アンナ・カリーナが死んだ

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アンナ・カリーナが死んだ、ということをスマートフォンに頼みもしないのに届けられるニュースで知り、しばし途方に暮れていた。女優は女神に先行すべきである、とかあるいはその逆、女神こそ女優に先行すべきだ、とか、われながら答えのない、答えようのない 問いが霧のように頭上を覆っている16年ほどだったが、アンナ・カリーナの女神性は女優としての人生を閉じた今から各所で再検証されて欲しい。

 

もちろん多くの人がそうだと思うが1960年代、監督ゴダールにとってのミューズ(女神)でありながらもアクトレス(女優)であったカリーナの時代の映画を何回も何回も何回も観てのことで、スクリーンに投影されたカリーナの像、テレビ画面に映されたカリーナの像、脳内で再生されたカリーナの像、が幾度となく(東京にうんざりするほどいる女優ちっくな女にオーヴァーラップされながら)反復され、それは個的な現象ではあったが、こういう小品を私に作らせたりもした。(ほんの1年前のこと)。https://youtu.be/c_Fnm6YFFIMhttps://youtu.be/c_Fnm6YFFIM

 

その後、たまに、たーーんまに行くキャバレークラブ(キャバクラ)のお姫様やデリヘル嬢などをいくどとなくオレのミューズに仕立てあげようとするも散々に失敗し、(オレってやっぱりゲイなのd?かな?)と悩みもした、というのは嘘で別段悩みもなく、「べつにどっちでもいいんじゃね?」と、しかし、正直今は筋骨隆々の刺青腕の男に抱かれたい・・(笑・・だれとは言いませんが)。ことは確かだ。

 

最後にこの曲を。ゴダールの映画から「女の殺意」を読み取る時、必ず君の頭に鳴っていていてくれ。

青い便所でファックを!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

https://youtu.be/-Htpzvmnfww

(映像がジャマなので目をつむって聴いた方がいい、そして歌い方はビミョーにブリっててダサいことに気づく)