3/4

怒りはどこへ向いているのか?と気にすることなく、怒っている。それが怒りである。

突如「カチン」とくることがあり、怒りに着火され爆発する。怒ることはキレることでありキレる原因に怒りがある。

キレることには快楽が伴い、キレたが最後だ。言い回しや表現でたしなめる、という作法は無効になっており

言葉-概念-意味の回路共有ではもはやどうにもならなくなったときにキレるのである。

キレるとはすなわち外部の経験であり、中空に放たれた一点である。

その時、キレの残響を聞き取る耳をもつものだけが怒りの原因を探ることができる。

どうしてお前はキレたのか?それが快楽の一経験だとしても何があってキレたのか?

 

いちばんダメなのは怒りを内側に溜め込んでいる者だろう。(人間的な苦悩は突如発見され飼い慣らされていることに気づく)。

ニーチェではないがそれは「品性」を悪くする。「品性」を大事にするあまりに「品性」を悪くしてしまうのだ。

黙っている下品さ(SNSの覗き見ばっかりしてんじゃねーよ!)と

闊達に表現し、ときにキレる朗らかさ(残酷な晴れやかさ)。

現代人の様相ふたつ。

 

 

 

 

 

 

3/2

自分の声を自分で聞くことには慣れてすぎていてそれをもはや意識することはない

ところがマイクという機械を媒介して聞いてみると なるほどこれが自分の声かとあらためて納得する

マイクが目の前にあるとなにか話さずを得られなくなりしかし話がないので声だけを出す

声だけを出すといっても日本語を発声していいのかなんとなく選んだ英単語の羅列なのか

歌詞なのか 好んでいるフレーズや決まり文句なのか

 

ふだん日本語を使っているので日本語を話す その時 ちょっとしたアクセントや文法を気にし出すと

とたんに発声がうっとうしいものになり  中断する そこで

カラオケボックスにいるように歌を歌う

といっても歌詞を覚えている歌なんぞはひとつもなく

歌詞を無視して旋律だけを喉でなぞらえることになる

音楽を喉でなぞらえることは言葉を話す 発声することとはちがい

高低差が目立って出現し それはそれで楽しい

50音の体系からプログラムされた現代日本語を 意味に落とし込む

笑いがワハハだとしてもワハは笑いを指示するわけではない

ただしい会話、ただしい意味の交換とは すでに形式主義的であり

日本語を話しあい理解を深めるという時点で

形式主義に準じているともいえる

最大限に細分化される音声はかぞえられるものではないし

そもそもが顔面、頭蓋、身体全体の諸構造に規定されているので

発声パターンの数とは その身体規定内での数ということになる

 

 

 

 

 

 

 

 

 

3/1

ランドナーでの自転車旅行の動画は3、4年前よりも遥かに増えている。で、いくつか見る。画面をスーと横切っていくスリムなフレーム、視覚的に気持ちいい。車=四輪車の水平安定性を保ちながらの走行は、けっきょく車体が斜めにならないという一点で視覚的に面白くない。車は大地に根を張っているところがおぞましいといえばおぞましい。不安定な揺らぎを孕んだ…は常套句だが自転車の臨死性それも剥き出しの臨死性は風=宇宙全体と一体になっている。

 

あきる野市のキャンプ場あたりに行ったっきり自転車旅行は行っていない。それというのもいつのまにかハンドルのバーテープがかなり損傷。サドルも縫い目がほつけ、新しいものを購入したがクッションが足りないので走って15分もすれば尻が痛くなる。その他メンテナンスを怠っている。

2/28

このweblogもいくぶん放置気味で やる気があるとかないとかではなく そういうこともある

昨年の9月からは京都の友人との再会からfree improvisationのLIVEに足を運ぶ機会が多くなった

疫病による情報流通やそれらがもたらした現実生活の変化もあるが

しかし交通(会話)が完全に遮断されることはない

演奏を聴きに行くというよりも 演奏者の姿を full hi-difinition camera で撮影していた

そこから得たものは何か?それはわからないが興味のつづく限り撮影はつづくだろう

短編映画の企画はいくつかあるがそのうち着手する予定

長編は「磁器と火山」から制作はしていないが

コラージュ作品による迂回

コンセプチュアルな試験作「第4映画」

ワンカメラによるフリーインプロヴァイゼーションのライブ撮影によるさらなる迂回から

回帰すべき場所を手探りしているのか

どこへ行くのか

 

読書はあまりせず

ヴィトゲンシュタインの「哲学探究」の新訳くらいか

詩に関する興味も浮き沈みし、それはどうしてかという問いをひきづっている

絵画というよりもたんなるラクガキは気楽でいい時間を過ごせる

 

TV受像器を買い だいたい冷めた目で眺めているが

なかには面白いものもある

ドラマで面白いと思ったものもあるが

連続して見る気にはならない

 

そしてあと約3時間で

3月になる

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

■Live Memo 11■■芸能佐伯組■HEAVEN'S DOOR

 

 

2020/12/29

■芸能佐伯組

□ HEAVEN'S DOOR sangenchaya,tokyo.japan


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 Video Shooting : Kyousuke Nogami (color)

 

https://youtu.be/0U0QIjgf-X0

 

 

■■■8mm film event■■

⚫4th presents⚫
⚫8mm Event⚫mm8er MOVIES⚫

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⚫12月22日 19:30-open20:00-start
⚫高円寺4th

 

 

 

ムラカミ・ロキさんとヤナガワさんと私の貴重な8mm映像イベントです。…私は1995年の京都を切り取った詩映画で参加させてもらいます。so bluesy!

