じょんがら、高橋竹山



■ じょんがら、高橋竹山




わずか5分ばかりだが、高橋竹山の話をした。その人は、車での放浪がてら東北にじょんがら(彼がいうにはじょんがらは日本のソウルミュージックだ)のライブを観にいったという。大衆食堂的な場所で、みんながダラダラと飲み食いしているところ、ふいに、さあ、そろそろ始めるべか、と、連弾の演奏がはじまったという。バックには手作りの書割でできた山々なんかがセットされていて、それはそれは、めちゃくちゃ格好よかったという。




高橋竹山については最初は二代目竹山(女性)の即興曲で知った。つぎに北島三郎の「風雪ながれ旅」という竹山を讃えた歌。ネットの動画で見て、そのあと竹山の2枚組CDを聴いたが、これはデジタルリマスタリングで音質が良すぎて、ダメ。三味線はフレットレスで、あいまいな音階が出せて、そこがよい、という見方もできるが、バチで沈黙を一気に剥がし捨てるような亀裂の入れ方は、はっきりと聴こえる。あいまいさと明晰さが重層的に連続しているのがよいのかもしれない、とも言える。




竹山は盲目であり、それで神話的に扱われることもあるが、スティーヴィー・ワンダーレイ・チャールズとはちがい、あまり、人の口の端に上らない、というか、ぜんぜんまだまだ知られていない、という感がある。(海外でのほうが知られていると思う)。




正月のあちこちで鳴る(有線でチャンネリングしただけで鳴る)雅楽のミューザックはほとんど耳に残らない瀕死の音楽だと思えるが、三味の図太い弦響は、たおやかにしてソリッドな情動に彩られていて、なおも覚醒的である。指は5本しかないのにギターは6弦、三味は3弦。高低を行き来する速度調整が自在に保てる、という気がする。