メモ 8





今年の正月は京都にいた 雪がつもり 甥や姪と雪だるまを作って遊んだりした 小さな子供がいつのまにか大人っぽくなっていて こちらとの微妙な距離感が生まれる 少し前までは向うから目を合わせてきた というよりもたんに近寄ってきて やたらと話かけてきた子供 ところが今になって こちらから目をあわせようとしても なかなか合わない どうしてだろうクローズアップこそがホラーだと ドゥルーズ=ガタリがいっていたが どうしてホラーなのか 「顔=自我」がホラーなのか 人間関係が生む関係人間 それを代表している顔がホラーなのか よくわからない 




市の北東にむかし八瀬遊園があった 子供のころ数回行き いつだったか 流行らないためにつぶれてしまった 八瀬という土地は天皇家のだれぞやが逝去したときに 棺を運ぶ役目をもっていた八瀬童子の末裔が住んでいた 昭和天皇が逝去したときは もう必要ない ということで お払い箱になり 少々議論の的になっていたようだ(猪瀬直樹 『ミカドの肖像』参照) 遊園地にあった巨大なガリバーの模型 きれいな円形のプール 今はどうなっているのだろうと なんとなく出町柳までゆき 叡山電鉄にのってその地へ向かう ドアを開けても 呼び出しベルを押しても誰も出てこないからっぽの派出所 壁に貼られた古ぼけた地図に八瀬遊園と印字されている 円形プールがあったところには リゾートホテルのような建物 いそがしく行き交うひとびと 近衛兵のような警備員 ないものを愛でてもしかたない あるものをどう使うか どう未来に明けわたすかは 現在の現在による編集にかかわっている ここにはない あちらへ あちらにもない どこへ 





『クレーの食卓』という書物があり 画家が好んで食べたあれやこれやが 写真つきで載っている 紹介されている何点かを食べた 大麦のおかゆ 他はなんだったか 貧しい味だったが そうまずくもなく 体によさそうだった 去年、歴史にかんする本を出した田中希生君が誘ってくれ その集いに行った 彼は4、5年前 アテネ・フランセで伴奏指定の作品を上映したときにピアノを弾きに東京まできてくれた人だが もうピアノはやらないのだろうか 




傾向として指摘できることがある アカデミズムの連中は 創造のなんたるかをわかっているのか 映画を撮ったことがない カメラをいじったことさえない自称映画批評家が そうすることを批評のダンディズムなのだとはきちがえ 高みにたってまくしたてる 自前のアカデミーで芸術を占有し、保護し、頭のよわい生徒が先生のことばを鵜呑みにする サイードアドルノがピアノをたしなんだのは そういうアカデミーの傾向にたいする反発もあったのではないか さしあたり言えることは 作り手がことばを持つこと 一方でことばを持っていると思い込んでいる者 ・・批評家が あえて作ってみることによって批評のことばが裏切られることがあるという隠れた観測点を エチカ(倫理)として持つことだろう 「言葉ではない」と、そう言える限界も 言葉で言うしかない 言葉とはそういうものだ と言うしかない なぜ




ふたたび大雪のふるなか 京都御所周辺にひさびさに行く ぼんやりとした記憶 うちがキリスト教だったためか 何回か行ったことがあるのか 教会の記憶がある うすぐらい建物のなか 焦げ茶色の木の床に光が反射していた記憶 神父さんはノグチと言い 家でその名が飛び交っていたことがあった 室町通りに面する清和教会 その建物が立派になっていたので驚いた 帰って撮影したものを平面テレビで見ていると 両親が結婚式をあげた場所だと言い また驚いた 子供たちとその映像を見ていてとても不思議な気がした まりこは結婚したいのかどうか と聞くと 知らん と答えるのだった