(流れでトークショーがあるかもしれません)

 

 

会場への行き方などはこちらを参考に

 


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http://fourthfloor.sub.jp/

 

 

■登山ノート1■

 

 

 

 

 

 

ほぼ始発目指して起床。西武新宿から所沢まで急行。所沢から横瀬まで建築家、妹島和世デザインのLa viewで。走行音の静けさに驚愕。車内で動画整理などをしていたらあっという間に着く。いちおう全席指定です。
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駅に着き、同行者と合流。秩父タクシーで登山口まで。15分ほど乗車。片道2600円と割高。徒歩で行くと90分はかかりそう。(歩いて登山口まで行く強者もいました)。


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タクシー降りるなり滅茶苦茶な冷気を感じる。登山届を漏れなく記入し、出発。


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山のサインをキメてから(笑)出発。ーーすでに10分くらいでヘトヘトに。コースが2通りあり、ひとつは険しく距離短い。もうひとつは傾斜がゆるく距離が長い。(ようは参道の男坂と女坂)。なんの疑いもなく男坂を選んでしまったのだ。同行者も「もうあかん、もうムリ…」と弱音を吐き出す。(登山経験者なのに…)


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しかし不思議なもので登りつづけているとなんとなく体が慣れてくる。たまに木漏れ日が現れてくれる。

 

すれ違いざま、「こんにちは〜」と声をかけあうのが登山者の慣例となっていて、ご老人のソロの方もいれば、3,4人のピクニック的な雰囲気の人らもいる。われわれがもっとも山慣れしていない登山者だと思われた。

 

上に着ているアノラックパーカーだが、ポケットにかなりの量の物入れられるので便利。ビデオカメラとスマホと黒豆せんべい(わりと好物)を入れていた。

 

登っているとすぐに暑くなり、止まると即効寒くなる。この両極端が冬の登山か。


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山も中腹部を過ぎると採掘場のすぐそばを登ることになる。平日は昼にダイナマイトの発破があり、石灰岩を粉砕する業務が行われている。ここらまですでに休憩を5回ほどはさんでいる。


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頂上。登山口から約2時間。もうヘトヘトぐったりで何が何だかわからん状態。が、登りきった感はしみじみ。


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まあ凡庸だけど、こういう登頂写真いつか撮りたかったのよ。…登山靴買う暇なく、スニーカーで登ったけど登りは充分でした。(帰りはキツいかも)。ザックも登山用ではない。


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激寒の山頂でお湯沸かしてカップラーメンなど。バーナーは超スグレモノ、Iwataniのカセットガスジュニアコンパクト。コッヘルはスノーピークの900で共に5年くらい愛用。店は皆無でマジで持ってきて良かった。水は途中の滝で汲んだ。

 


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麓近くにある一軒だけあるなんとかカフェ。ビールを呑めて嬉しい。ジビエピザトーストは売り切れだった。ここから帰りのタクシーを呼び、駅へ。

 

登山後は体の変化を微妙に感じたが、よく分からん。やや軽くなったのかもしれない。行って良かった。

 

 

 

↓↓↓以下はFacebookよりの転載。

 

 

ほんの1秒後に足を踏みだすポジションをそのつど意識し、確認しながら前へとすすむ。それが登山である。そのリズムは平坦地を歩いているときとはちがい、微妙な変則をともなう。

呼吸…。吸う、吐くの一サイクルは、なるべく時間をかけた方がよく、一呼吸8秒で5歩すすませるくらいがよい。歩行が肺活量を決定するのではなく、肺活量が歩行を決定させるように調整する。【自身の体が一個の「呼吸器」となること(デュシャン)】は、プールで潜水している時と同じ感覚に近づいてくる。

秩父武甲山はコンクリートの原料となる石灰の採取が行われている山で、山の中腹より上は、だんだんと石肌岩肌が出現し、たいへん歩きにくくなる。

登山らしい登山はしたことない。だからこれが初めてか。(経験ある人に同伴してもらった)。

ヨーロッパにおける「山を征服するロマンティシズム(山岳信仰…アルピニズム)」や東アジア〜日本における山伏や修験道に興味をもった時期はあったが、実際登るとなると、そういう知識はまったくなにも役立たない。

