バラッド、という聞きなれた言葉。年端もいかない巻き毛の少年が、ときに、目をキョロキョロさせながら、その可憐さとはずいぶん不釣合いな、バラッドを口ずさむ。・・・「悲しいことさ、男と女がうまくいかないってことは。悲しいことさ、大人になるってことは。・・・もう若いとはいえないマローンは土曜の夜の情事を終えたあと、夜更けに必ずこう言った・・・そこでレディ・ジェーンはいつもこう言い返したものさ・・・なんだってお前はヘラヘラ笑ってやがるんだ・・お前の一物をぺティナイフで切り落とせばひと安心さ、天国へのお土産だ。そして花壇に植えておいてやるよ。笑っちゃだめだよ、ここで・・しつこいね、あんたあの世に行ってもまだ生き延びる気かい?」などなど。
バラッド、このイングランドを中心に17世紀の欧州で盛んに歌われた詩形式は、3詩節と1反歌により構成され、それぞれが同一行の繰り返しで終わる、とみなされている。そして時代を経て、さまざまな変化を遂げてきたといえるだろう。もちろん第二次大戦が終結したあと、数々のポピュラーソングというヴィークルに乗って、あなたの心の襞の、その奥の奥の奥にひっそりとたたずむ廃墟のような終着駅にゆっくりとたどり着いたはずだ。
バラッド、これは物語ではなく物語詩である。・・・人類は実に多くの物語を編んできた。いったいどれだけの物語がいまなおもってこの世界に燦然と輝き、そして闇に埋もれてしまったことだろう。もちろんあなたの物語は誰がなんといおうとあなたのものだ。それは誰にも盗むことなんてできやしない。人に聞かせてやるまでもない。小さな宝石箱にしきつめたあなたの小さな物語。・・・約半世紀前、ジャン=リュック・ゴダールが胸元あらわなキュート、ブリジッド・バルドーとタッグを組んで手の込んだやりかたで映画化した古代ギリシャのホメーロスの叙事詩『オデュッセイア』。あるいは画家のフランシス・ベーコンがこよなく愛したアイスキュロスの悲劇をも含めて。中世イタリアで書かれたチョーサーの『カンタベリー物語』や、日本では(世界史的に見て)女流文学の初発ともいえる『源氏物語』。(ヨーロッパ圏におけるそれが、ラファイエット夫人の『クレーヴの奥方』から始まっているとしても、それは1678年の話だ。・・・スタール夫人?もちろん、そう、スタール夫人は『コリンナ』という小説を書いている。だが、彼女の著作で重要なのは『ドイツ論』だ。フランスが、あの「ロマンセ」に熱狂するその前夜に書かれた。日本人の口から「ロマンチック」なんて漏れ出したのは、もっともっともっとあとの話しだ・・・)
すべてのポピュラーソングがそうであるように、バラッド、これもまた物語の圧縮技法である。長大な物語のハイライトだけをコンパクトな詩にまとめ、その上、物語の要約的な役割をも果たしていた。にしても、物語自体を広汎に、かつ合理的に流通させるための技法だったのか。それはわからない。
バラッド、この歌唱法においては、調性よりも旋法が前面化される。和音的流れよりも分節化された言語が和音の隙間に忍び込み、それを内側から解体してゆくようだ。ウィキペディアを参照してみよう。「バラッド」の項目においては、「バラッドの始祖、トマス・レイヴンズクロフトが作曲、編纂したものは、アメリカ民謡の祖形となったと言われている。」と書かれている。これは重要なことかもしれないし、スルーしていいことなのかもしれない。・・・トマス・レイヴンズクロフト・・・この名前もすぐに忘れてしまうだろうか。・・・もちろん、アメリカとは、ヨーロッパからの逃走だった。外部であり、夢であり、悪夢であり、未来だった。アメリカはこの事実を未来永劫ヨーロッパに突きつけるだろう。「ああ、いつだったか・・やつらはおれらをはみ出し物にした。もちろん、おれらは喜んで逃げたさ。それで良かったんだ。今のアメリカがどれだけ病んでいようとも。」・・・「アメリカとは雑草のことだ。一方、ヨーロッパは樹木を所有し、育て、大地に根を張ってしまう。・・・ヨーロッパの権力者が百合の花を好むのはそのためだ。なぜって、百合の根というのはものすごい繁殖力なのだから。よその土地までね、延びに延びて根を張ってしまうんだ。これはもちろん、領土化と関係ある。」・・・ドゥルーズ&ガタリは『ミル・プラトー』の序章において、このように伝えた。1980年。アメリカは雑草の野性を追い求め、そしてヨーロッパは森の官能に溺れてきた。そして日本はいまなお苔むす岩を追い求めているのか。君が代。
『痩せた男のバラッド』、これは1966年にボブ・ディランがレコーディングした歌だ。ジャン=ポール・サルトルがノーベル文学賞の候補にあがったその2年後の1966年、黒いタートルネックに黒いベレー帽という装いを「実存主義者のモード/ファッション」の規範にした若者たちがとうとう構造主義標榜の面々に席を譲ろうとしていた時分の話。君はもちろん、まだ生まれていない。君のパパとママがまだ、銀座の喫茶店でクリームソーダを二つのストローで分け合っていた、そんな時代かもしれない。
ところで、この『痩せた男のバラッド』は、すばらしい楽曲だと思う。こんなに陰鬱なコード進行で、こんなにわけのわからない、意味不明な歌詞なんだが、突き刺すような力がある。はじめて聴いたのは、1993年頃だったが、ときどき思い出したように聴いている。あの「ミスター・ジョーンズ」が気になってしかたなくなるんだ。時々。
You walk into the room
With your pencil in your hand
あんたが鉛筆を手にその部屋に入っていくと
You see somebody naked
誰かが裸で立っているのが目に入る
And you say, "Who is that man?"
