ランダムノーツ 11




■ランダムノーツ 11





東京メトロのホームで電車を待っていたら、左腕にサッと何かがあたった。ハッとして見ると、モンステラだった。モンステラは花屋さんでは見かけたことがあるが、屋外で、しかも駅のホームなんかで見かけたのは始めてだった。思わず観察してしまった。葉の直径が50センチくらいあり、花屋さんがうまくカットしたのだろう、団扇のように外縁がきれいな楕円にととのえられている。昔、「世界の葉」みたいな写真集でみかけたことがあるが、モンステラの葉はだいたい伸びた餅のように丸く、愛嬌のあるふんわりとした形をしていて、しかもけっこう力強い感じの質感が気に入っていた。(ステラとストロングのストロは関係あるかもしれない)。しかし見かけたものは団扇状にするために、わざとエッジがつけられているのでアーティフィシャルな感じがして、野性味が少し欠けていた。///花の名前を覚える趣味はまったくないが、モンステラをたまたま覚えたのは他ならぬアンリ・マティスの絵においてだった。///僕の勝手なカテゴライズだが、この世には「マティス風の女性」(マティスが描いた女性のような女性)なるカテゴリーがあって、しかしマティス風の女性はなかなかいない。モンステラを腕に抱えていたお嬢さんは、ちっともマティス風の女性ではなかった。大介花子の花子に少し似ていたような気がする。(2010-08-13)





・夜の渋谷で、久しぶりにおもちゃさんと伊藤君と呑む。おもちゃさんは煙草をやめたせいか、お肌が以前よりもキレイになっていたような気がしたが、彼女に聞くとどうもキレイさは一緒らしくて、変わったのは「化粧のノリ」らしい。見た目は同じだが物理的な質感が変わったということだろうか?伊藤君はやや太ったように見えたが、髪を短くして、顔が大きく見えていたからかもしれない。(そして、僕が常日頃、意味不明の嫌悪感しかもたない「ポロシャツの襟を立てる」という出で立ちだった・・・それを指摘すると「オレは今、好青年を装っている」ということだった)。伊藤君は以前からアピールしていたNHKの仕事も終わったようなので、落着しているかと思いきや今月末に締め切りの映画の脚本を仕上げなければならないと言っていた。///三人のランダムに展開する会話の端くれに観劇料金が高すぎるというトピックが上がった(僕が言い出した)。///「いったい何にそんなにお金がかかるのか?」と聞いたら「会場費」とおもちゃさんは言っていた。内訳の話をもっと聞きたかったが、そういうわけにもいかなかった。///演劇の入場料金の高さは今後、もっと問題になってくるだろう。例えば赤坂ACTでおこなわれる公演が1万円を超えていて、五反田団が1500円で、しかし五反田団を観た方がはるかに「満足度が高い」というオーディエンスもかなりいると思われる。そういう素朴な疑問を抱えている人はたくさんいそうだが、なかなか業界のトップクラスには届かないのだろう。そして芸能の世界にはどこかマフィア的なところがあって、どうにもつきあいきれないという声も、その筋の内部には、かなり堆積していると思われた。しかし、それもなかなか動かしがたい現実なのだとも思えた。///或る意味で映画業界にもその鬱屈的経済状況は言えることで、1本観るのに1800円って、それだけ満足度が持てる映画だったらいいけど、今の日本の状況から言って、満足している人がどれだけいるのだろうか?///(イタリアのアッパークラスとかと比べて)日本のだめなところは本当のお金持ちが言いたいことを言えない(ないし言ってはいけない)という強制力があって、経済的な議論をえんえんと回避しているところにあると思うのだが。///あと、写真家のアラーキーの話が出た。なんでも伊藤君がアラーキー関係のパーティに呼ばれて出席したそうで、ヒルズのグランドハイアットに足を運んだという。数年前、今よりも新宿に行っていたころ、アラーキーをよく見かけた。ひどい時には一日に2、3回視界に入ることもあった。なぜ、そこまでアラーキーが目につくのかと言うと、それはあのルックス(見た目の容貌)が覚えやすいからである。あれはローソンの看板とかファミリーマートの看板とかと同じ役割を果たしている記号なのである。これまで4、5冊の写真集に目を通したが、アラーキーの撮った女性の写真はそんなにいいとは思えないし、むしろ、「いやなもの見てしまった」くらいの感想しかもてなかった。だが、花の写真は僕はまあまあ良いと思う。なぜ良いのか?と聞かれてもちゃんと答えられないけれど。(2010-08-12)





・なぜか、30過ぎの男性が「80年代」についていろいろと聞いてきたので、答えることとなった。まず彼の関心をひくものとは、現在のファッションのトレンドにおける「80年代」である。(どうやら宝島社が出しているヴァンサンカン(25歳)よりかは若いロウアー・クラスの女性向けに編集されている雑誌を中心にアジテーションが始まっているらしい)。彼の説明する80年代ファッションとは、蛍光色、派手な柄、ダボッとした丈の短いパンツ、大きなサングラス、キュロットっぽい半ズボン、ハイカットのスニーカーというものだった。(なんだかレベッカのノッコみたいだ)。80年代をティーンネイジャーとして過ごした僕にとっては彼の説明はちょっと食い違っているが、おおむね「ベタッとした幾何学的平面性」を強調したものだったと言ってよい。求心的だったのはモノトンのボーダーシャツ、ドット柄のシャツ、そしてリュック・サック。黒ぶち眼鏡、髪型はショートボブかふつうのボブ。そして、カラスルックと言われたコム・デ・ギャルソンかワイズの黒一色統一系くらいが80Sのシンボリックなファッションだろう。60〜70年代のホットな季節が終焉し、石津謙介率いる「VAN」とかのアイヴィファッションを経由しつつ、シニカルでアイロニカルでキラキラポップでケーハクで、日常的には超テキトーなトキメキ・リップ・サーヴィスが幅を聞かせていて、「就職なんかしなくてもどーにかなるよな」的なご都合主義の第一世代を生みおとしてしまったのが、80年代であろう。(ご多分にもれず、この僕もそうだった、というにやぶさかでない。おかげでシューショクのシュもない)。だから、アムラーエヴァ移行の90年代の重々しい感じ(捏造された70年代回帰?)にはどうにも醒めたスタンスしかとれなかった。最後に、余談になるが矢野顕子の「ただいま」というアルバムと「スーパー・フォークソング」というアルバムを聴き比べれば、その音響を通じて、80Sと90Sの歴然かつ愕然とした差異が認められるだろう、と指摘しておきたい。そんなところか。(2010-08-11)