写真ノート 1




中平卓馬写真展 「Documentary」  銀座 BLD gallery






数年前に清澄白河で見て その直後だったか 
下北沢の小さな映画館で写真家をあつかうドキュメンタリー『カメラになった男』を見た 
ここは擬似モダニズムに覆われた銀座 しらじらとした歩行者天国 
人はいるがやけに静まりかえっている 
ブランドショップ この場ちがいな感じ





前回に見られたデュアルな(2枚組セットでの)展示ではない フロアAではモノクロームのものを単体で フロアBでは150枚くらいのものを2段組のバンド形式で三面つかって横に這わせての展示 1枚1枚が独立してあると同時に 隣接する写真との強固な結びつき(band)や分離感をもつくる そんな展示方法 近い対象は大きく迫り 遠い対象は奥行きに吸い込まれる 迫ってはこちらがはじき出され 奥行きに吸い込まれては もとの位置感覚に一瞬戻る こういう凹凸に富んだ展示方法がもたらすちょっとした身体のゆらぎを観察してみると 写真もまた動きをあつかっているということがわかる (フロアAではヨーロッパの写真が多かったが 街路を闊歩する女性 コートの裾がサッと揺れる そのかすかな動き 揺れ を撮らせるのは動きに対する欲望ではなく 動きを止めたいという欲望でもない 静止しているものと動いているものが所与として併置されている場所 そういうトコロをおさめたいということだろうか) フォトモンタージュ 中編映画の写真による脚本を見ているようだった 主人公は眠る人でまったく動かず 目を開けず 何も話さない それをたまに動く猫が見守るというだけの話 というよりも話さえないような 流れ さて 何が映っていたか





大きな葉が光に反射している 緑の表面にぼやけた光像 ふつうこんなものは撮らないだろう というような ありふれた看板のありふれた文字列 ねむり猫 浮浪者か そのへんのおっさんか ひなたぼっこ 昼寝の眼を閉じたあからんだ顔 あとはオートバイのよく磨かれた管楽器のようなマフラー、ボディ 聳え立つ赤い鉄塔 繁茂する緑の脅威 白ちゃけたコンクリート 




■編集という前提を持ちながら写すことは■写したものを組みかえて■もう一度はじめからプログラムしなおすこと■再編集可能な世界を夢見ることでもある■写真集を編む 編集するとき 映画のモンタージュを想像しないものはいないだろう 





人はだいたい目を開けている という理由もあるのだろうか 撮られがちな目をあけた顔写真を避けながら 対象をていねいに扱う マージナル/セントラル という二元はなく、繊細なレリーフを彫るように事物の輪郭を 少数的フレーミングを 周囲にとけこませてゆく ロング/フル/ミディアム/バストなど ショットサイズを見慣れた視感覚として用いるのではなく 





恵比寿にある写真美術館には 小さな専門図書館が併設してあり ダゲールやタルボットなどの初期写真が箱形コンピュータのデスクトップ上で大量に見ることができたが 今も見れるのだろうか プリントアウト不可 メモリー移入不可で 手書きで何点かラフで写し取っていた そのノートが最近見つかってパラパラと見直す 素朴な写真 壁に箒がポツンとたてかけてあるだけの そんな写真が多かった それともそういう写真だけをスケッチしていたのか 彩色もいっさいなく、この世の始源にたちかえるような輪郭のぼやけた写真 写真というよりも photo-graph 光の図表 (photo-graph を写真と訳したのはだれなのか そもそも「写真」は日本語としてあったのか )





むかし読んだ『聖なる肉体』(伊藤俊治)に書かれていたこと 写真が必要とされたのは医学の分野で 非−健常者 いまでいう physically challenged(身体障害者) 奇形を記録するために写真が必要とされていたと書かれてあり そういう写真がたくさん掲載されていた 初期の写真技術は 医学分野から民衆に行き渡ったのだろうか 文化人類学が流行ったころか 人並みに赤坂憲雄山口昌男 平岡正明などを読んだり 「RE-SERCH」というめっぽう前衛的 というよりも カウンターカルチュラルな海外誌のフリークス特集号をとりよせたり マージナルということを考えていたが 途中でつまらなくなった 聖なる肉体 と言えば ダイアン・アーバスのサーカスの芸人 不具者などを一定の距離をおいて そのままに真正面から撮ったリアリズムか ジョエル・ピーター・ウィトキンのデコラティヴ/オブジェクテイヴな肉体か 今は写真はかんたんに撮れるようだが アーバスやウィトキンがやったように たいへんな苦行を課しながら撮り続けることを どこかでだれかがやっているのだろうか わからない





さて 中平卓馬の写真は そんな「聖なる肉体」とは対極にある 聖もなく したがって俗もない あるのはただ物と光 迫りくる物 遠ざかる物 それらはファンタジーでもなく 素朴なリアリズムでもない 「事物が目に突き刺さってくる」と写真家がどこかで言っていた 静まりかえっていた虎が 目のさきに獲物を見つけ とつぜん襲いかかるような 純然たる速度