キルケゴール・メモ






(以下は、7月末〜8月頭にFacebook内において記した「19世紀の哲学者、キルケゴール」に関するメモである。以下にまとめておきたい。)





セイレンキルケゴール(アンティ・クリマクス筆名)の『死に至る病』(1849)を、よく読んでいたが、「神を心理学的な論点に立脚してアナリーゼしている」という意味では、すでに「神は死んだ」ものとして捉えられていた、というのがわたしの見解である。





この書の第一のクライマックスとしては、「自分が絶望しているということを知らないという無知からくる絶望」と「自分が絶望していることを自覚している絶望」の二種のどちらかを選べ、という苦痛のオルタナティヴが描写されており、いずれにしても結局のところ、「反抗して死に至り、絶望から開放されるか」あるいは「弱者のままでずっと絶望したままでいるか」のどちらかの結果となる。いずれにしても絶望的なのだが、そういったタイプの絶望から出発するしかないという「真の絶望」をキルケゴールは発見したのである。





しかし、キルケゴール経由で、小説家の椎名麟三に少し興味がわき、是非、なにか一冊読んでみたい、とは思った。




キルケゴール幼少期についての面白いエピソードだが、わたしが忘れられないのは、次のようなものだ。・・・キルケゴールの父親はキルケゴールに「お前は将来何になりたいのか?」と問うた。そこで、彼は「僕はフォークになりたい。」と答えた。父親は「どうしてお前はフォークになりたいのか?」と再度問うた。キルケゴールは「お皿に並んでいるおいしそうな食べ物をたくさん突き刺せるから。」と答えた。父親は「それでは、もし、みんながお前を追っかけてきたら、どうする?」と問うた。すると、「そしたら、みんなを刺してやる。」と彼は答えたのだ。




そして、幼少期キルケゴールの家庭内のあだ名は「フォーク」だった、ということである。




大昔に読んだのが今でも記憶に残っているのだが、このエピソードの次にもつづきがあって、それも頭の片隅に残っているのである。それは「部屋の中での散歩」であり、父親が、部屋の中で海や山を作り、あれこれとセリフをそれらしく作り上げ、キルケゴールに「海や山に行った気にさせる」というものだった。中央公論社の「世界の名著」シリーズのもので、「フォーク」と「部屋の中での散歩」は、導入の解説部に書いてあった。わたしは、キルケゴールの熱心な読者ではないが、これらのエピソードだけは面白すぎて覚えているのだ。




キルケゴールは、いわゆる概念操作による論理体系を用いた哲学者ではなく、むしろ散文的な思惟というスタイルを採用したが、決して読みやすいものではなく、丁寧に追っていかないと、理解に到達しないものだと思われる。読みやすいという人もたくさんいたが、わたしには、あまりにもくどくどい感触があり、むしろ難解であったし、今でもそうである。




こういうことは、ないがしろにされているかもしれない。モダニズム以前の「ヨーロッパ社会におけるキリスト教の絶対的権威」とは日本人が想像を絶するものではないか?という問いを多少なりとも引き受けたほうがよい、というのが、当時のわたしの意見であり、それは今でも変わらない。「読むリアリティ」をどこに求めるか?ということでもあるが、「宗教的抑圧」をいかにして、想像しながら読むか?という試みがなかなか困難なことは確かである。




たとえば18世紀になるが、カントにしてもなぜ著書が残っていて、今も読めるのかというと、カントが書きたいという以上に、当時の国王の「書け、書いてくれ」という依頼があったからである。それは著書の冒頭部にちゃんと記してあることだが、少なくとも、現在の資本制の中での自由競争があり、多くの出版物が書店に並び、残るものは残るし、忘却されるものは忘却される、という制度上のちがいを念頭に入れておいたほうがよい。ということでもある。




すると、18世紀までは、<言説=イデオロギー>という様態は、宗教的、抑圧的にならざを得なかった、という見方ができる。宗教的、垂直的管理であり、読者は上を見上げながら読むことしかできなかったである。




ところが19世紀のキルケゴールの時代になると、多くの著書が自費出版されている、という状況が出てくる。印刷モダニズムが、新聞モダニズムを取り入れ、移行するに連れて、町に印刷所ができた、ということもあるが、印刷所と契約するということがブルジョア民間人のあいだでもブームになってくる。そこで、言説の垂直構造から、水平構造に移行していくのだが、「やばい本、やばい言説」が「禁書」になるということも同時におこってくる。「斜めの管理」が始まるのである。





彼の執筆上の狙いは「キリスト教批判」であり、彼が「真のキリスト者」になるためのものだったが、いうまでもなく、そういった本は「禁書」になりやすかった。彼は幸運なことに父親の莫大な遺産が入ったために、十全な思惟をつづけることができたのだが、そうでない者もたくさんいたと思われる。





キルケゴールは若い頃、さんざんな遊び人であり、放蕩の限りをつくした、ということだが、その借金のすべてを父親が支払ったということもある。それで、極端な反省的作用があったのではいだろうか?その後父親がすぐに逝去しているのだ。




中世にさかのぼると、たとえば有名どころでジョルダノ・ブルーノという人がいるが、彼の『原因・原理・一者について』などは、教会批判の書と認定され、結果ブルーノは火あぶりの刑に処せられている。この書は現在和訳で読めるが、しかし「どこがやばいのか?」という感想しかもてないのである。コペルニクスガリレオの事件(天動説VS地動説)もあった時代に前後していたと思うが、おそらく「教会理性に追従しない単独者的理性=反抗者」が、ことごとく狙われる、という史実を通過している、ということである。





話がすっとぶが、神を表象として定位させるということは、「神=有限物」として固定させてしまうことと関係があり、それは「絵画、建築、音楽」などの技術を使って、説得させることができるとみなされていた。宇宙=有限、世界=有限、神=有限だったのである。そうして教会の権威をフィックスさせたわけだが、ところが、天体望遠鏡の発明などによって、「宇宙=無限」というアンチテーゼが浮上してきたのである。





時間になったので、そろそろでかける準備をするが、「無限をいかにして扱うか」ということをもっとも神学のレベルで熱心にやったのが、東方キリスト教であり、グレゴリオ・パラマスである。この人のファッションを見ると、ヒップホップの人が着ているジャージみたいなものにちゃらちゃらと宗教的アクセサリーをつけているということだった。『地中海の無限者』という表紙に使われているものだが。


(2012・8・12 Facebookより転載)

























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