読書ノート16 『戦争と万博』 椹木野衣

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前回の岡本太郎『神秘日本』をより多角的に捉えるための書物とも言える。この書においては、70年大阪万博の目玉と言える「太陽の塔」の制作主体である岡本太郎がたんなる前衛美術家に吸収される作家ではなくむしろ当時の前衛グループと結果的に対立してしまう存在になってしまった、という視座を与えてくれる。以下は男女の会話形式による感想であるが、本書を逸脱してさまざまなトピックとともに記述される。


🟢2025年の万博って現在時の進捗状況がどうなってんだか知らないんだけど、何か色々決まってきてんのかね?

🟠こないだ市ヶ谷のメトロ南北線の駅構内で万博のポスター見かけたけど。シンボルマークとして選定されたあの目玉が分裂生成?しているやつね。そういうPRの動きはちらほらあるんだろだけど、内実はわからないよ。金や利権が動き回っているだけなのかも。

🟢岡本太郎の特集展示だけど、2022年2月22日にオープンする大阪中之島美術館で決まってるよ。(7月23日〜)

🟠そうなんだ!東京でもぜひやって欲しいな。前前から、言っているんだけどね、なかなかやらない。

🟢南青山に妻の岡本とし子さんが館長をつとめる太郎のアトリエを改造した記念館があって、川崎には岡本太郎生誕地?の記念館があって、渋谷駅の京王井の頭線と東横結ぶ連絡通路に巨大な「明日の神話」があって少数だけどいつでも見れるっちゃ見れるし、やらんでもええかな、みたいな。それはそうと椹木野衣って、どんな人だか知ってる?

🟠詳しくは知らないわ、けど、2000年代以降の美大生が必ず通過する評論、批評系のディスクールだという感じがするわね。

🟢今ではそうかもしれないね。オレが若い頃はどちらかといえば音楽の人、とくにクラブミュージックの人だったしな。

🟠入口がそっち系だったもんで、ちょい面食らうところはある。ってこと?

🟢そうそう、なんと言っても『シミュレーショニズム〜ハウス•ミュージックと盗用芸術』っていう画期的な本が発売されて、これは京都で買っちゃいかんとなってわざわざ東京に行って渋谷の現在のLOFTが入っているビルの一階ワンフロア全部が当時WAVEだったのかな、そこで808STATEのOPTICALというMVを集めたVHSカセットと一緒に買った覚えがある。装丁もめちゃくちゃ良くてね。カッケ〜、ジャケ買い!みたいな(笑)。1991年の話。

🟠えらい前だね、その辺りのことは知らないわ。

🟢まあ知らなくていいけど。サブカルレトロ史っぽい話するのもなんだけど、ダンスホールレゲエというダンスステップ用に作られたレゲエミュージックがあって京都のRUB A DUBというバーなんだかクラブなんだかよくわからないところがあってそこにたまに行って遊んでたんだけど、同時期にクラブコンテナというクラブが京都の四条縄手にできて、そこで初めて大音響のハウスに触れてけっこう衝撃を受けた。もうめちゃめちゃクール、無機的でね。場がひんやりしてて、誰も話してなくて、ひたすら距離置いてミニマムに踊ってるだけ。みたいな。

🟠私の頃はもうクラブは衰退期でクラブからカフェへ、という流れだったな。

🟢そうかもしれないね。日本のクラブカルチャーは短命だったのかも。しかしそれ以前に桑原茂一がラジオの大阪FMだか大阪802だかで音楽番組やってて、そこでハウスをけっこうかけてて、エアチェックとかはしてなかったけど、へえ、こんな音楽があるんや、という素朴な感想は持ってたな。クラブとか行き出したのはそのあと。

🟠で、そのハウスとかいう音楽とシミュレーショニズムって関係あるんだとは思うけど、どういうことが書かれてあったの?

🟢ここでその話するとマジで長くなるから、控えとくけど、椹木野衣という人はのちに「REMIX」という主にテクノやクラブミュージックを取り上げた雑誌を立ち上げた人でもあり、相当音楽よりの人ということだったんだけど、いつの間にか美術一本槍の人になっちゃった。

🟠なるほど。

🟢ただ一つ言えるのは、高校の美術の授業では出てこない現代美術系の絵画作品(特に覚えているのはなぜか、ジャスパー•ジョーンズとマーク•ロスコ)とハウスミュージックの楽曲を<サンプリング><引用><カットアップ><再編集ーREMIX>などなどの概念架橋で並列的に論じてあったのがものすごく新鮮だった。ただ文庫化されて増ページ(増補足)になってて出た当時も知ってたけど、その頃はもう完全に醒めていたって感じかな。そういうことよくあるよね。

🟠そうね、タイミング一つで乗ったり、反ったりする。

🟢今回は『戦争と万博』を通読したわけだからそちらの方を先に語って行きたい。

🟠まず、この書は通俗的な万博紹介本では全くない。ありがちだけど昭和のカタログ見直して万博レトロを楽しみましょう。という本では決してない。

🟢だからといって硬質な美術評論ではないし、社会学的観点から眺め直したEXPO`70というわけでもない。

🟠そうね、前半は浅田孝というEXPO`70のコアメンバーの裏幕というか裏番という参謀本部長というか、ようするに表舞台には立って出てこない人だけど、ものすごく重要な人物、について言及してある。

🟢浅田孝は浅田彰の伯父に当たる人で、建築プロパーに留まる人ではなく、むしろ建築プロパーであると同時に建築一般を取り囲む外部性にものすごく敏感だった人だよね。

🟠まず著者がいうには現今で使用されている<環境>という概念を使い出したのがまずもって浅田孝だったということ。

🟢これには少々驚いたけど、浅田孝生前唯一の著作『環境開発論』(1969)の時代はまだ<環境>という概念はマイナーだった。

🟠今やもう幼少の頃からうんざりするくらい聞かされているよね、環境。

🟢地球温暖化エコロジーという文脈で必ず◯◯の環境がどうのこうの、とか言うんだよね。

🟠そうね、いつだったか環境博というのもあって、<環境にいい=絶対善>という自動律が形成された時代を今は通過しているわけね。

🟢この書では瀧口修造も大きく取り上げられているんだけど、瀧口が主導していた「実験工房」グループを60年代に引き継いだ「エンバイラメントの会」でも1966年に展覧会のタイトルとして、「空間から環境へ」をあげている。

🟠『環境開発論』の3年前だよね。

🟢「実験工房」はむしろ50年代が実績の宝庫としてあったんだけど、インターメディア性、脱ジャンル性という今では当たり前になっていることを国内ではもっとも早い段階で実現させていた。いつだったか岡崎乾二郎の特集展示が清澄白河の現代美術館であって、2階のスペースでは他でもない<実験工房>の特集展示が行われていたね。宣伝もあまりしてなかったし、地味な印象を受けたんだけど、とっても貴重な機会だったと思う。

🟠当時は写真はモノクロで、印刷物もモノクロだから、60年代のポップさの影に隠れているというか会場自体が地味なもんだったね。山口勝弘のあの「ヴィトリーヌ」はエレガントな三次元オブジェだけど、そのとき初めて本物見て感動したな。しかし、作品で印象に残っているのはそれだけで、確かシェーンベルクの「月に憑かれたピアノ」の日本初演時のコンサートパンフレットとか、そういう資料的価値のあるものが多かったような気がする。

🟢著者の椹木野衣はEXPO‘70のアートディレクションはむしろ<実験工房=エンバイラメントの会>グループが牽引すべきだった、的なことを微妙に言ってたけど、<環境>という精神はまずは浅田孝によって完全理論的に引き継がれた、と言っていいのかな。

🟠同時代的に具体グループやネオダダなんかがあったけど、そういった土着の前衛主義は万博には巻き込まれずにすみ、元実験工房組のメンバーおよび関係者が巻き込まれていったことは確かよね。

🟢要はモダニズム近代主義の延長としての現代主義)の実現という意味で言えば、磯崎新を筆頭に、武満徹などの元実験工房のメンバーを含めての反土着の前衛を主軸に人選せざるを得なかったのかな。にしても岡本太朗はどちらかといえば芸術制作上のコンピューティングなんぞには興味ない、という意味では土着よりの前衛だったとは思うんだけどな。それはそれとして、芸術が持つ<機械>に対する憧憬ってあるんだと思うけど、瀧口修造の50年代の<詩的実験>なんかは19世紀の産業革命が持った機械生産のインパクトから20年代デュシャン、イタリア未来派も含めた機械主義的美術を経て戦後の荒んだ日本でどう機械を捉え直すべきか、ということであり、瀧口の本領は<環境>なんかよりもそっちにあったんじゃないか。

🟠どうなんだろ。瀧口修造についてはあまり興味のとっかかりがないしわからない。そういや、若いころの荒川修作がニューヨークに渡るとき、瀧口修造がキャッシュで大金くれた、ということが塚原史の荒川本『荒川修作の軌跡と奇跡』に載ってたことを今思い出したけど。

🟢そうなんだ。あまり口の端に登らない人だけど、本当はめちゃくちゃ重要人物なのかもしれないね。

🟠あと、あまり時間がないので、パーっと語っておくと、糸井貫二、通称ダダカンと名乗るダダイストが万博開催中に太陽の塔に昇って事件を起こしているんだけど、そういうテロルというか、ハプニングというか自己衝動に駆られたパフォーマンスを著者は結構評価しているように見えて、やはりそういった偏奇的事象(ルクレティウスエピクロスのいうクリナメン)をあらかじめ捉えていない、として浅田孝の直線思考を最終的に批判してたりもする。ここはどうかな?

