可能涼介と歩く



2009年に行われるという前衛人形浄瑠璃芝居(?)の打ち合わせで上京中の可能涼介から電話。可能もぼくも1969年の関西生まれだが、一般的な意味で「気のあう同世代」というわけではない。「実は、フリッパーズ・ギター・・好きだったんだ・・・」系の同世代トークなどしたことがない(ぼくは好きでも嫌いでもなかったが、周囲の女の子がよく聞いていたので聞いていた)。読書遍歴なぞはいやでも似通っている部分はあるが、読書遍歴を通じて「映画についてどうのこのとか、文学についてどうのこうの」とか語ったことは一切ない。唐突に断言するが、彼を注目すべきなのは次の一点においてである。彼、可能涼介は恐ろしいほど偏執狂的に「路地」(中上健次)を注視しつづけている。ぼくは可能のことを「路地のデータバンク」とさえ思っている節があり、感心している。そして彼は12、3年東京に暮らし、ぼくは2年半だから、東京の「路地」の、その情報量はまったく違う。


5月6日、晴れ、朝10時30分に待ち合わせて、別れたのが19時30分。まるまる9時間、あちこちを練り歩き、撮影し、移動し、休み、食べたことになる。その間テープを回した。ほとんどハンディでぐらぐらの(というかふわっとした)画面だが、貴重な映像が撮れたと思う。ひさびさに東京を練り歩いたのだろう可能は「再開発で喪失した路地があまりにも多すぎる」とぼやいていた。


麻布十番六本木ヒルズの近所)あたりから東京タワーをめがけて歩いていると「港区三田五丁目」がある。古い家屋を取り壊しているブルドーザーが、がなりたてており、現場のお兄さんに許可を得て少し撮らしてもらう。そしてカメラを右にパンするとこれから高層マンションがたつのだろう、その基礎をかためるための、だだっぴろい土地に巨大な穴がぽっこりあいている。


その後、なぜか品川の居酒屋まで出て、夏場に撮影するだろう「路地、京都編」の構想を立てながらのみくいする。味つけがかなりしょっぱい。