音像ノート1−−−映画探究のための



■音像ノート1−−−映画探究のための




(以下にアップロードするのは、2012年7月下旬より、Facebook上に記述したメモランダムの再録である。映画探究ノート、映像ノートと併せて読んでいただければ幸いである。)





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「真夏の暑さは・・・」スイスの湖畔べりの緑地を古風な芝刈り機や、小型のトラクターで整備している老年の庭師はつぶやく。「人間の理性がいかにもろいものなのか・・・教えてくれる・・。」こういった含蓄に富んだセリフに覆われた映画、そのサウンドトラック。正確なタイトルは『JEAN−LUC GODARD NOUVELLE VAGUE』 (ECM NEW SERIES 1600/01)である。音声トラックのみを2枚組みでCD化したものであり、かのECMからかつてリリースされたちょっと高価なものだ。なぜ、このディスクが彼のもとにわたっていたのか、どういういきさつかは思い出せない、つい先日、京都祇園のカフェ・オパールの店主夫人と電話で話していて、彼女によればそのとき店主のケンタロウは体調不良で寝込んでいるということだったが、当のCDを送ってくれないかと、打診をし、そしてつい先日、梱包されて送られてきたというわけである。1997年、リリース当時に購入し、1回か、2回は聴いたものの、彼に手渡したあと、すっかり忘れていたのだが、わが手元に回帰、ついさきほど、通して聴いてみて、少し、今後考察を加えねば成らない理論的スケッチのそのまたラフスケッチ、ということで10か15のメモをつづけて記しておかねばなるまい、と意を決した。だが、今日は無理だ。鰹節をけずらねばならない。明日の午後からは完全オフなので、随時メモを採録していきたい。





■ 記述0
さて、お昼を過ぎた。じつのところ、昼食はまだ摂っていないが、そろそろ記述をすすめてみようと思う。が、その前に、わたしが今部屋でかけっぱなしにしているディスクについてのリンクを貼っておこう。ページ、中あたりのものだ。
http://homepage3.nifty.com/musicircus/ecm/e_new/timeline/1997.htm





■ 記述1
JLGの『ヌーヴェル・バーグ』は、1990年に封切られた。京都駅の脇にあったルネサンス・ホールで観、ヴィデオ・カセットで繰り返し観、BSチャンネルで特集されたその映画、ゴダール村上龍がヨーロッパの一角のカフェで対談した、その映像も観た。スイスの紳士の口元、その葉巻から噴流する煙、・・・「ゴヤの絵が飛行機で運ばれてきますよね・・・あそこがすばらしい・・・一体、何が起こっっているのかわからない・・・ただ、イマージュだけが・・」そんなことを極東に浮かぶ島国の小説家は・・・つまり、わたしが住んでいる、島国の元代表的小説家は・・ダイアローグのなかで、ぎこちなく言ってみせた。今は何をしているのだろう、(彼女が監督した映画をついに観ることはなかったが)風間詩織なんかが寄稿してた『カイエ・デュ・シネマ・ジャポン』1号で、『ヌーヴェル・バーグ』の特集がくまれている。手元のマテリアルの奥付を確認してみれば、1991年7月15日発行だから、今から約21年前のことだ。いわゆる9・11もまだ起こっていない、3・11も起こっていない、1・17阪神大震災も起こっていない、1990年。・・・20世紀の最後のディケイドの開始を告げるにふさわしい映画だったのかどうか、わたしには判断する能力はないが、ここで、唐突に断言させてもらうと、わたしはこの『ヌーヴェル・バーグ』がとても好きだ、とだけ言っておこう。だからこのCDもなんの躊躇もせずにレジスター(おそらく三条新京極にある十字屋の)にもってゆき、しばしば、『ゴダール全映画・全評論3』に所収されてある、手書きの撮影台本や撮影中のオフ・ショット、晩年のアラン・ドロンレマン湖畔にたたずんでいる写真などを眺めているしだいなのである。




■記述2
昼食を摂り、横になっていたら、眠ってしまった。寝起きに洗顔し、パピコ(オレンジシャーベット味)を食べておえて、20分くらい経つ。さて、わたしが1999年あたりから漠然と考えていたのは「音像」という概念である。なぜ、この概念が(たとえ、ぼんやりとであれ)脳裡を掠めたのかといえば、もはや正確には思い出せない。当時は音楽家との付き合いが多少あり、その一部のなかで「音像」というヴォキャブラリーが使用されていたように思う。MTRがカセットテープからメモリーの書き込みに以降しはじめ、DATがとうとう古いメディアになった時代であろうか、しかし、音源をCD−Rで複製したりは、まだできなかった、そんな時代である。打ち込みのミュージシャンが雨後の筍のように出現し、「楽器を扱えなくても誰でも音楽ができる」という楽天性に彩られた「気分」がいよいよ支配的になったとき、どうやら「映像性」を喚起させるような「音」というかなりざつなニュアンスであるが、そういったおぼろげな概念もまた、ちらほらと散見されるようになってきたのだ。