🟢どうかな?と言われても…。椹木野衣はその前にハルマゲドン•チルドレンとしてヤノベケンジ村上隆を取り上げているけど…

🟠要は原爆投下後、敗戦後の日本がまだまだ続いていることへの自覚よね。ダダカンにしてもそういう反省的意識は多分にあった。

🟢そうね、ヤノベ、村上の世代の戦後処理的な想像力の方を評価する上ではダダカンのことも忘れちゃいけないよ、ということなのかな。

🟠赤瀬川原平ハイレッドセンターが行った銀座の一斉掃除運動とかは段々とジェントリフィケーションされてゆく衛生都市(具体的に清掃したのは銀座)への批判をシニカルにパフォーミングしたんだろうけど、著者がどういう繋がりで評価してるのかわからなかったわ。

🟢そう、この著作の構成自体わりかしざっくりと大きな飛躍を含みながら進行していて、漫画評論の石子順造なんか、どうやって万博と結びつけるんだという気もするけど。

🟠ぜったい強引につなげてるところあるよね。戦時中に行った日本の植民地政策の一つとして満州国建設というのがあるけど、甘粕大尉中心に行った文化政策を万博という<進歩イデオロギー>に結びつけて指摘しているところもだいぶ強引感はあった。

🟢元々美術手帖に連載されていたものだから、ワンテーマを持続的に追求するのが難しかったんじゃないの?

🟠2025年の大阪万博開催に向けて、さまざまなアウトラインを張っておく、というかそういう感性を持っておいた方がいいとは思うんだけど。

🟢そうね、それでこの本読んだのかもしれない。

🟠いずれにせよ、帯文に印刷されてあるように<戦争>という切り口で万博を捉え直してみるということ。

🟢万博のもともとは先進国同士で<どの国が一番先進的か>ということを争いつつ、なんとなくそこで勝ち負けを決めちゃうボードゲームみたいなもんだよ。次に商品価値のあるなしをそこで決めてかかって、各国の商社マンが口約束であれ取引の契約を結ぶ、そういう<マーケット=商品棚>としての万博だということね。展示会、見本市、モーターショー、ゲームショー、家電ショーとか色々あるけど、そういう催事を国際的単位で初発に支えてきたのが万博だったんじゃないの?知らんけど。

🟠でた、大阪方言<知らんけど。>。

🟢岡本太郎のある種の<前衛>を支えた<土着性>なんかは先述した「神秘日本」なんかを読めば丸わかりなんだけど、<モダニズム=科学的進化>にそぐわないものとしてあの太陽の塔の呪術的なコンセプトがあったとしたら、それはそれで大したもんやな、という気がする。

🟠やっぱりパリのソルボンヌで人類学やって、特にマルセル•モースに師事していたところがすごく大きくて、やはり当時は東京よりパリの方が学術的には先進的だったとは思うんだけど。

🟢資本主義のパターンがどうなっていくかヨーロッパから学んだところは大きかったかもね。ある程度進化したら土着に回帰してしまうパターンとかはヨーロッパの方が先だったわけでしょう。

🟠それこそお雇い外国人のモースが大森貝塚発見しなかったらどうなってたんだという…

🟢それこそ民俗学民族学も人類学もパッとしだしたのって70年代あたりからでしょう。それもヨーロッパの考古学的な知が遠因になっていて、日本人には編み出せなかったんじゃない?

🟠明治時代の文明開化の暴力性みたいなものをいまだにひきづっている感はあると思うけどね、それと裏腹に<海外の動向が気になる>現象がずうっと脅迫的に続いているような気がする。<日本人は自発的に海外を気にする>んじゃなくて<君たち日本人は受動的に海外を気にせよ>という命令の負荷がいまだに日本人にかかっている、と言いますか…。

🟢そうかもしれないね。話すっ飛ばしていうと、「別に世界がどうなろうがいいんじゃね?コロナだし、今のうちに楽しんでおこうぜ!」というニヒリズムがますます蔓延するんじゃないだろうか?と真面目に危惧したりもする。

🟠一方で資本主義のことを改めて考え直し、実践に移してゆくという資本主義アレンジもどんどん進んでいくとは思うよ。

🟢個人的なことで申し訳ないけど、ここ一ヶ月ちょい突発的な病気でほとんど家籠っていた(断酒しながら)んだけど、iPadWi-Fi環境とお絵描きアプリと音楽&映画サブスクと数冊の本とタバコとコーヒーと食料があれば一日あっという間に過ぎ去っていて、本当に<時間足りません現象>が増大したという感覚があって、要するに「買い物に行く←モノが欲しい」ということがますます必要無いことになってくるわけ。

🟠どうしても欲しいものだけアマゾンで買えばいい。

🟢そうそう、今回は食料も買いに行けないほど、痛風足がひどくなって、生協がやっているpal-systemというやつを申し込んだけど、そうすると生活コストを下げて行く方向に感性がどんどん進むわけよね。これってどうなんかな。とフト思うんだけど。

🟠だからこうやってブログなりに書くという行為がメタ•ルーティンになっているんじゃないの?

🟢日本国憲法が制定している<国民の最低限の文化的生活>ってまさかこれだったのか?!とも思える。それはそうとpal-systemって生活協同組合だから、つまり株式会社ではないから、儲けなくていいわけよね。投資先であることをあらかじめ否定している<会員の協力協同>な組織なわけだから組合自体の成長もないし、働き手の給料もさして伸びない(?)。要は資本主義が持っている自己成就ロマン、社会成就ロマンなんかは必要としてなくて、ひたすら淡々と生きてゆくにはこれでいいじゃないすか?という開きなおったところがむしろすごくクールに感じられる。

🟠万博=商品棚から世俗に明け渡された市場=商品棚って結局「新種のモノたち」が競争にかけられて売り手と買い手があれこれ画策しながらけっきょっく<頑張る>んだよね。Amazonのタイムセールとか言って…。協同組合のコンセプトってシャルル•フーリエの『四運動の理論』が性風俗までを射程に入れて妄想含みで展開していたりして面白いんだけど、結局<頑張らない>という気がする。これも古典的な意見かもしれないけど。

🟢そうそうpal-systemって玄関先にケースがドーンと即物的に置いてあるんだけど、その中にデリヘル嬢が入ってたらどうしよ?とかいうそこの想像のロマンはある。なんとなくSF的でオレは結構気に入ったな。

🟠今回は椹木野衣「戦争と万博」についての書評会話でしたが、全然関係ないところまで脱線しちゃったので、このあたりで終わります!では!

 

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浅田孝『環境開発論』(1969)

 

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シャルル•フーリエ『四運動の理論』(1808)

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pal-systemのキャラクター「こんせん君」(2004)(かわいい)

 

 

 

 

 

 

 

読書ノート15 『神秘日本』 岡本太郎 

 

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先日「太陽の塔」(2018)というドキュメンタリーを見て、あらためて太陽の塔および岡本太郎につていて考え直してみようという気になった。その前に観賞直後Twitterで呟いたことをまずは再録しておく。

 

 

ドキュメンタリ「太陽の塔」7割くらい観。太郎スローガン「芸術は爆発だ!」のマスイメージを解体せんとする意思を感じる。学者やそこそこのアーティストらが饒舌に喋りまくりウザく感じられ半分スルーしていたが、西谷修赤坂憲雄の真摯な話は勉強になった。民芸運動にも通じるスタンス?了解。

 

 

太陽の塔」つづき。椹木野衣が「人類が滅亡し、地球が荒廃したあとに、ただそこにある太陽の塔」を仮定しながら話しているくだりがなんとも言えない…太郎が生きた社会の最大限のポトラッチ(蕩尽行為)であり、GIFT(贈与)であったが、最終的に殺すに殺せない儀礼的供物(呪物)と化していくという視点…

 

 

このドキュメンタリーは赤坂憲雄を出演させ、大いに語らせたことによってだいぶ引き締まっているように思えた。一見太郎とどこに接点があるの?と思うが、美術品=呪物という視点があってからこそ。若き太郎が学んだバタイユが設定した「太陽=呪われた部分」を意識されてるのかどうかは知らんけど。 

 

 

2025年に大阪万博が開催される予定であり、タイミング的には第一回大阪万博(1970)のあれこれについて考え直しておくいい機会だと思われる。それ以上に、太陽の塔はすでに2020年、国の有形文化財に認定されており、<永久保存>が決定しているという意味で、「永久に考え直す」タイミングを常に外の世界に放出していると言える。

 

岡本太郎といえば「芸術は爆発だ!」のおじさんであり、私も子供の頃テレビで何度かその姿を見た記憶がある。当時はさして岡本太郎の作品には関心を持つことはなかったが、小学校の夏休みの地蔵盆で日帰りのバス旅行イベント(地蔵盆というのは関西特有のものかもしれない、こちらでは見かけたことはない)があり、町内のみなさんと万博公園まで出かけた記憶がある。その時にはじめて太陽の塔を間近に見た。不気味さは感じられず、ただ「でかい、でかすぎる」ということだった。

 

ただ70年代の当時「芸術は爆発だ」というマスイメージを与えてしまったことによって、岡本太郎のイメージが決定してしまい、そこでそれ以上のことを知らずに通過してしまった者は少なくはないだろう。私もそのうちの1人だ。後年、ジョルジュ・バタイユを含む社会学や美術関連の著作を読んで、岡本太郎との関係を知るわけだが、バタイユや当時のシュルレアリズム(というよりも反シュルレアリズムのレアリズム)のグループと接近していた頃に、「日本のことをもっと知らなくては」ということになったのだろう。日本で通常暮らしている時は自分が日本人だと意識する事がない。海外に出て初めて自分が日本人であることを意識するのだ。これは誰にでも起こることである。特に他国に接した地続きの大陸ではなく、海によって閉じられた島国の日本であれば、なおさらそうなのである。

 

『神秘日本』全てに目を通したわけではない。ここでは「オシラの魂ーー東北文化論」を取り上げて感想を述べておきたい。以下は男女会話形式による感想文だと思っていただきたい。

 

 

🟢まず、東北という実際の物理であり、概念であり、人々の持っているイメージのことだけど、東北って特に関西から関東に出てきた僕にとっては、やはり未到の地であり、それゆえに興味がそそられるという気がする。

🟠そうよね。関西だったらどちらかといえば沖縄への憧憬が強いんじゃない。

🟢沖縄の人は関西にたくさんいるしね。そうかもしれない。関東に住んでても、あ、この人東北だなという人は本当に稀にはいるけど。で、なんとなくの意見だけど、子供の頃は民話に出てくる鬼とか、妖怪って東北のものだという印象があった。

