aikoの『アスパラ』



たぶん、ミルク味のアイスキャンデーなのだろう、真夏の午後、からみつくような熱気にさらされ、それはみるみるうちに溶けていった。気がつくと白い液体が彼女の指にまとわりついていた。サッとティッシュで拭き取るのでもなく、ペロっと舐めるのでもなく、じっと、じっと見つめているしかない。アイスは、とっくに不味くなった。「あたしの心も不味くなった。」彼女はそんなふうに思う。




昼過ぎ、五時間目が始まる前の校舎のある一画。彼の視線を追うと、必ずあの子がいる。彼はよくあの子としゃべっている。「あの子と仲がいいのだろうか?」彼女は疑念を持つ。彼女は彼に仄かな思いを抱いている。「好き」というわけではないだろう、でも、彼があの子と笑いながらおしゃべりしているのを見ていると、いつも動揺してしまう。彼女は、彼の視線の先にいつもあの子の姿があることを知っている。そこで彼女は、彼の目の前をわざとらしく通り過ぎることを覚え始める。「もっと自分に気づいてほしいのに」。




ついに、彼女は彼に手紙を書く。「折れた鉛筆の先はどこに飛んでいってしまうのかしら」、そんなことを思いながら。でも、いつまでたっても渡すことができない手紙。




ある日の昼過ぎ、彼とあの子とが曲り角で一緒に笑っている声を聞いてしまう。彼女は一目散に廊下を走ってしまう。照りつける太陽。そして喉が乾いた。彼女は泣きたかったのに、しかし「それを認めるしかない」と笑ってしまった。




彼女は思う。「今年もまた思い出してしまうな、あのささやかな失恋話を決まって。あの日の汗の止まらない一時の廊下を、あの空、あの道、あなたの顔を。」




アイスは溶けたままだ。あの時と同じように、彼女はアイスキャンデーを頬張っては、指に溶かしてしまう。ある夏の日に、ふと目を閉じては、あの事を思い出してしまう。




aikoの『アスパラ』(2001『夏服』所収)とはこんな他愛もない乙女心をうたった唄だ。他愛もないから『アスパラ』なのであって、「トマト」や「グレープフルーツ」には至らない(トマトやグレープフルーツも他愛ないが、いくつかの理由でアスパラほどではない)。『アスパラ』という一語にこめられた寓意(アレゴリー)は、ぼくにさまざまな、この断片化された物語の余白を連想させてくれる。彼女(aiko)は「告白以前」を告白しているのであって、「好き」とか「嫌い」とか「告白して○だったか×だったか」という結果論からはほど遠く離れている。この歌詞に表象されている女の子の話は「男の子の視線をトレースする(なぞらえる)」ことから始まっている。「見てしまった」それがすべてである。しかし「見てしまった」が、悲劇のパターン(象徴的な意味作用)に陥らないのは、aikoが日頃からアレゴリー的な感性を大切にしているからだと思う。しかし、アイスが溶けて白くなった指をアスパラ(アスパラガス?)に喩えていると言えば、言いすぎかもしれないが。




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