■ 記述3
音像なる概念はなにも著名なミュージシャンが口にしていたわけではない。場末のミュージシャン、少し知的で、少し色気のある、しかし、どこにでもいそうな感じの自称ミュージシャンだった。わたしは、「音像」なる概念がどこからきているのか定かにしたい、という知的な欲望がすくなからずあった。そこで、あれこれと資料をあたってみた結果、ジグムント・フロイトの初期の論文にその語を見出すこととなった。邦訳出版では全集内、そして『失語論』(平凡社)のなかで確認することができる。失語論文においては、映像の認識、音声の認識、言語の認識を人間の脳のなかでおこなうとき、必ず「音像」を媒介せねばならない、というものであり、当時のヨーロッパのヒステリー患者をモデルにして、推察された思考実験の帰結である。むろん、いうまでもないが、このフロイトの論及は、大脳生理学的に実証(実体化)されるわけではなく、(あの、何回見ても、ああ、これか、とうんざりする)<脳の図>に書き込まれるべきものでは決してない。音像は、物質的に客観化、視覚化されるものではなく、フロイトの独自性の抽象的概念装置であり、それはあくまでも、位相構造的に捉えられた「仮説」なのである。位相とは何か、位相構造とは?これに関しては数学をモデルにすればよくわかるが、たとえば「0」という数字がなければ、その他の実数、自然数虚数さえも成り立たないという意味での「0」である。この場合、「0」は想像的な対象であり、また、想像的であることによってのみ、実体的に機能するという数字である。人は「0」を無いものとしてしか知覚できないが、それはすでにして、「0」を仮説的に有るものとして、位相的に(かつ様相的に)捉えることと同義である。音像とはまさしく、この「0記号」のようなものではないのか、というのが、当時の(そして今の)わたしの主要なプロブレマティークであり、およそありとあらゆるすべての映画をトランセンデンタルに観察した際に要請される概念装置でもあった。アクション、感情、サウンドトラック、モンタージュ、物語、説話・・・etcなどと言う以前に、「まずは音像である」というわけだ。いうまでもなく、ゴダールが1970年末より提示していた「SONIMAGE」(フランス語son 音とimage 映像の合成語)なるヴォキャブラリーも、一見「音像」概念に近似するものとして、把握することができるが、ゴダールが、そこまで理論的に消化しているのかどうかは疑わしいところである。




■ 記述4
ゴダールは、たしかに20世紀において偉大な映画作家であるが、いまなお、ゴダールの模倣をしてもしかたがないし、ゴダールを避けて、物語映画だけを作るというもの大して面白い結果を生まないし、そこには関心がない、というのがわたしの意見である。





■ 記述4
少々、愚痴を言わせてもらうと、たしかに、蓮実重彦は、ゴダールの映画を日本に紹介し、そしてゴダールの著作関係を翻訳した、という意味では大きな功績があるが、佐々木敦が登場し、平倉圭が登場したあたりに、結果的にゴダールをシニカルに捉える方向に行ってしまった。少しゴダールを小馬鹿にするような調子になったのだ。しかし、それこそが決定的な「老い」であり、致し方のないことかもしれないが。





■ 記述 4
もうすこし愚痴をつづけていうと、映画監督が自作をノヴェライズする時期がそうとう長くつづいたが、わたしにいわせると、それは「文学への加担」であり、映画の弱さをますます弱くしてしまった、という結果にしかならなかったということだ。最近では西川美和、古くは河瀬直美である。ラノベなどの勃興によって、文学もそうとう弱体化してきて、弱者と弱者が手を組み合って、少しでも強くなりたいという、情けない構図がそこにはあったと思うのだが。青山真治もまた、そうであるが、もう小説など書くのはやめたほうがいいだろう。バンドをやって派手に儲ければいいと思うのだが。





■記述5
さて、CD『ヌーヴェル・バーグ』に話を戻すが、わたしがこれを聞きなおしたいと思い立ったのは、その音源のすばらしさもあるが、ライナーノーツに「盲目の詩人」がテキストを寄せていたことを思い出したからだった。だが、確認したところ、盲目の詩人ではなく、たんに盲目のゴダールファンであるようだ。名前は、クレール・バルトリ(Claire Bartoli)であり、原文はドイツ語である。「盲目の詩人」はわたしの思い込みであった。いま気になってグーグルで検索したが、動画がいくつかヒット。この人だと推察した。なぜなら、動画のコメンタリー(画面下部にある)に<française non-voyante, en spectacle>とでており、 non-voyanteでおそらく<光のない>とか<盲目の>とか、そういう意味になると思われたからだ。ヴォワイアンは、たしか、見るの動詞vouから派生した<見者>だったように思うが、わたしはフランス語能力は絶無なので、あくまでも推察である。女性であるが、コメディエンヌかなにかだろうか。よくはわからないが、このクレール・バルトリが、膨大な量の、そして感動的なライナーノーツを寄せているということだ。リンクを貼っておきます。(http://video.excite.co.jp/player/id=8cce61f62e8a3dc6&title=Claire+Bartoli%2C+conteuse+-+France