🟠そうね、あと演歌や歌謡曲で東北の侘しさを表現している歌、そういうのはあったでしょうね。私も露骨な東北弁喋る人って出会ったことないし、テレビドラマや映画なんかで東北弁を聞いたくらい。そういう人が多いとは思う。

🟢東北ならぬ北東といえば、それは鬼門だけど、これは全国共通なのかね。

🟠さあ、どうかしら。家の引っ越しで北東に玄関がある家は避けるというやつね。

🟢歴史的には北東を忌み嫌うというのは近代の?家相学に基づく北東封じ(鬼封じ)から強くなったのかな。

🟠もっと昔からあったんじゃないかしら。しかし、鬼門封じという世俗感情における北東に対して、政治的には、北東は「征夷大将軍」という<蝦夷>(えみし)を征伐するという政治的措置が奈良平安の朝廷時代から江戸幕府にかけてずっと続いていた。

🟢征夷大将軍も日本史の授業で習ったね。坂上田村麻呂だったっけ。

🟠奈良朝廷、平安朝廷においては、蝦夷の<夷>(つまり征夷の<夷>)が東北を意味していて、江戸が中心になって以降は東北に加えて北海道も加えられるようになったんだって。

🟢そうなんだ。それじゃあアイヌとかも含むわけだよね。

🟠おそらく。

🟢岡本太郎のこのテキストにおいてはアイヌは取り上げられていない。どちらかといえば、恐山中心のレポートとその感想なんだけど、まずは恐山ていうのは日本の三大霊山の一つ。

🟠京都の比叡山、和歌山の高野山、そして青森の恐山ね。

🟢恐山て最初なんで知ったのか覚えてないけど、なんでか知ってたよね。

🟠なんとなく、「イタコというすごい人たちがいる!」というワイドショーなり、週刊誌なりに取り上げられて、脚光を浴びたんじゃないかしら。

🟢70年代のことかな。いつ頃だっけ?

🟠正確には忘れたけど、この太郎の「オシラの魂」が中央公論に掲載されたのは1962年で、恐山参りに行った時、首からカメラぶら下げたジャーナリストがわんさといたという記述もあったので60年代の時点で何らかの脚光は浴びていたのかもしれない。

🟢そうかもしれないね。寺山修司が作品に恐山を入れ出したのはどの辺りになるんだろ?

🟠調べたけど1962年に恐山というラジオ番組をやっている。

🟢そうなんだ。僕は実験映画も劇映画も全部見ているけど、ラジオか。しかし1962年といえばこの<オシラの魂>が書かれたのと同年じゃないか?!

🟠そうよね。だからこのあたりは一時的な恐山ブームだったんじゃない?調べたら大正時代にも恐山ブームがあったらしいけど、これは調べてもわからなかった。

🟢で、太郎のテキストに戻るんだけど、まずイタコという盲目の老女がいて口寄せをする、それを見るのが一つの観光目的でもあり、ジャーナリズムやルポの対象ともなっていた。

🟠口寄せとはどういうこと?

🟢全国の参拝者の中でたとえば「死に別れした相手と会いたい」とか「少しお話しいたい」とかなるとイタコが口寄せして、目の前の生者との媒介(霊媒)になって会わせてやるという儀式。ここで太郎が次のように捉えている。↓

 

つまりここは人生をいわば最低の条件で生きぬいてきた人たちが、はじめて自分の本然の姿を見いだす場所。死者と生者の交流の広場。不当に死んだ魂と、ただ今、この世で現し身の重荷に耐えている人たちの生霊が、親身にふれあう、魂の広場である。この荒涼とした場所は恐らく婆さんたちにとっては豊かに彩られた楽園なのだろう。私には見えない、聞えないけれど、ここいっぱいに音のない楽が湧きおこり、見えない色が絢爛とひらいているに違いない。現代の都市生活で、自然から断ち切られた市民たちが公園に行って心の安らぎを得る。ちょっと手 続きは似ているが、しかしそんな便宜的、功利的なものではない。この広場には生命全体の切実な感動がある。

 

🟠実際行ったことないからわからないけど、霊山参りというのは、単なるお墓参りとは違う儀式的なものなのね。

🟢えも言われぬ別れ方をしてしまったり、そういう現世の絶望を切実に抱えた人らがやってくる、ということなのかな。

🟠太郎はシャーマンとしてのイタコの内面世界をすごく肯定的に捉えているということね。

🟢そうだね。この1962年あたりにはどういう作品を作っていたのかな?恐山と関係あるもの?

🟠調べたんだけど、1963年に<装える戦士>というシリーズものを作っていて、パッと見て「どこが恐山と関係あるんですか?」というもので、作品と言説とは一旦切り離して考えてたんじゃないかと思えるし、<装える戦士>は太郎自身のことかな?というふうにも捉えることができる。

🟢そうなんだ。しかし、これだけの分量あるテキスト、しかも表現力に富んだテキストを書くっていう才能があるんだよね。とりあえずは。

🟠そうね。パリに留学して、おそらく仲良くなったバタイユに「お前は日本のことわかっとらん!俺はラスコーの壁画まで調べ尽くしてヨーロッパ美術を理解しようとしているのに!」と叱咤されたんだと思うよ。

🟢外圧からくる日本回帰ってまあパターンだよね。

🟠そう。太郎はむしろそういう国家とか民族すらも超える人間の根源的なものに対しての憧憬がすごくあったしありすぎたとは思うけど。

🟢それは次の文面なんかに表れている。↓

 

 

絵画なんて、すでに好かれるという要素のかたまりのようなものだ。したがって逆に、猛烈に好かれない工夫をしないかぎり、呪術的エネルギーは生かされないのである。あたかも色、形、その美しさで人を説得しているように見えるかもしれないが、実はそうではなく、裏にひそんだ、外貌とはおよそ違ったもの。それが力となって、受けるもののまったく油断し、自覚してない場所でひっ捉えてしまうものなのだ。芸術の話になってしまったが、この問題は別に十分展開する必要がある。ここではいささか飛躍するが、呪術には、このような矛盾が絶対条件である。否定・肯定。愛憎。信・不信。ところで、口よせのとき、イタコにはまず、おろして貰いたい仏の亡くなった年だけを告げる習わ した。 昭和十八年の仏だとか、明治三十年の仏だとかいう。あの世では、仏は年別に整理されているらしい。その点、アストロロジー(占星術)で生年月日、時刻まで報告させて、シチ面倒くさい計算の結果、納得させられるよりも、この方がはるかに簡単でよろしい。

 

🟠<猛烈に好かれない工夫をしないかぎり>ってわかるわ!しかし、呪術的エネルギーって一言で言うけど、どういうことなんでしょうね?

🟢このテキストが収められているのは『神秘日本』なんだけど、太郎が神秘を追いかける、という神秘性を感じてしまう。

🟠この世のほとんどが神秘的でない、自明のものであると前提して、ここに行けば神秘があるんじゃなかろうか?と、いうふうに神秘を追っかけるということね。それこそ神秘を求めるにはある種の憑依がいるんじゃないかしら?

🟢そう。そこが僕はちょっと批判したいところなんだな。

🟠どうしてよ。

🟢それはあとで説明するとして、恐山ってのは寺の管轄なんだよね。個人の持ち物でもないし、企業の持ち物でもない。

🟠そりゃそうでしょうに。

 

 

本殿に行く手前、左手に本堂がある。恐山はふもとの田名部町の、曹洞宗円通寺の管轄。 つまり禅寺である。今度の祭りにも、そこの住職がのぼって来て「上山式」というのが行われるのを見た。本殿の左手からサイの河原がひらけることはすでに言ったが、この山全体が地獄・極楽の民衆的イマジネーションの不思議な舞台になっている。仏教的因果のヴェールをかぶってはいるが、その底にははるか古代からの、死霊の山としての信仰がある。死者の霊は恐山に行く、と信じられた。「お山さ行ぐ」というのは死ぬことである。今でも、病気が重くなってきたりすると、「あれはもう、お山さ行ぐんでねか」などと、ごく日常に使っている。一方、山門の右手、便所の建物の中には、男根型の石がキモノを着せられて、まつられている。コ ンセイ様である。繁栄、豊穣を祈る民間信仰。 これこそ、そもそもこの霊山の御本体だという説をなす人もいる。

 

🟢禅寺というのに少々驚いたな。

🟠どうしてよ。

🟢ジョンケージが龍安寺に行って、ポツネンと置いてある石庭の石を見て、点描奏法を閃く、とか、そういうメディウムが禅寺的なのかな、とかそう思っていた。

🟠確かに。太郎の記述を見てみると、恐山とは<カオティックなエネルギーに満ち満ちた空間>という捉え方してるよね。↓

 

 

 

それにしても、何とニギヤカなことだろう。こういう互いに関係のない宗教、信仰が勝手に集まってきて、それぞれ強弱さまざまのニュアンスで生きている。 あらゆる不条理が、別に矛盾も感じないで、一つの雰囲気となっているのだ。いったい禅寺の坊さまたちはこの異様な周囲をどう感じ、どう処理しているのだろう。純正で、正統的であるべきはずの仏教が、己れの領域にこのような、いわば邪教ともいうべき異質の侵入を許してよいものだろうか。とかくキリスト教その他の世界宗教の厳しさを知っていたり、もの事の筋をとおしたくなる近代人の常識は、そんなことが気になってしまう。

 

 

🟢太郎ののちの発言「芸術は爆発だ!」の経験的な根拠がこの文から感じられたりするんだけど。というのはここでは正邪混濁のエネルギーが語られたりするでしょ。それは爆発を生む<対極>であると言える。

🟠なるほどね。実際恐山に行ってみればわかるんだろけど、イタコの老女の生態とかどうなんだろうね。最近は数も減っているって何年か前に聞いたけど、さっきYouTubeで調べたら「最後のイタコ」という人が2人出てきた。どっちやねん?という。

🟢イタコは恐山に常駐しているわけではなく、東北に散在していて、出張するような感じで恐山に来ていたらしい。

🟠そうなんだ。盲目だから一応障害者手帳持っているわけだけど、別の仕事とかもしてるのかな?

