食品サンプル



食品サンプルでスパゲッティの麺にフォークがささった状態で浮いているものがある。
この浮いているサンプルのことが気になりはじめたのが、ちょうど図書館のバイトに行き始めた頃だったので、約3年前になる。
いろいろと散歩がてらにその「浮いてるサンプル写真」
(やきそばやラーメン、お好み焼きの具材やコーヒーのフレッシュなども含む)
を撮ったりしているうちに、
収集したいと思い初めて情報を得るたびに撮りに行っていた。
結果30枚ほどたまったのだが、次にスパゲッティナポリタンのサンプルの本物(本物のサンプル!)が欲しいと思い、
かっぱ橋に行って、「痛い出費だ」と思いつつも10000円くらいはたいて買ってきたのが1年半前くらいだろうか。
次に、このサンプルを使って映画をとりたいと思い、構想しはじめ、撮り始めたのが1年前くらい。
で、6月にやっとのことで試写(といってもほとんど関係者試写なのだが)にこぎつける。
これは短編なのだが、長い道のりを経ている。




ヴェンダースの『東京画』という作品に食品サンプルを作る小さな工場が出てくる。食品サンプルが日本固有のものだということは昔から知っていたが、かっぱ橋食品サンプル店で、外国人がおみやげに買っているところに実際遭遇して、「龍安寺の石庭」や「金閣寺」といった「本物の日本文化」に拮抗しうる、(キッチュの力と言ってもいいだろう)抵抗性が食品サンプルにあるのではないかとの考えがいや増しにつのってきた。僕は「本物」に感嘆するよりも「まがい物」のできのよさの方を好む傾向が昔からある。(だから、小林秀雄が骨董の魔道なんかを唱えても、どうもピンとこないし、本物が人間を苦しめているのなら、なぜまがい物の身軽さや面白さを好まないのか、とさえ思う)





そして「本物」は無数の「まがい物」の上に成り立っている、本物の魅力よりも偽者の魅力の方がよりいっそうの魅力を放つことがある。作家のクロソフスキーが教えてくれたのはそんなことだった。