■ 記述5
記述3に戻して、少し補足しておくと、「映画と音像」というプロブレマティークは、ヨーロッパの思潮を移入しただけの「映画記号論」とは少し違うということである。「音像」は「記号以前」の知覚の出来事性であり、逆にいえば、知覚を知覚として成立させるものである。映画だけに適用してはいけないし、また、映画の認識においては欠かすことのできない媒介概念である。たとえば、クリスチャン・メッツや浅沼圭司などもわたしは若い頃に通読したが、「少し、退屈だ」という感想しかもてなかった。「シニフィアンの優位」ということだけ理解しておけば、「映画を見た」ということになんの支障ももたらさないのである。






脱線するが、学生の頃、視覚障害者の施設に取材をしにいったことがあった。京都市北区にあるライトハウスというところだが、映画を撮る者として、視覚障害者の人々の意見を聞きたいと思い、実践に移したのだ。そして、それを映像におさめたいということで、職員の方と、お話する機会を設けた。最初に見せてもらったのは、小学生高学年くらいの全盲の子供で、先生がピアノを弾いて、それにあわせて踊る、という教育現場だった。建物のなかに、そういう音楽ダンス室みたいなところがあって、わたしはほんの30分ばかり、床に腰掛けて見ていたのだが、それはそれは感動的だった。子供がのびのびとしている、その躍動感がふつうの子供とはちがうのではないか、という感動であり、ピアノ曲のすばらしさや、窓から入ってくる光の様子や、そういう全体的な雰囲気の官能性だった。
後日、お子さんたちのお母さんとも話したが、「本人が見れないのだし、やはり撮影はやめてほしい」ということだった。撮影はしないことにした。わたしは、あの全盲の子供たちのダンスを見れただけで、満足してしまったのだろう。いまになってみれば、お母さん方の意見をもっとドキュメントしておけばよかったと思わないでもないが、それにしてもいい思い出である。






ひとつ、大きな枠組みとして伝えておくと、映画を知ろうとなれば、非−映画を知ることなしに、それは完遂できないということである。それは映画にとっての、THE GRATEFUL OTHERNESS 「大いなる他性」であり、「絶対的な他者」である。すぐれた考察はこの視点なしには起こりえない。
まさに男にとっての女であり、子供にとっての大人であり、生とっての死であり、他殺にとっての自殺であり、快楽にとっての苦痛であり、映画にとっての非−映画である。あまりにも、そして永続的に自明化するであろう映画にとっての「見る」や「聴く」を徹底的に懐疑に晒すということであり、全盲や聾唖、そして失語、などのトピックをも考慮にいれて検討することが必要である。ゴダールが、この<映画−生理レベル>での絶対的な次元の考察に突入したのが、『ヌーヴェル・バーグ』であり、その後、『JLG/JLG』での盲人に関する考察に移行する流れになる。






さきほど、<・・・THE GRATEFUL OTHERNESS 「大いなる他性」であり、「絶対的な他者」・・・>と申し上げたが、この他性は2つか3つのレベルで検討しようと思う。生理学的には「映画を見れない」ことが「映画を見る」ことの絶対的他性であるが、これは、いささか非現実的でありすぎる。一定の次元を省察して、きりあげたいと思う。そして、時間をかけたいのは形式のことである。それは「映っている内容」を抜きにして映画を考えた場合にどうしても必然不可避の輪郭が残るということを前提とすることであるが、先日ノートをとっておいた「スコアとしてのシナリオ」をより詳細に追求していくためのメモになるだろう。






前者と後者は一見まったくかけ離れたトピックのように思われるかもしれないが、実のところ、生理学的他性を追求したところに残余としての形式が発現するのではないだろうか。というのがわたしの意見である。





繰り返しなるが、音像は非−実体的である。だが、われわれは映像と音響を実体的に捉える。それが可能なのは、<音像>を媒介しているからである。というのがかねてよりのわたしの意見で、そのロジックのだいたいの骨格は雑誌に寄稿したが(sagi times 2号)、もうずいぶん前のことである。




(2012・8・3 はてなダイアリーに再録)