美術ノート 22

 

 

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■坂田一男展   東京ステーションギャラリー

 

 

六本木であったニキ・ド・サンファール展の射撃絵画からこの美術ノートをつけていない。そのあいだ上野でのデュシャン、府中での長谷川利行、木田金次郎、竹橋での熊谷守一、国立新美でのボナール、などなどに足を運んだ。ジョージ・ブクラーの「時のかたち」も刊行された。

 

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坂田一男は宇フォーラム美術館ではじめて知った。そこにでは岡山前衛美術協会(AGO)の記録写真を見ることができた。

 

 

抽象も具象も概念として成立していない時代時期から、しかし、〈観念としては〉「抽象」はあった。「具象」という対概念は常に「具体」や「具」や「実」としてあった。

 

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昨年の12月末に東京ステーションギャラリーから予約注文しておいたカタログが届いたのでパラパラと。表紙カバーが表紙を超えてるのは表紙カバーの手触りが凝っているからで、もし両眼がー見えなくなってもこのカタログは手触りで認識できるようになっている。

 

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あらためて思ったのは、人類史が獲得した「抽象画」という事件についてであり、人類はなぜ、こんな素晴らしくも馬鹿馬鹿しい、「抽象画を描く行為」を獲得し得たのだろうか?ということだった。キュビズムダダイズム、シュルレアリズムからアメリカ抽象表現主義を経て「ひたすら難解で訳の分からない絵画」もまた臨界点を迎えている(と、たやすく錯覚できるような)現在、坂田一男こそがその第一世代、いわば大祖父にあたるのだ、ということを強調しておきたい。

 

 

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