イマゴン、分層線




イマゴンとは分層線であり、断層線である。いわば、イマゴンは層を前提しているのだ。彼らの層、彼女たちの層、数々の思い出・・・数々の記されるべき記憶・・・記されなかった記憶・・・それは年老いるごとに複雑になってゆく。幼少期の層と青年期の層が入り組んだ層、を抱えた中年期の層、それらを抱え込んだ老年期の層、などなど。・・・前提の前提。いわば、層とは経験内属的な<諸−記憶>の層のコンポジションであり、コンポジョンの生成過程そのものである。イマゴンは、しかし、イマゴンそれ自体を形成させるにおいて、諸−イメージを流用する。依存ではなく流用。ギイ・ドゥボールの「転用」の延長上にある。諸−イメージは層であり、イマゴンはそこに引かれた線である。アッというまに、一瞬に引かれる線。飛び越えられるべき線。官能性を帯びた線。破壊的な線。否定的な線。肯定力にあふれた線。満ち足りた線。そして、再度繰り返し引かれる反復する線。ドミソのヘンデルに対する否定的な線として出現する音階(シェーンベルク)。コローの擬似レアリズムに対して、否定的な線として出現するセザンヌの線、あるいは線分。リュミエールに対しての決定的な線分を構築した(地層化)したエイゼンシュテイン




地震が起これば地層があからさまになる。おもちゃが壊れれば、その構造(層的機構)があからさまになる。それは露呈のリズムであり、内的真理の外部化である。イマゴンは真理を要求するための<技術−作法>でもある。