3・4 『磁器と火山』上映 8







「パララララン、パららららン♪」と、W53・デカダンスピンク携帯のシンコペーショナルな着信音が鳴った。画面を見ると非通知設定。非通知はワンシーズンに1回ほどあるが、99%取らない。「おいおいアンタ、非通知か??。かけてくるんやったら名前くらい堂々と名乗れよなあ。可哀そうな奴め。」と、放っておくのが常だった。今回はしかし、虫の知らせなのだろうか、取ってしまった。場所は紀伊国屋新宿本店ほぼ前。「ノガミさん???あんたかね、手紙よこしたの。こっち千葉だからねえ。0424なのよ。ここからね、東京にかけると、これ非通知になるらしくて・・・」「あっ!」「磁器と火山?・・・・なんだい??陶器の話かい???」「あっ!!ヤキモノでは・・・ぜんぜん、、いえ!・・」「・・いやあ、ワタシもねえ。もう老体だから・・せがれが行くかも・・」「あ!!」「あんた趣味でやってるのか?」「いいえいいえ。あ!!恐縮です。急なお手紙を出しまして・・・」と、ほぼ直角85度のお辞儀を新宿の群集の中、何回も繰り返しながら(笑)、ずっと小関さんの話に耳を傾けたのだった。(なんだかいろんな名前が出て来たなあ・・・NHK会長、小川紳介新藤兼人・・・もちろん大木よね)・・・非通知、それは仕方ないですよ。そりゃああ(笑)・・・電話を切った時、はるか彼方の画材屋「世界堂」の前にいたのだった。結構な長電話だ。ほんとに恐縮千万。小関さん、ありがとうございました。




小関さんとは、何日か前にここで先述した写真家の小関与四郎さん、現在81歳。高橋悠治さん(作曲家・ピアニスト)の『水牛楽団のできるまで』における「三里塚関連の記述」と同様に『磁器と火山』制作の大きなきっかけとなった『成田国際空港』所収の全写真を撮った、その人だ。(ちなみに小関さん最新写真集の『クジラ解体』も傑作です)。・・・1978年成田空港開港までのリアルタイム・ドキュメント、に、対して『磁器と火山』は「成田空港建設反対運動」(三里塚闘争)を2012年現在から眺めた、私なりの「かつての出来事」の再召喚(反過去化)であり、<歴史=愛=他者>の形象化であり、未来へと投げかけるべきテーゼであり、今後の東京都市の聖愚を判定する材料でもある。・・・(ちなみに私はいわゆる「社会派」ではありませんし、ドキュメンタリ作家でもありません。『磁器と火山』は純然たるフィクションです。)・・・さて、この写真集に成田空港B滑走路建設予定地に向かう大木よねさんの棺が運ばれている写真が入っている。それが『磁器と火山』のシナリオを書く、決然たるファクターとなった。2007年、秋のことだった。



もう「グローバリズム」という言葉は一時期より聞かなくなった。一見御立派な、アカデミックな概念であろうものも、時がくれば(流行語と同じように)摩耗し、新たな概念に代わる。東京に出て来て、東京で劇映画を撮ろうと思い、胸を抉られるようにクラッシュしたのが、「三里塚闘争」であり、「成田」であり、「大木よね」だった。東京にはすでに/今も、物と情報と人が溢れかえっていて、それに気づかないくらい(!!)溢れかえっている。うち、成田空港を経由してやってくるものも多数である。そして東京発/経由の「グローバリズム」は完全に「三里塚の負の歴史」の上に成り立っていたし、今も成り立っている。交通の神様といわれる「成田不動尊」は、現在のわれわれに、かつての三里塚の闘士に、どのようなテレパシーを送っているのだろうか??そして「交通」(by 柄谷行人)は、そもそもこの現在、東京にあるのだろうか???(まあ、あるところにはあるでしょう。)そして、いうまでもなく、「三里塚」は過去の遺物などではないし、「農民武装蜂起」は三里塚闘争に限ったことではない。「農民の棄却」という問題は現在の福島でも傾向的に起こっているのだ。(この福島産バッシングを見よ)。ゆえに今度は「福島が第二の三里塚になる可能性がある」・・・・これは、予測的に成り立っても少しもおかしくはない。





そんなわけで、千葉さん、沖田さん、島田さん、レンジ君、お元気でしょうか。伊藤君は日曜日、やりましょう(え??何するの??ってそりゃあアンタ、あれですよ・笑)。・・・で、2008年3月でしたか、三里塚ロケ時の記念写真(デカダンス・ピンクの携帯で撮影・笑)を、ここにアップしておきます。