はてなダイアリーは、いつからか広告が強制的につくようになった。と同時に、オプション料金を支払えば、広告を非表示にできるようになった。広告収入がなければ会社もやっていけないのだろう。年間2000円で手数料が250円。1年間試したが今日が更新日だったため、午前中に近所のコンビニで支払ってきた。が、現在(21時)、まだ画面には反映されていないようで、むかついている。会社が土日に稼動できないのならあらかじめどこかに表示しておくべきだろう。(あの画面に堂々とあらわれる広告に対しては、「一刻もはやく消したい」というくらい生理的にうっとうしいのである・・Tシャツに不動産やら、なにやらの広告をプリントしてそれを気にせずにブラブラ歩いているようなものではないか・・これは個人的な意見)。また、はてなもややこしい機能がたくさん増えているようで、いろいろと謳っているが、ちっともありがたくはないぞ。・・・どうやらSNS的な機能を追加しようとしているようだが、これ以上必要ない。また、関係性をどんどん無自覚につくってゆくと、ますます無関係性が強調される地平があきらかになってゆくのは必至だ。問題は無関係性を最初から前提しているかどうか、無関係性をもっとクリアに強調できるかどうかだろう。わかりやすいこと、伝わりやすいこと、という次元も必要だが、一方で誰も追いつけないようなフレッシュな理論をつくることを各々が自覚的に取り組んだほうがよい。そういう方向のアジテーションがあまりにも少ない。





現在、ごく一般的に言って、長文を書くという意志がますます希薄になってきていると思われる。即時的、即興的、脱自的な短文をどんどん書かすというシステムは、同時に長文を書かせる機会を奪っている。(要するに目を反らさせるべき何かを国家はあらかじめ設定している。しかも想像を絶するほどのロングスパンで)。長文とは、一定のまとまりをもった意見であり、それを書くにあたっては必ず時間が要求されるものだ。一方の短文とは「時間の消滅」とかかわりを持つ。<リアクション−反応>の循環ではなく、<リフレクション−反射>の中での戯れ。鏡を互いに合わせて、無限の奥行きを作ろうとするが、それだけいっそう息苦しい。もっと開放的でオープンな長文を作るという能力開発へと移行すべきなのだ。はてなは、現代は。