アスリートが職業となった時点で近代はまちがっている。

だが、遊ぶには体力がいる。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

■ 映画の第四楽章 〜第4映画 第2期 上映

 

 

 

 

 

 

 

2020/11/14 (土)
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高円寺の4th


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第4映画 第2期 計12本

約35分


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上映

井内賢吾×山澤輝人の

1999年の京都でのライブ映像

フランシス・ベーコン・コンベンションでの

演奏(マスターは miniDV tape ↓その時のフライヤ)

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山澤輝人のテナーサックスライブ

■■■■■

 

切空場♯1

19:30 open

20:00 start

 

 

 

■ 美術ノート 24 アイヌの美しき手仕事

 

✳︎

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

◼️アイヌの美しき手仕事   日本民藝館

 

どこから語っていいのか判然としないが

とりあえず 行ってきた

場所は京王井の頭線駒場東大前駅から歩いて10分ほど

日本民芸館

駅前にあるマクドナルドが不自然な存在感を放っている

 

アイヌというのはおそらく子供の頃から知っていたが 関西(京都)に住んでいたころはさして興味がわかなかった  異人感、というか「遠さ」を放っているのはどちらかといえば沖縄の人で 京都に住んでる沖縄出身の人は多かったように思う。(逆に北海道から来た人は少なかった)

安室奈美恵やSPEEDが流行っていた頃、沖縄がメデイア的に脚光を浴びていて ちょうどそういう時だったか 沖縄に旅行したりもした。関西からは地理的に遠い北海道には興味がわかず、北海道育ちの友人から六花亭のバターサンドを お土産にいただいて、そういうものから 北海道を感じていた。(ちなみに倉本聰脚本のTVドラマ「北の国から」は一分も見ていない)

 

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以下はTwitterより転載。鑑賞直後のもの。(いくつか加筆あり)

 

 

 

■目黒の駒場東大前。日本民芸館のアイヌの手仕事。から出てきた。けっこう長い時間居たかも。

 

■民芸館の展示は「アイヌの負の歴史」(北海道開拓にかんする)については一切触れられていない。爽快なまでに。ゆえに悩ましくもあり…。

 

■雑誌 民藝のバックナンバー買おうと思ったがレイアウトが大層なのであ〜こりゃダメ、と、菜箸770円を購入。熊本産とだけ書いてあった。

 

■けど、たしかに、やっぱり昭和初期の白樺派の優位っていうのはあるのかな。実篤他、文学以外に美術をフォローしてたのが他と比べて秀でていたのか。そんで実篤提唱の「新しき村」のコンセプトと柳ー芹沢のアイヌ研究は通じておるのか?わからんけど。

 

たしかスカイラーク傘下のチェーン和ファミレス「民芸」(正確には「味の民芸」)でちょい食べて帰りたいところだが、まさか渋谷にはないだろう。しかしこのネーミングも確実に柳の民藝運動の影響下にあると思われる。完全にトゥーリズムに内属化されてたのだろうけど。

https://t.co/RVUcyMgLdm

 

柳宗悦主導の「民藝運動」は一言でいえば「無名性の擁護」であり、それは共同的な「アイヌ」や「沖縄」という記号に支えられている。「作者不詳」を指示することこそがデカルト経由の近代美術の立場だったが、「民藝運動」では個≒作者は完全に消去される。

 

■なのでこの展覧会に行った者は「(作者であるところの)アイヌの(未知の/不可知の)○○さん」を意識することなく、すんなりと柳宗悦と芹沢銈介の名前を覚えて帰ってしまうだろう。

 

■しかし、アイヌの工芸と言えば、「鮭をくわえた熊」でしょう!うちにもあったが、この記事(女性自身)
……https://t.co/3BQnMRxx99

 

■今になって(ググって)柳宗悦の顔を知るが、「なんと人の良さそうな…」という感想。

 

■まあ、しかし実際展示されていたものは(素朴に)「見てよかった」というものだった。種類としては衣類のハンテン、食器、ヘラ、煙草ケース、刀を携帯するストラップ、首飾り(ネックレス)だった。ここは「民芸館」であり「美術館」ではないのだ。(博物館でもない)。

 

■宗悦の息子、柳宗理デザインの台所用具とかは知っている人多いと思うけど、宗悦の仕事を誰かが語ったところはリアルで聞いたことない。こちらも話す相手がいない。

 

 

 


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この一画のみ写真撮影可


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もともとは白樺派のたまり場だった柳邸。


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首飾りは重量感を感じさせるものだった


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刀を水平にさしこんで携行するためのストラップ。気狂いの動物たちと戦っていたのか?


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本館前にたたずむ石碑(裏)


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石碑(表)


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出た!日本財団


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お土産に買った菜箸。菜箸買ったの初めてかも。

 


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(付記)

たしかに柳はアリストテレス以降連綿と続く「美」や「美術」という概念に依拠しつつ民藝を考察し記述してきたが…