🟢東北っていえば瞽女(盲目の三味線弾き)の発祥でもあり、『はなれ瞽女おりん』という篠田正浩の傑作(の映画)があるけど、先天性の盲目で生まれてくる女性の確率が多いのかな?

🟠さあ、それは調べればわかるんじゃない?日照時間はとりあえず短いだろうし、農作物も取れるところと取れないところが極端に差があるらしいね。

🟢作家で言えば青森では太宰治寺山修司、、

🟠それしか思いつかない。

🟢大宰の生家にたまたま寄ることになって<こんな洋館で育って気の毒に・・>と茶化している記述もあったな。

🟠それはそうと、川崎に岡本太郎記念館があって一度行ったことがあるけど、山の中腹にあるのよ。すごい行きにくいところだった。

🟢あのあたりはね、多摩川が長年かけて土地をめちゃくちゃに削りながら蛇行しているところでカーブ外側の土地の起伏がすごい激しいんだよ。それが山と谷になっている。

🟠そう坂道のアップダウンがすごい。

🟢何回も土地を削ったり、それによって持ち上がる土地が出来上がってああなってるんだってよ。水と土の弁証法唯物論

🟠二子玉川の駅降りて橋を渡ったあたりに岡本かの子(太郎の母)の何だかわかんないけど石碑が立ってたな。

🟢幼少期には川崎に住んでたんだよ。そんで、太郎の墓は多摩霊園にあって、だいぶまえだけど、友人と真夜中に行ったな。探すのにものすごい時間かかった。脇に作品だか変なオブジェ置いてあったの覚えてる。ちゃんとしたお参りはしてなくて酔い覚ましにノリで行っただけだけど。

🟠そういや川崎の子供時代の回想が一箇所あって印象的だった。↓

 

かつて中央の神社仏閣でも、その周辺はとかく乞食やライ患者の巣であった。私は子供の頃、両親につれられて川崎の大師さまに初詣でに行った。門前町の狭い道すじの両側、お堂の周辺まで、おびただしいライ病患者が物乞いしている。その時初めて見た、くずれ腐れた姿に度胆をぬかれた。しかしそれは一種の神秘的な戦慄だった。浄とけがれ。相方は人間の条件として、互いに強調しあっているのではないか。ヨーロッパでも、カソリックの聖堂の屋根に彫られた怪物、あれは空を飛翔する悪魔を逆にたぶらかすためだといわれているが、しかし厳格な教義、信仰のかげに、あんな奇怪なデモンがひそんで、バランスをたもっているとも言える。

 

🟢これものちの芸術爆発説とその理論的基礎概念である<対極>の経験的根拠となっているような発言だね。本当は爆発は<対極>の結果ではなく、<構造>の結果であり、<構造>が<対極>を取り組んでいる形になるんだけど。まあそれは置いとくとして、太郎の絵ってどちらかといえばグロテスクなものが多くて、シュルレアリストの中では、というか、シュルレアリストを除外された画家だけど、アンドレ・マッソンとタッチが似ていて、色彩の明暗比が決定づけている何かがあるよな。その明暗比が<対極的>といえばそうなるのかもしれない。

 

🟠そう思えるよね。この文においては、日本ではその相対を神社が担い、ヨーロッパでは教会が担い、という差異もみようとしている。しかし、らい病患者の人ってやはり昔は普通に外歩いていたというのが驚きだ。

🟢らい病院自体があのあたりになかったのかもしれないよ。そうからい病院自体がまだなかった。隔離政策が本格的に取られたのはもっと後になってのことかもしれない。

🟠いずれにせよ、子供のころの感受性というのはのちの感性や思考に影響与えるものであって、今の子供らは『鬼滅の刃』とかで我慢してるんだろうけど、もっとリアルなものをリアルに体験させる環境もないとね。

🟢そうだね。まあコロナ禍のステイホーム以降はますますディスプレイカルチャーになってきているというか、オンラインイベントって言ってもディスプレイで見るだけだからね。イベントにもならない。

🟠そうね。だからこそ、こういう研究であれ、遊びであれ、遠征した上でのルポルタージュなんてほんとに素晴らしいと思うのよ。

🟢太郎がこれだけイタコというマイノリティーに目を向けてたとは知らなかったし、それは太陽の塔とか明日の神話、その他の絵画作品見てるだけではおそらく全くわからないよね。

🟠何となく、サブスクリプションで『太陽の塔』を見てしまって、民俗学者赤坂憲雄の発言に共感するものがあって、この本を読むことにした。太郎の原始趣味というか、根源追求というか、深いところから見出せるだろう新たな<太郎像>みたいなものがこれから必要とされているのかもしれないね。と個人的には2025年までにキャッチアップして欲しいな。まあ万博開催されるかどうかわからないけどね。

🟢続けてイタコの発見から縄文土器の発見に至る過程も復習しておきたいんだけど、恐山に行った時点ですでに縄文土器について触れている文章があった。↓

 

この盲の霊媒、イタコ自体は何なのだろう。古い民衆の信仰の名残りの一つであるに違いない。 いろいろ言われているが、いずれにしてもかつて歴史の暗やみの中で、それが一種のシャーマン的存在であったことは確かだろう。北方アジア民族の世界観は天上の神の国と、 現世と、地下の世界と、垂直の関係に構成されている。 その交流、交通の媒体となるのが、神秘的な霊能をそなえた呪術者、シャーマンである。 太鼓などをうち鳴らして入神する。それは神経症の現象とも、自己催眠ともいわれ、「北極のヒステリー」と名づけた学者もいるが、先天的に異常な人間が、修練をへてシャーマンとなり、自在に霊がのりうつるようになるのだ。呪術を行い、予言する。儀礼の間は恐れられ、あがめられるが、ふだんはたいていコジキ同様に軽蔑されている。このような神秘はかつて日本全土をおおっていたと考えられている。歴史の奥深くかくされた原始日本。縄文文化の土器、土偶の、奇怪な、呪術的美学がこの気配に対応していないだろうか。また大 湯で発掘されたストーン・サークル。地の底の呪文のように謎を秘めている。 すべてが、民族の暗い情熱をわれわれに呼びさますのだ。東北地方は久しい間、「化外の地」として中央文化からとざされていただけに、この彩りはより濃くここに永らえたのではないか。p22

 

🟠コジキからシャーマンへの飛躍とか、学術的には「聖俗二元論」というのかな。しかしわかりやすい図式で、それはそうだ、間違っているわけではない、というしかないんだけど国家制度はすでにその二元論は飼い慣らしていると思うわけね。だから爆発は対極からではなく、構造から。

🟢そうすると、<「化外の地」として中央文化から閉ざされていただけに、この彩りはより濃くここに永らえたのではないか。>という最後の文は、中央集権がもたらした高度経済成長と、そこから徹底的に疎外された東北という疎外論自体が対極的なものの帰結として捉えることができる。

🟠なんだかんだ言って、中央集権の産物として東北があるしかなかった。

🟢そうだとしても、太郎はやはり、個々のイタコの生命なり実像にもっと肉迫したかったわけで、そこまでのドキュメントやフィールドワークをやる時間的余裕がなかったんだよね。おそらく。次のように書くのが精一杯だった。

 

運命の惨めさからいえば、イタコの方がはるかに深刻だ。生まれながら盲目か、あるいは幼いとき に失明して、生活能力のない、いわば人間失格の女性ばかりである。そのむごく押しつぶされた眼。 われわれはそれに憐れみをもつよりも、一種の憧れをまじえた神秘感をおぼえる。その憂鬱、激しさ、 ゆがみ、ハキダメである。それは、世の不幸の象徴だ。そういう異常な人間像のみがもつ神聖感。 ――それがゆえに、常人をこえた力をももつのである。見えないからこそ見ぬいている。われわれの 見ないものを見ている。 目も耳も口もない、あのほうこと同じだ。人間になりそこなった悲しみ。 常の世と断ち切られているために、内へ内へと凝視するあの不気味さ。p24

 

🟠イタコの誰それではなく、イタコ一般として書いている限界ってことかな。

🟢そうね。まあこれだけ書くのも相当な気概がいったと思うけど、<イタコ一般=社会的弱者一般>として捉えてる時点で、もうこれは今でいうポリティカルコレクトネスとして扱われてしまう。誰も文句言えないんだよ。

🟠そうかもね。しかし、掲載された「中央公論」という雑誌の名前自体が中央集権的だな。

🟢東京に住んでてなんだけど、もはや中央ー周縁のモデルではやっていけないし、ネットやSNSのおかげで個々の意識やイデアは全くバラバラに動いているのが現実でしょう。今は世界的コロナ禍で一見、集合コロナ無意識というか、コロナ同期性が確保されているように見えてるけどね。現実は恐るべきバラバラ。そのバラバラさ加減がネットとSNSによって可視化されただけなんだ、とは思うけど。

🟠そうね、あと岡本太郎フェミニズム関連って繋がりあんのかな。その辺のトピックを強く感じたんだけど、しかし、時間が来たのでこのあたりで終わり!

🟢まあちょっとした批判も含めて岡本太郎について感想を述べたけど、素晴らしい人物ではあるし、尊敬すべき点はいっぱいある。にもかかわらず、というか、それゆえに、ちゃんとした作品評が欠落しているという印象があるな。これからの課題かもしれない。では!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

読書ノート14 『ルポ 京アニを燃やした男』日野百草


 

 


『ルポ 京アニを燃やした男』 日野百草

 

 

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 (以下Twitterより転載)

『ルポ 京アニを燃やした男』(2019.11.30初版)一気に読了。事件が同年7月18日なのだから、4ヶ月ちょいでこの書を上梓したことになる。北関東〜京都という犯行ルートを自身の足でトレースしつつ聞き取り行い、再録してあるが、良くも悪くも事実列挙に終始。(9月10日)

 

あと、宮崎事件以降のアニオタバッシング社会を奇跡的に塗り替え、国是のクールジャパンにまで昇華させた「京アニ」、というストーリーがあるらしいが、アニメ文化にぜんぜん興味無いおれみたいな読者を想定して書いてるのかというと、そうではない。著者のアニメ愛からくる主観が強すぎと思った。(9月10日)

 

 

(以下会話形式による感想)

 

◉上記のTwitterの転載は二つ矛盾していると思うんだけど?