それで、あんたは言う、
「誰だ、あの男は?」と。
You try so hard
あんたは力んでみせるが
But you don't understand
しかし、あんたにはわからない
Just what you'll say
When you get home
家に帰ったら何と言ったらいいのものか
Because something is happening here
何しろここで何かが起こっているのだが
But you don't know what it is
あんたにはそれが何だかわかっていないのだからね
Do you, Mister Jones?
そうじゃないのか、ミスター・ジョーンズ?
You raise up your head
あんたは顔を上げて
And you ask, "Is this where it is?"
そして訊く、「これはここでいいのかな?」
And somebody points to you and says
すると誰かがあんたを指差して言う
"It's his"
「この人のですよ」
And you say, "What's mine?"
するとあんたは、
「何がわたしのだって?」と言う
And somebody else says, "Where what is?"
するとまた他の誰かが言う
「え、どれ、何の話?」
And you say, "Oh my God, Am I here all alone?"
そして、あなたは言う
「ああ、なんてこったい、おれはここで孤立無援なのか?」と
Because something is happening here
ここで何かが起こっているのだが
But you don't know what it is
あんたにはそれが何だかわかっていないのだからね
Do you, Mister Jones?
そうなんだろ、ミスター・ジョーンズ?
You hand in your ticket
あんたはチケットを差し出して
芸人を見に入っていくと
Who immediately walks up to you
すぐにそいつが歩み寄ってくる
When he hears you speak
そいつはあんたが喋るのを聞くと
And says, "How does it feel to be such a freak?"
こう言う、「そんな化け物になってどんな感じかい?」
And you say, "Impossible"
するとあんたは「全然そんなものにはなってない」と言って
As he hands you a bone
そいつから骨を手渡される
Because something is happening here
何かがここで起こっているのだが
But you don't know what it is
あんたにはそれが何だかわかってないのだからね
Do you, Mister Jones?
わかってるのかい、ミスター・ジョーンズ?
You have many contacts
Among the lumberjacks
To get you facts
あんたは木こりたちの間では、
かなり顔が利くんで
事実を知ることはできるだろう
When someone attacks your imagination
誰かがあんたの想像力を非難したときにはね
But nobody has any respect
でも、誰ひとり何の敬意も払いやしない
Anyway they already expect you
どのみち連中の目当てはハナから
To just give a check
あんたに小切手を切らせることだからね
To tax-deductible charity organizations
所得税控除になる慈善団体のためにね
You've been with the professors
あんたは教授たちと一緒だった
And they've all liked your looks
With great lawyers you have
連中は偉い弁護士先生風の
あんたのルックスが気に入っていた
Discussed lepers and crooks
ライ病患者やイカサマ師について議論してたな
You've been through all of
F. Scott Fitzgerald's books
あんたはスコット・フィツジェラルドの本は
全作読破している
You're very well read
あんたがたいそうな読書家なのは
It's well known
よく知られていることだ
Because something is happening here
何かがここで起こっているのだが
But you don't know what it is
あんたにはそれが何だかわかっていないんだからな
Do you, Mister Jones?
どうなんだ、ミスター・ジョーンズ?
Well, the sword swallower, he comes up to you
さてと、剣を呑み込む芸人が、あんたのもとにやって来て
And then he kneels
そして、跪くと
He crosses himself
自分から磔になって
And then he clicks his high heels
さらにそいつはハイヒールの踵を鳴らして
And without further notice
あとはもう何の説明もなしに
He asks you how it feels
あんたにどんな気分だと訊ねて
And he says,
そして、こう言うんだ
"Here is your throat back.
「あんたの喉を返しとくぜ
Thanks for the loan"
融資をどうもありがとう」と
Because something is happening here
何かがここで起こっているのだが
But you don't know what it is
あんたにはそれが何だかわかってないんだからね
Do you, Mister Jones?
どうなんだ、ミスター・ジョーンズ?
Now you see this one-eyed midget
いま、あんたはその片目の小人に会ってるわけだが、
Shouting the word "NOW"
「いま」という言葉を叫ばれて
And you say, "For what reason?"
あんたは言う「どういうことなんだい?」
And he says, "How?"
するとそいつが言う、「どうやって?」
And you say, "What does this mean?"
するとあんたは言う、「これはどういう意味なのかね?」
And he screams back, "You're a cow
するとそいつが怒鳴り返す、「おまえは牛だ
Give me some milk
おれにミルクをよこせ
Or else go home"
さもなきゃ帰れ」と
Because something is happening here
何しろ何かがここで起こっているのだが
But you don't know what it is
あんたにはそれが何だかわかってないのだからな
Do you, Mister Jones?
どうなんだね、ミスター・ジョーンズ?
Well, you walk into the room
Like a camel and then you frown
そう、あんたは駱駝のようにして
その部屋に入ると眉をひそめる
You put your eyes in your pocket
眼球をポケットにしまうと
And your nose on the ground
地面に鼻をつける
There ought to be a law
Against you comin' around
あんたがうろつくことを禁じる法律があって
しかるべきだな
You should be made
To wear earphones
あんたにはイアフォーンを
つけさせなきゃいけないな
Because something is happening here
なぜなら、ここで何かが起こっているのだが
But you don't know what it is
あんたにはそれが何だかわかってないんだからね
Do you, Mister Jones?
どうなんだ、ミスター・ジョーンズ?