカに亡命する前のアルノルド・シェーンベルクが発明し、「これでドイツ音楽はあと100年優位にたてるだろう」と豪語した「十二音技法」に関してざっくりいうと、まず「黒鍵、白鍵」を等価にあつかったということがある。これが意味するものは「すべての音価を均等に使う」ことであり、なおかつ協和音と不協和音を等価にあつかうことに主眼が置かれていた、といえるだろう。



むろん、「調性音楽」と「無調音楽」という腑分け自体がいたって西洋的な二分法であり、それは西洋の専売特許(および今日の音楽のグローバライズの根拠)と化しているが、「二分」というよりも「一(平均律の一個性)」をその内部においてより徹底化した、つまり、もともとの12音平均律(バッハ)を極限にまで突き進めた、という見方もできる。(ドゥルーズ-ガタリ言語学公準」『千のプラトー』所収参考)。もちろん、協和音と不協和音の選別は、12音平均律の「平均」という概念とかかわっており、「平均値であっても、それは絶対値ではない」という捉え方が音価の扱いを多様にしたとも言えるだろう。



いきなり予告なく弾かれた長二度(ドレ)に「不協和」を感じるのは、たとえば長二度にづづいて、次に完全五度(ドソ)がつづく場合で、たとえば長二度のレ(トニックにたいする上主音)だけを抽出し、上主音をドミナントサブドミナントとして機能させる展開を創出すれば、長二度それ自体は不協和音ではなくなってしまうだろう。(いわゆるサスペンディッド・コードを使用すれば可能だと思われる)。こういう意味で、あらゆる音価は絶対値ではない。模範的な回答をヨーロッパが周囲に押しつけてきただけである。



さて、アントン・ヴェーベルンシェーンベルクの弟子として出発したが、それ以前の後期ロマン派の名残りをとどめた『弦楽四重奏のためのラングザマーザッツ』(1905)から、いわゆる無調期(十二音技法期)の代表曲ともいえる『3つの宗教的民謡作品17』(1925)まで、すばらしい楽曲がたくさんある。(たくさんあるといっても彼は佳作家であり、31の作品しかこの世に残していない・・ちなみにブーレーズが編集した全集は6枚組)。



また、シェーンベルクに戻っていうと、彼は十二音技法とは別に「セリー(音列)」という考えを導入したことでも知られているが、これは、旋律の単位を一様に抽象化したもので、1オクターヴ内の12音を調性無視で使用しつつ、すべての音が出揃った時点で終わり、つまり一周期としてとらえるという規則性を全面化したものであった。が、ヴェーベルンはそれをさらに発展させ、オクターヴ内の3つか4つの音の列(12を因数分解すると1、2、3、4、6になる)をワンセットとしてとらえなおし、順行、反行、逆行など、音の連なりの「向き」をかえながら組み合わせてゆく手法を作曲に導入した。また曲の全体を中心部でざっくり切り、前半と後半を鏡を合わせたようなシンメトリカルな構成をとる「鏡面音列」の曲を書いたり、(じっさいウェーベルンは譜面にさえも、その美的価値をみいだそうとし、音楽音痴の妻にも積極的に見てもらっていたらしい)、休符を積極的に価値あるものとして扱い、ポツンポツンと音が沈黙にうがたれるような点描技法とも呼ばれる手法を創出した。よく知られているように、のちのケージにも多大な影響を与えたこの点描技法は、唯一の公式ピアノ曲でもある『ピアノのための変奏曲 作品27』を聴いてもらえば瞭然かと思う。(そしてケージは鈴木大拙の聴講生時代を経て、点描技法を日本の「禅」にまで結びつけるに至った。)



最後にアドルノヴェーベルン論よりの引用。




細事に拘泥する傾向において、充たされた瞬間の結成がすべての単に抽象的に命じられた展開の埋め合わせをするということにたいする信頼において、ウェーベルンにはヴァルター・ベンヤミンと共通するものがある。知り合いではなく、お互いのことについてよく知っていなかったといってよい、哲学者と狂信的におのが素材に拘束されたこの音楽家との二人の筆跡はすこぶる似通っていた。それらはどこか小人の国からの便りのように見えた。いつでもなにか巨大なものから縮小されたもののように見えたミニチュアなのであった。(『アントン・ヴェーベルン』竹内豊治 編訳 所収)


(次回は 美術ノート18 中期フランク・ステラについて アップロードは8月8日予定)