◼️どういうこと?

◉前のツイートでは主観を廃して著者が書いている、つまり事実に即応した虚飾なき客観的な記述だから、かえってつまらない、とし、後者では客観的な記述ではなく、著者のアニメ愛(というよりも京アニ愛)が主観的に突っ走っていて、そこが記述としてダメだ。と。

◼️そうかもしれないね。ただ、全体的に内容が薄いとは思ったよ。わずか4ヶ月の間に作られた本だから、行動的にはものすごい早いと思うし、事件直後に週刊誌やらの記事を隈なくリサーチしてないと現場ルポルタージュは成り立たなかった、しかしその行動力によって犠牲にしたものはたくさんあったんじゃないかな。末尾あたりに犯人の青葉真司とナチスドイツのホロコースト担当だったアイヒマンを並列的に扱って、国家犯罪と個人犯罪という全然次元の違う話なのに、とってつけたようにアーレントの引用なんかを堂々としている。(↓)

 

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誰も、すべて人類も、

君とこの地球上で生きていたいとは思わないだろう。

これが君の処刑されなければならない、

その唯一の理由である。

ハンナ・アーレントイェルサレムアイヒマン

Hannah Arendt 『Eichmann in Jerusalem』 (Viking Adult. 1963)

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◉なるほど。一応日本は法治国家ではあるけど、そうであるがゆえに法による治安の外部というものが出てきてそれは中央集権性と周縁性に対応している。

◼️え?どういうこと?

◉中央を皇居にするか、永田町にするか、まあどっちでもいいんだけど首都東京とその辺境である関東北部、しかし、都内に出てくるにはそう不便であるというわけではない周縁ないし辺境があってそのあたりに犯人は住んでいた。

◼️かつてロラン•バルトが皇居のことを「空虚な中心」と規定したけど、今やもはや「空虚な中心」がさらに空無化してそれと呼応するような「空虚な周縁」しかない、と言えるかもしれないね。

◉90年代のグローバリゼーションを起点に日本のある種の企業は、アジア圏からの労働力に頼らざるを得なくなってきたんだけど、そういう辺境にこそアジアの人的資源が集中している。しかし青葉が茨城の雇用促進中住宅に住んでいた頃はもっと殺伐としていた、と、著者は伝えているんだけど。

◼️そうね。その雇用促進住宅で大音響で音楽鳴らして周囲に迷惑かけまくりっていう記述が、、、

 

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しかし老人の証言による騒音のことは近隣住民はもちろん、アパートの元住人からも聞くことが出来た。

近隣のアパートで一人暮らしという男性。「実はあの音のおかげで引っ越したんだ。 本当に凄い音で、壁が揺れた。 いくら警察が来ても止めないしこっちが出ていくしかなかった」文句は言った?「そんなの怖くて出来ないよ、あんな音出す大男」 その音の正体は家宅捜索により明らかとなった。なんと青葉は、アメリカの高級オーディオメーカーBOSE(ボーズ)の大型システムをアパートに導 入していたのだ。それもキャノンウーファーというバズーカ砲のような代物で 長さは2メートル近く、重量25キロ超の本体から重低音を響かせる、基本はラ イブ会場などで使う業務用である。またスピーカー本体も青葉はBOSEで揃え、901SSというこれまた業 務用の大型スピーカーであった。83p 執筆

 

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◉恐ろしい男だね。この時期に統合失調症生活保護で暮らしていたのかどうか知らないけど、大音響によって回復される何かがあったんだろうね。

◼️大音響はカタルシス→陶酔→自己陶酔という危険な生理的現象を伴って、そこで誘発してしまう忘我的高揚感って必ずあるとは思うけど、それが一瞬にしてサディズム宗教に転化して音楽が黒魔術が結びついたりしてきた、という歴史もあるにはあるしね。

◉そう、その記述を含めてのことだけど、青葉には取り立ててアニメオタク的な要素がなくどちらかといえば、ラノベ作家として自己成就したくてしたくてたまらないフリーター、というどこにでもいそうなタイプだった。どんな音楽をかけてたのか知らないけど、周囲に迷惑かけるほどの大音響聴取とラノベ作家志望ってそれこそ「統合」を失調している行為、かもしれない。

◼️しかし、若い頃アニメ映画はたまに見たんだけど、僕が青年期の頃はとりあえずAKIRAが流行して、その後指標的にはエヴァンゲリオンかなあ。なんとなく小室哲哉グループからAKB48に至る文化現象とエヴァ京アニのブームとパラレルだったような気がするな。

◉アニメに詳しい人がよく言ってたけど、アニメのセル画を描く仕事ってほとんどが中国の下請けに外注してて、純国産のジャパニメーションなのに、エンドクレジットに「〇〇公司」とか結構出てきてて、腑に落ちたのを覚えているわ。それもグローバリゼーションというイデオロギーが後押ししてた。

◼️宮崎勤の事件は1988-89年だけど、あの時はアニメ番組でもアニメ映画でもなくて、もっと文化からかけ離れた「くりいむれもん」なんかに代表される「ロリコンのエロ」だったような気がするんだけど、「京アニ」のような具体的な対象がなかったよね。

◉宮崎の事件は犯罪の対象がリアルの幼女であって、過度のエロティシズム追求の果てに出てきた犯罪でしょう。二次元まんがと三次元リアル幼女の混同から起こっている。しかし宮崎も東京の周縁である奥多摩住まいだったよね。奥多摩にこもってバルチュスみたいな絵描いて満足してりゃいいものの。

◼️今回の事件が起こったのはもうすでにネットやSNSを誰もがやっている時代で、何でもかんでも調べられて、京都に行くのにも京都駅降りてからも意外にすんなり行けたんだろうね。

◉そうね。これはジブリの映画も含めてのことだけど、アニメ流行りの結果として「聖地巡礼」というアニメファンの痴呆性と地方おこしが合体したカルチャーがあるんだけど、観光の順番が転倒しているのね。観光客はそういう転倒性というか倒錯を楽しんでいるんだろけど、青葉はそんなものとは関係なく、ひたすら台車に乗せた携行缶を宇治駅から六地蔵駅まで運んだ。という記述があって驚いたんだけど。

 

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(略) ただしこの先に『響け!ユーフォニアム』の北宇治高等学校のモデルとなった京都府立菟道高等学校がある。私はバスを待つくらいならと歩いて登ったが、高台だけにこれが大変な坂である。ちなみに『響け!~』作中での最寄りは黄檗駅ではなく二駅先の六地蔵駅、事件のあった京都アニメーション第1スタジオの最寄り駅である。私は青葉がそれまでに聖地巡礼をしたことがあっても、この時は主目的として巡ったわけではないと考える。あくまで目的は京都アニメーションを攻撃することである。『響け!~』の舞台であったために聖地巡礼とルートの一部は 重なってはいるものの、それは同地を舞台にした作品なので当然である。それにしても驚くのは、青葉が宇治駅の近くのホームセンターKで台車と携行缶を買って、六地蔵まで歩いたことである。 携行缶は何度か小分けに買って いる。それで大男が台車に携行缶を載せて延々歩いていたわけだ。実際にその 姿は防犯カメラや住民の目視で確認されている。決して平坦ではないし、運動不足の私は青葉の足取りそのままに歩いてみたが起伏もあってうんざりした。

宇治 95p

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◼️この辺りではかなりの興奮状態なんだろけど、京都伏見の六地蔵というところはなんとなく商業地でもなく辺境でもない、なんか不思議な中間地帯で、東山山麓を南下して桃山御陵のあたりから急降下して行くんだけど降りきったところが京阪桃山南口でその次が六地蔵。外環状線が通っているところで通りの両脇にぼんやりした池があったりしたのを覚えてるな。要は京都市宇治市に挟まれた非市街地。まあそれなりに人は住んでる。

◉ふうん。そういうところを青葉は台車引いて京アニに向かった、と。

◼️そうだね。しかし、事件後の騒ぎとは別に国内的、国外的に支援金がものすごい額面集まって、それ自体はいいことなんだろうけど、それほど素晴らしいアニメ作ってたのか?というのは個人的にまったく検証していない。検証した?

◉うーん。見る気がねえ。なんだろ。アニメによる人間の表象って正直いいなって思ったことないな。漫画だったらあるんだけど。

◼️どうしてかね、所詮アニメだし、みたいな・・

◉大人になって、何をいまさら感が・・

◼️それもあるね。クリエーションする方は面白いのかもしれないけど、観賞の対象とは決してならないよな。この緑のディティールがどうのこうの、光と影の具合がどうのこの、とファンたちは言いたいんだろうけど、

◉中国の労働力に頼っていた雑なアニメ時代との差異化をまず確認したいつうのはあるんじゃないかな。

◼️まさにその差異化がアニメをオタクから引き離していったんだと思うし、それはそれでアニメ文化のバージョンアップにつながったんだろけど、やっぱり事件後のネット界ではオタク蔑視みたいな書き込みは多かった、との記述もあった。

 

 

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ただ青葉が「オタク」であるという報道はかつての報道、昭和期の宮崎勤事件のような決めつけ報道はなされなかった。唯一、2019年7月1日付の日刊スポーツの「オタクっぽい感じ」というフレーズにネットを中心に反発が起 きたが、むしろネットのほうがオタクバッシングの書き込みにあふれた。もちろん京アニのファンを中心としたアニメファンによる追悼や非難の声の方が大きかったが、主に匿名や捨てハン(使い捨てるハンドルネームのこと)で書き込む愉快犯のオタクによる犯罪という決めつけの声も大きかったのが現実である。これは「ネットだから」で片付けるしかない毎度の事案だが、まあネットで吠えてるだけならどうでもいい連中だろう。マスコミに比べれば影響力は皆 無である。

マスコミの報道 107p

 

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◼️マスコミに比べれば影響力は皆無である、か。そんなことないと思うけどね。

◉そうだね。しかし、青葉容疑者の容態次第だろけど、これから裁判が起こるんだろけど、

◼️90年代以降死刑判決が増えてるっていうの知ってた?

