■芸術創造のための心霊研究会
勉強会らしきものは以前したことがある。古くは『マルクス、その可能性の中心』(柄谷行人)の読書会、『イデオロギーと国家のイデオロギー装置』(ルイ・アルチュセール)の読書会、そして『宇宙記号論研究会』(この会においてはミハイル・バフチンの『マルクス主義と言語哲学』をテキストに用いた)。
先日、第2回心霊研究会を行った。メンバーは2人。勉強会に相応しいテキストを選び、読書会(音読会)もかねてやるのが理想だが、テキスト選びの時点にこぎつけるまでは相互のレポート(レジュメ)の発表と、それに基づいた対話を繰り返すというスタイルがしばらく続くだろう。二人ともいわゆる「創造」に携わっているため、この勉強会は最終的に「形-作品の完成」へと結実するべく試みられるだろう。
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「お化けはなぜ出るのか」という2人のとりとめのない会話から、なんとなく勉強会でもしようか、と、「心霊研究会」の企画がもちあがったのだと記憶している。さて、「お化けはなぜ出るのか」という文に含まれているのは「お化けはきっといる」という断定的な信念である。あるいは「お化けっぽいものはきっとある」でも良い。ともかく日常的に行使している感性や理性で扱える範囲以上の「何か」がきっとある、ということだ。(その「何か」に対して働く悟性(カント)こそが自動回転すべきである・・・「怪物的な天才はきっといる!」という信念の作動と同じだ)。そして、その「何か」をひとまず「お化け」と指示しておき、実際の「お化け」の出現に際して、動揺したり不安になったりしないように未然に思考の訓練をしておこうというわけだ。ひとまず「わけのわからないもの(理性や感性の手に負えないもの)=怖い」という通俗的な直結回路を無効にすると同時に、われわれはむしろ「わけのわからない」不可知のお化け的領域を「絶対的な必要領域」と認識し、その領域をゆっくりと拡張していこうと思う。この拡張過程こそが「生産的な価値」へと結びつくよう工夫を凝らしながら。
テーマが広すぎるので問題の立て方が難しいが、まず「お化けは怖い」という単純明快な定式を立てて、それでは「なぜお化けは怖いのか」という問題から入ってみよう、というのが第1回、第2回の心霊研究会のお題目だった。第1回目は(「心霊」というタームとは別個に独立しているかもしれないが、)「怖い」という感情はいかにしておこるのかを僕の方から簡単にレポートした。第2回目はそれに応じて、相方が「怖い」感情を惹起させる対象の類型を列挙し、それらを吟味しながら対話を試みた。ここで詳しいことを語ることはすまい。いずれ、世に問うべき「問い」が生産された時点で、明らかにするべきことを明らかにしてゆこうと思う。(2009-12-14)