◉さあ、知らん。先進国で死刑制度を執行しているのは日本とアメリカだけって言うのも相変わらずでしょ。

◼️そうだろね。死者の数が数だけに、極刑しかないと言うオピニオンが多数だろけど、死刑には反対だな。

◉それは以前死刑ノートで書いたから読んでちょうだい。https://imagon.hatenablog.com/entry/20180104/p1

 

◼️関係ないけど、京アニの映画がいい、素晴らしいって言う知識人とか、大西巨人の言う「俗情の結託」を感じるわけよ。多分、

◉そんな知識人いるの?

◼️知らん。

◉そんなわけで、このあたりで終わりましょう。

 

(以上 9月10日 22:00)

 

 

 

 

 

 

 

読書ノート13 『遊動論』柄谷行人


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↓以下、Twitterより転載。

 

地味に読書。(初版で買って途中放棄していた)柄谷による柳田国男論だが、「情報量それ自体は昔から人の数だけあって、ネットやSNSの存在がそれを明らかにしただけである。」という、この書となんの関係もないことが降ってきて謎。NAM以降の柄谷文なんとなく取っ付きにくい。なぜに?(9月3日)

 

 

 

…地味読書『遊動論』柄谷行人 第2章。晩〜夜に読む方が入ってくると思われる。柳田国男民俗学者ではなく社会主義者だ、というテーゼの緻密な展開で、マジかのM&Eの『communist manifesto』(共産党宣言)の序文と『遠野物語』の序文の類似性指摘。ココ第1のクライマックス。推理小説ぽくなってきて👍(9月4日)

 

 

 

地味読書『遊動論』第3章。大塚英志の引用文が多く、戸惑う、というか意外なんだが、大塚英志ってそもそも都市民俗学の人やっけ?&「民俗学/民族学」の区分はヨーロッパ植民地主義時代の産物だが、国内的には分離不可能という柳田スタンス。熊楠と4年文通したが意見合わず決裂。とか。etcetc。(9月5日)

 

 

 

「全ての読書は地味である」。つづけて『遊動論』第4章 固有信仰。死後の世界が体系化、理論化してある社会とそうでない社会がある。核家族化以降の日本はむろん後者。(柄谷のとらえる)柳田のとらえる「狩猟採集民≒山人」の理念のベースに、この「死後に到来する子孫と祖先の位相」を回復させよ、

 

 

 

という命令があるよう。あと「ユダヤ人が真のユダヤ人であるためには父ではなく母がユダヤ人でなければならない」らしく、ユダヤ教それ自体は父系的だが、民族としては母系的、らしい。知らんかったわ。第4章は興味外のターム多く読みづらかった。家族≒血の物語につきあわされるのは欲望の対象外、という…(9月8日)

 

 

 

(↓以下は直書き)

付論、あとがき含め、読了。「やはり世の中このままじゃヤバいだろ?」という気風はいつの時代にもあると思うが、2013年〜近年の著者柄谷が目指すのは改革の具体案ではなく、理論ないし理論的基盤だ。そのとっかかりが「狩猟採集民ー山人ー遊動性ー交換様式D」というキーワードandコンセプトであり、新石器時代の定住革命後に起きた高次元遊動民にとりあえずのフォーカスがあてられながら理論叙述が展開されてゆく。

 

 

 

90s〜のクソな新自由主義、グローバリゼーション、そのツケどうにかしろよ!とは多くの識者、愚者が嘆くところであろうが、批判、評論、愚痴に終始せず、理念型提出、いわゆる未来ビジョン提出、を恐れず各自勝手に考えていきましょう、ということでしょう。なんかおれ焼畑農業にヒントがあると思うな。あと魚釣りの仕掛けの方式に、遊動式とか半遊動式とかありますが。(9月9日)

 

 

 

 

遠回りの帰省 2021 その9

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朝起き抜けにホドロフスキーの「リアリティのダンス」を少々見るが、いまいち乗れず、途中まで。やっぱり「サンタ•サングレ」までがいいんじゃないかな?という思い込み。けど「デューン」は早めに見たいね。さっさと朝食べるも、また母とダラダラと取り止めのない話が続く。

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あーあー、東京帰るのか。。。京都駅八条口、新幹線エリア内の喫煙所。今回喫煙所の写真は熱心に撮っていた。
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Kioskで購入したもの。濃厚チーズはスカスカな食感。お勧めしません。
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新幹線内の喫煙スペース。アメスピの広告打物がなくなっていた。
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i=padで映画観る。映画じゃないな。アメリカのTV番組が作ったドキュメンタリー。「世界を変えたTVゲーム戦争」まずまず面白かった。

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そういや、名古屋で初期アーケードゲームに特化した展示(たしか)美術館でやってるんだけど、今回は名古屋寄らず。

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これは渋谷かな。忘れた。
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帰宅〜。直後にヤツらが目に入り、安否を確認。ぬいぐるみですけど。

 

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姉にもらった宝塚の?お土産。
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ピスタチオのクッキーがー美味でした。ふだんこういうもの食わんもんで。。

 

 

 

そんなわけで今回の帰省の特徴としては音楽をまったく聴かなかったということ(あ、新潟の海でbtスピーカーで聴いたか。それだけ)。つーか、ヘッドフォンをカバンに入れ忘れた。メインイベントの特養ホームでの老いた父親との面会は、反面教師的にいろいろと勉強になった。台風期とダブったため雨が多かったがそれはそれで風情。初めての土地は予定なしで動くほうが気楽でいいですわ。単独行動も楽。結局10万ほど一気に飛ぶがそれはそれで良し。帰省後の数日後にいままでにないハードコアな痛風発作にかかってしまい現在自宅療養中ですが。。今後は、コロナ禍=第三時世界大戦の渦中という認識でムリなく生存本能を研ぎ澄ませてゆきたいと思います。以上!(これらを記述したのはだいたい8月末、痛風なかなか去らずの足痛しの最中です。m(_ _)m)

 

 

 

遠回りの帰省 2021 その8

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今日は台風直撃日? お墓参りのため京都霊園まで。強雨というより暴風雨が吹いていましたが、霊園に着くとお供えの花を購入し、傘をさして徒歩で5分位ある墓所に向かいました。雨の中、石を掃除しているのも変でしたが、草を引っこ抜き、手を合わせて帰りました。そして街中へ出てぶらぶら。なぜかパチンコ店の内部の装飾照明がとても気になり写真に収めました。文字や模様、キャラが入れ替わり立ち替わりするLED電飾をファサードに設置してあるパチンコ店が今主流になってきているので、ここはもうクラシックだ、古典様式だ、と思いました。が、とても貴重な外観と内部装飾だと思います。

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腹が空き、酒も欲していたので、店を探しました。ここならアルコール出しているし、タバコも吸える、という店を思い立ち向かいました。が、シャッターが閉まっている。他の店を探そうと離れようとしたら、シャッター脇にいたおっさんが「こっちこっち、お酒出しますよ」と声をかけてきました。脇の小道を案内され、厨房の中をくぐり抜け、店内に入りました。なんと賑やかなこと!場のオーラ的に「やってはいけないことをやっている感」が強く、本当はやってはいけないので、飲む楽しみもひと塩なのでしょうか。コロナ禍における飲食店の生き残り戦略とかあまり知りませんが、どこもかしこも大変だなあ、という気がしました。ちょっと多めに頼んでしまい食べきれなかった。。。お店は18時ラストオーダーで、丸テーブルに聾唖者の人らが酒飲みながら手話で会話していた光景が印象的でした。酒飲みながら、そして静寂空気を媒介に会話が成立している、と言うのがね…。


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生中と二合酒でけっこう酔いました。ここはSY松竹という邦画の封切館だったのですが、マンション?になっていました。Twitterにも書きましたが、ここで『ソナチネ』(北野武)という映画を巨大ホールの中、わずか4、5人で観たのを思い出しました。とてもいい映画(細かいことは端折るけど真に映画的な映画?)で、アンゲロプロスの映画に近いものを感じました。その後花遊小路に。抜け道が一つ新たに造成されていることに気づき、通り抜けるとSOUーSOUという看板ばかりの店が乱立していました。昔、木屋町の真ん中らへんに同名のBARがあり、何度か行きましたが、そこのオーナーさん周辺がやってはるんやろか?と。SOUーSOU帝国といってもいいほどの乱立ぶりでした。
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なんとなく梯子モード。ここは若い頃の(故)大島渚監督の行きつけの店だったようで、私も京都に住んでいたころ何度か行きました。清楚な外観とは裏腹に店内壁には左翼系の落書きがわんさと書いてあって、、と。閉まってたので退散しました。残念。
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このあたりは帰省時には絶対通ってしまう。
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Caldeという珈琲店。打ち合わせとかでけっこう使わせてもらった。
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四条ホテルが健在というのもよく考えりゃ脅威だ。
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台風暴風雨で、濁流の鴨川。そういや東山山系の土砂崩れの警報とかバンバン出てたのよねえ。


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四条大橋を東に渡っている時、建仁寺のそばにカフェ•オパールがあることを思い出しました。閉まってるかもしれないし、最悪潰れているかもしれないが、そのときは建仁寺の境内を散歩することにして、向かいました。開いてる!奇跡!そう、たしか去年訪れた際も閉まっていました。あとで聞きましたがどうも営業時間それ自体が短く、お酒を出している店にしては閉まるのが早すぎる…。久しぶりに見る店長夫妻の顔でしたが、あまり変わっている様子もなく、店内も変化なかったように思いました。(小庭の喫煙スペースが健在で嬉しい)。なにを話したか?バカ話と痛風の話がほとんどだったように思いますが、映画監督のアレハンドロ•ホドロフスキーの息子さん、アラン•ホドロフスキーオパールに来店した時の話を聞きました。ここの御夫人はタロット占いの名手であるらしく、ホドロフスキーがタロット占いを素材とした映画『リアリティのダンス』を撮り、日本で初公開されたときに来日。そして映画の出演者でもあったアランが上洛した際に店に寄った、という流れなのでしょう。『リアリティのダンス』が東京で初公開されたとき、知り合いが公開イベントに行って「監督のホドロフスキーは白の上下スーツでキメていてとってもかっこよかった」と言っていたのを思いだしました。ホドロフスキーには『サンタ•サングレ』という映画があり、最初はRCSの企画だったと思いますが、美松劇場(今はもうない)でのオールナイトで観て衝撃を受けました。(違うかな、ルネサンスホールでのロードショーかもしれない)。『エル•トポ』『ホーリー•マウンテン』で知られているホドロフスキーの映画ではかなり商業主義的なスタンスで制作された作品だと思いますが、ストーリーもしっかりあってわかりやすく、しかしそれゆえにイマージュの突出度=衝撃度が高まっている、と言ってもいいかもしれません。学生の頃映像研究会というサークルを主宰していて、自分の部屋に何人か呼んで『サンタ•サングレ』を観る会を開いていたほどなので…なんか話がなくなりそうなので、このあたりで止めておきますが、何が言いたいのかというと「オレにはホドロフスキーに対する一定の愛着がある」ということです。ちなみにここではビールの小瓶を三本飲みました。


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「無限の唯中にて明滅する蛍の如くこの家の魂生まれ出づる」らしいです。
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帰り際にオパールの◯◯周年記念手ぬぐいを頂きました。これをデザインした人は相当すごいという話を聞きました。ありがとうございます。大事に使います。
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店長夫妻が影響受けた芸術家や思想家、俳優などが渋くプリントされています。映画監督のパゾゾリーニがいるのですが、こないだウチに遊びに来た人が「タモリ?」と言っていました。ソフィア•ローレンが分からなかった。。ちなみに私はイタリアの女優ではシルヴァーナ•マンガーノとモニカ•ヴィッティが好きです。

 

遠回りの帰省 2021 その7

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今回の帰省目的の一つは特別養護老人ホームに入所した認知症の父と面会することでした。ちょうど10分くらいだったか。ホームの職員さんの付き添いのもとで、コロナ対策のため、ガラス越しの面会です。細かいことはともかく、老いを超えてしまった人間の行く末とはこういうことにもなる、ということをひしひしと感じました。隔離と保護による延命というと聞こえが悪いですが、(生きる意志なき)生の領域を包囲する、そのようなシステムが培養してゆく(実在的ではない)環境的な姿です。老いたるものの様々な、実に様々な現実生活があるとは思いますが、これだけはゴメンだ。と私は思いました。

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その後母と鮨を食べにいき、あれこれと話しました。

 

遠回りの帰省 2021 その6

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例よって例の如くの、同窓会飲み。15時に四条河原町のたつみ現地集合。飲酒喫煙OKの素晴らしい店。ツッチーとアイカ
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ファエ
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オレ、ファエ
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ツッチー、アイカ
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イカ
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イカ。映画シャイニングのTシャツ。大阪のデザイナーさんが作ってるらしいす。
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オレ、一時抜け出して待ち合わせ。元阪急百貨店前。18:00。
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マコちゃんのライブ去年帰省時にメトロであって、今年もあるのかなと連絡したら、日ずれて山陰であるとのことで、せっかくなんで会おうかということに。数年間寄ってなかったjazz in ろくでなしへ。ここやったらお酒出してるか?と思いきやノンアルのみ。オーナーの横ちゃんにも会えず。店は微妙に小綺麗になっていてゲバラのポスターが超目立ってた。JAZZと政治の店になったのか?ノンアル飲んで店出て、腹減ったので飯食えて酒飲めるとこ、、、と言えばjam houseか?と前まで行ったがやってない。木屋町歩いているとキャッチの兄さんに捕まり、飲酒タバコo kに釣られて向かうことに。90分制限でしたが、けっこうしっかり飲めて食べて大満足。アメリカの女優は「2人は離婚した」と言わず「2人は破局した」と言う。これこそが表現だ。とかそういう話してたなあ。

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たつみで飲んでた大学友らが、今御池あたりの鴨川ベリで飲んでるというのでリカマンでごっそり酒買って向かう。四条大橋のあたりとか、なにこれ?こんな人居てええのん?というくらい若者らが酒宴を開いている。警官もちらほら居て監視しているようだが、おおらかな感じで見守っているようにも見える。この時点でかなり酔っており泥酔寸前。アイカがやけにはしゃいでいた様子は覚えているが、なに話したかは覚えてない。。


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イカ、ツッチー、マコ、オレ、ファエ
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京阪電車に乗って帰るも、酔い潰れて歩けなくなり、しばし…。

 

思い出すに、ツッチーが言うには、京アニ事件というのはテロ認定されてもいいはずの事件だが、されない。おかしい!

ということだったがその辺りの話をもう少し突っ込んで考えてみたいとも思う。去年は行くつもりだったが、今年はすっかり事件の存在そのものを忘却していた。結局、まだ行ってません。

 

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関係ないですが、この画像は鴨川の七条大橋から五条大橋方向を見たものです。西側。この間は、歩行者が通れないようになっていて、いつ通れるようになるのかと毎回チェックするために京都駅から七条京阪まで歩いて京阪に乗って実家の方に向かっています。五条の南側はかなり水かさが増していてそれは対岸に排水口があり、そこからの水流の流れがあるので歩道を作ろうにも案外難しいのかもしれません。いろいろ調べてみるとわかるのですが、江戸時代、五条の郵便局の裏手あたりに刑場があったらしく、死体を川に流していたのですから、この辺りは刑死体がぷかぷか浮いていたという幻視を弄ぶのはけっこう容易いことかもしれません。なかなか手をつけられない理由があるのかもしれませんね。ダークツーリズム好きの人はけっこういる思うので、書いておきました。別にダークでもないか。

 

 

 

遠回りの帰省 2021 その5

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ネカフェを出て駅まで。片町から金沢の中心のデパート街を抜け、つらつらと。途中この怪しげな商店街に足向けました。魚屋さんメインで匂いがすごかった。年季の入った商店街。
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台風一過。
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金沢市を走るバス。

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↑昨晩観た映画。主演の母役の女優がとても良かったが、サーチしてもなかなか出てこない。
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特急しらさぎ敦賀まで。
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駅の肉うどん。
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敦賀駅前商店街。猛烈に店開いてない…
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↑これどっかで買って飲んだけどこの手の酒では珍しく美味しかった。
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敦賀駅内でこうにゅうしたエビ揚げ
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途中、滋賀県の瀬田駅で下車。大学時によく利用していたが、駅の見た目が小さ過ぎて、目を疑う。自分のサイズがデカくなったのか?

少し駅周りを散歩したが、何も思い出せない。居酒屋数回行っただけでキホンこのあたりは遊ぶところがない。滋賀県立美術館は休講時とかにたまに行って時間潰してた。


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小腹が空いたので駅前の王将に寄る。ノンアルはASAHI。
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実に久しぶりの王将餃子。

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JR西日本瀬田駅(滋賀県
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京都に着き、京阪七条まで歩く。高橋付近の市営住宅が全壊→更地になっていて驚き。京都市立芸大ができるという場所。ずんずん東へ向かい、女坂まで。茶店で休憩。抹茶フロート。

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こういう佇まい。
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七条通り沿い、近くに銭湯があった。知らなかった。

遠回りの帰省 2021 その4

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新潟から金沢まで向かいます。次回は佐渡島に行こう。

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ナントカ特急に乗る。
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駅員さんが書いてくれたメモ。

とにかくこのあたり(越中北陸)は新幹線が通っていないので

特急乗り継ぎになります。特に新潟→富山→石川を走っているのはJRではなくI Rです。

私鉄でもJRでもない第三セクター鉄道。(高速道路でもたまにそういうのあるよな。)


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三条です。新潟市とはまた違う田舎風情。
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乗り継ぎで途中下車した駅前?

多分喫煙所付近の噴水。。。
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これはえちごトキめき鉄道ですね。

トキメキではなく、トキめき

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すんごいダラけてます。

脚伸ばすと楽だ。。
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確かにトキメキカップルでコレ乗るといいかもですね。

海がマジカの間近で、海岸線エリアがけっこう長くつづく。

知られざる観光エリア&デートコースかもしれません。
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どこで食ったか?キス天ぷらのお蕎麦。

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ロゴがイキっているな…
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今回の帰省ではこの喫煙ルームの類の写真はかなり撮ってます。
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そんなわけで金沢到着。やっぱり半日かかったか。
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駅前。バックの門は立派です。
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家屋が連なる感じ、古さとかは京都に似てますね。とりあえず、観光がてら歩いて中心街まで。このあたりで台風の暴風がものすごく強くなってきた。


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最近こういう意味不明のQRコードよく見かけるけど。
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幼少の頃、家族旅行ついでに兼六園に来たことは覚えてるけど、映像記憶が全くない。。
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金沢の電柱。。
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加賀手毬、まだ販売しているところあるんですね。

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ネカフェ着。ガラガラ。

雲行きがかなり怪しくなりとうとう雨に。台風です。

シャワー浴びて、ちょい休息。

で晩ゴハンへ。

まだ早い時間なのに、店じまいが多い。

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ここもラスト•オーダーぎりでした。
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ノンアルでは一番ビールに近い味の零ICHI。

トマト成分のリコピン臭が気になりますけど。
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なんで鳴門に8?と思ったら店名に8がついてたみたい。よー見んかった。

坦々麺ってまあまあ好き麺かもしれないが、ゴマ味が強いのはいまいち。
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店出たあとちょい散歩。片町というところです。

これスピンズやん?

多分京都発祥の古着屋で、元々パンク•モッズファッション店のcocoonとかやってたオーナーの〇〇さんが、

最初新京極のダイヤモンドビル内のフロアでやり始めた大型古着店。金沢で見かけるとは!

流石に新鮮。

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ネカフェに戻ってくる。飲み足りないのでレモン酎ハイとか。


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↑急にこの少女漫画(というか竹宮恵子の『風と木の詩』と同様、BLのクラシックのクラシックといっても良い。)『カリフォルニア物語』を思い立ち、7、8巻目だけ未読なので読もうかなと検索したが、やはりない。古い漫画って置いてないんすよ。


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それから歯磨いて寝たか?厳密には忘れた。(これ書いてるのは8月26日デス)
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とにかく朝めちゃ早起きして、外へ。
片町のあたりを散歩。もう雨は上がってる。
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この橋立派でした。文化財に登録されているらしいです。
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台風名物。
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朝酌です。コンビニで買った八海山とネカフェで注文した烏賊げそ天ぷら。

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中編映画の女トラック野郎みたいな、シリーズもん。

『デコ軽トラッカー杏奈』

このシリーズストーリーもドラマもしっかりしているので感心している。

あと、とってつけたような濡れ場も素晴らしい。
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ここ8年くらいNIKEのインターナショナリストばっかり、それだけ、履いている。

靴選ぶ必要ないので。。ちなみにスニーカーオンリーです。主義でもなんでもないけど。
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部屋の内部。

ほぼ寝るだけなんでネカフェで十分。

浮いたお金を他に回した方が賢いと思う。

 

 

 

遠回りの帰省 2021 その3

 

シャワー浴びてから再び外へ。

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音楽はサブスクで聴き始めてから、ほんまにこういうお店行かなくなった。

店自体も減ってるとは思うけど。


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再び駅前。好きなタイプ?のバスロータリー。


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ここ駅ビルの中にある。100パー日本酒好きでは有名なところです。
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かんぱーい、ではなく、飲もうぜー、のおっさん。
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500円払って五種類の利酒ができるというところ。

女性もたくさんでした。子供はいません。
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こんな感じで五枚コインをもらってスロットに投入してボタン押すだけです。

ちょっとした遊び感覚。


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五種類飲んで、2つはおいしかったかな。


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別のぽんしゅ館へ。ここはお土産物屋さん?


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このブルーの瓶たちに吸い寄せられ…
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小腹も空いていたので再び…

おにぎりは一個300円くらいした。新潟米の一品!というか観光客価格ですね。おいしかったですけど。
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疲労もあったのでけっこう酔っている。。


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陽も完全に傾いたので入店。

3、4軒候補があった中でここへ。

おでん屋さんです。

店員全員若女子?

そりゃ流行りますわ。

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酢の物にみかんが入っててかわいい。
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馬刺し。かわいくない。

でも美味い。
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ここのおでん出汁超ぜつ美味しかったです。
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『鬼火』という映画ありましたね。ルイ•マル監督。かかってたのはサティのグノシェンヌだったか。。

店員さんがめちゃめちゃ話しかけてきて

隣のおっさんも会話に割り込んできて

なかなかのワイガヤ空間。

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足立区から来た、というかいろんな意味で新潟逃避してきたおっさんと話し込んだ。


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夜は衝撃のピンク。新潟=風俗みたい…

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宿に戻ってくる。だいぶ酩酊…。。

 

 

 

遠回りの帰省 2021 その2

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海方面へ歩いていると新潟市美術館が現れました。

何やってんのかな?と調べたところ、興味のないアニメ関連のものでした。
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こういう小さな坂道登り切ると…おおっ!海かっ!という期待…
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着きました。

パーキングにはけっこう駐車。視界には人ゼロ。

ちょっと離れたところに海水浴場があるのかな??
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酒入れてからボーッとする。

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穏やかなりし日本海

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デイパックに入れてある敷物を取り出して、裸足になって、音楽かけてしばし入眠。。
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地図上この辺りですね。

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海沿いには2時間くらい居たのかな。とりあえずまた市内の方に向かいます。

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行きしなに発見した坂口安吾の記念館です。寄ります。

ここの近所に安吾は生まれています。

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一階は居間?中学生が数人いて、先生らしき人が講釈を垂れていました。

縁側からは日本庭園、たいそう立派な松の木が見えます。
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玄関すぐに貼り付けてあったポスター。

チラシに掲載してあったキャッチボールをしている安吾の写真も素晴らしいものでしたが、

あれ?行方不明です。

2階の展示の方が面白かったのですが、ここは写真撮影禁止。

いろんな意味で安吾は薬物中毒者だったと確信できた展示でした。

その辺りが神話化されていないのは、当時は合法だったからですね。

折口信夫然り…

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ふるさとは語ることなし。いい言葉ですね。

故郷喪失者の詩情……

(この碑文は海沿いにあるらしいです)

 

しかし、去年寄った小田原の小田原文学館でも

たまたま坂口安吾の展示をやっていたのを思い出すが。。

あの時は安吾の生原稿が展示してあった。。

 

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また市内に戻ります。
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帽子屋さん
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なにが気になって撮ったのかわからない写真
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商店街がけっこうあり、その中の一つ。全部は回れませんでしたが。
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こういう無人の冷凍餃子販売所がちらほら。

東京では見かけないけど、新たな商売手法としてはいいと思いました。

ドカベン野球狂の詩のキャラの銅像がかなりの数ありました。
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ちょっと商店街の脇に入るとミニ風俗街。

なんとなく去年行った宇都宮と雰囲気が似ています。

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こういう古風なゾーンも。
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長い……
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黄色い…

ひょっとしたらコレ食べてから商店街回っていたのかもしれない。(忘れた)

YouTubeの動画を参考に選んだ店。新潟のソウルフードらしいす。

クミン香ゼロの変わった味のカレーで不味くはありませんでした。


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宿は駅前のアパホテルがいっぱいで入れず。

ビジホ探す気力なく、ネカフェです。
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マウスコンピューター初めて見た。。

数年前、一瞬買いかけたけどやめたやつ。

シャワー浴びて、ちょっと横になって、晩御飯ですね、、、、

(つづく)

 

 

遠回りの帰省 2021 その1

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毎度のお盆の京都帰省です。

去年は神奈川県の小田原に寄って帰省したのですが

今回はわざと遠回りして北方に寄ることにし、

池袋から深夜バスに乗って新潟まで行きました。

 

池袋に着くとまずは夕食。

私は愛煙家愛酒家なのでどうしてもお酒が出て喫煙可能な店を

選ぶことになります。というわけでよくある居酒屋。

若者がすごく多く元気いっぱいでした。

 

店を出てサンシャイン60のバスロータリーまで。(なんか面白い名前の通りを歩いたけど忘れました)。

バスは晩11時出発で朝5時着。3回サービスエリアに寄りました。

割とすぐに着いたので驚きました。

用事もなく、そして予定も作っていない(だいたい予定入れるのは好きではない)新潟行きで、しかし

長らく見ていない日本海だけは見ておこうと思ったので

海の方向へと歩きました。

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見るからにヤバイ絵面…

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池袋駅構内、警官立ってる

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サービスエリア

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新潟駅

 

新潟は以前三条のあたりに来て一泊したことはあるのですが、新潟市ははじめてです。

まだ朝なので人影まばら。

すごい遅いスピードであれこれ観察しながら歩いていました。

途中でちょっと変わった感じの五叉路が出現し、そこはパワースポットのような気がしました。

 

 

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こういうアイドルのメンバー募集のポスターは東京では見かけません。

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京都でCOSMIXというバンドをやっている友人と会うので

後で画像送ろうと思い撮っておきました。こちらはCOZMIXですが。↓

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新潟市を東西に貫通している川、それは信濃川です。

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海まで超トロトロ歩行で1時間半くらい?

 

 

(その2へ)

 

 

 

「聖怠慢学院」

オリンピックが始まり

感染者数が急増する中で

3回目の8㎜フィルムイベントを終えた

たいした宣伝もしていなかったので

誰も来ないだろうと踏んでいたが

想定以上に足を運んでくれた方がいて

感謝したい

上映したのは

主に1993年の冬に撮影して

1994年の7月に上映した

聖怠慢学院 という31分の中編

はじめての8㎜作品で

それ以前はvideoで撮っていたのだから

予算もかなり違い

作るプロセスも違うのだから

それまでのvideo作品とはやはり違う

 

今回見直して

あれこれ思うが割愛

 

ねじれた時空が出現し

古くは感じないし

新しくも感じない

 

自ら目の前に出現させている、ということだろう

8㎜フィルムイベントは続行するが

年内まで

 

____________________________

 

 

 

「聖怠慢学院」  (1993  8㎜ FUJICROME  31分)

 

出演 臼井彰一(現在BODILで活動中)

   田上久美

   土屋誠ニ

   岡山珠理

 

撮影 西原多朱

 

脚本•演出 野上亨介

 

協力 中野雄二(義足提供)

            龍谷大学映像研究会V .O .B

 

ロケ 京都、滋賀

 

 

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(当時愛読していた)

バートランドラッセル 『怠惰への讃歌』

マタラッソー、プティフィス『ランボーの生涯』

からの着想として

 

 

 

 

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8mm映画上映+LIVE ◼️mm8er MOVIES vol.3 ◼️ 高円寺4th◼️




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◼️

2021/7/29 (木)

  17:30 open

  18:00 start

  @高円寺4th floor

 

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野上亨介 自選作品集

ムラカミ•ロキ 自選作品集

ヤナガワ 発掘秘蔵フィルム(home movie)

    (↑いずれも8mmフィルムでの上映)

●ムラカミ•ロキ  LIVE(accoustic guitar solo)

●山澤輝人 LIVE (sax or flute solo)

 

 

 

◼️チャージ 2000yen (1drink 含む)

 

 

 


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◼️使用映写機 Elmo sc-18 panavision