絵画制作ノート 2

あれもこれも やりたい というのでは ダメだと思うし 別にいいとも思う 

 

そういうことではない  そういうことではないのだ 

 

画材屋 という媒介項があり なにもかも揃っているように見えるけど それらは 芸術を限定的に 捉えやすいように 誂えてある

 

そこは良くも悪くも  豊かな世界へと向かうよう +のオーラを放っているが  先行する クリエーションの 盲目的善 イデー  懐疑の目を向けるのに たやすい 芸術のイデー 

 

多角的アングルの必要 

絵画制作ノート 1

アトリエといえばかっこがつくが そういうところを
借りることになった 漠然と 大きな絵を描きたいという思いがあり 途中で大きくなくても構わないということになるかもしれないが 試作品も含めて 10枚くらい描くだろう

思いつきはバラバラで 昨日の思いつきと今日の思いつきとでは すでにズレがあるのが 通常 それらは やはり言語(認識)の作業になるが メモ程度に書きとどめておきたく この 絵画制作ノートを 開始することにした

ソロキャンプノート 2


最近考えているのは キャンプの思想 日本語でいうと 野営 になる おもに家と呼ばれる 建造物(構造物)に 住む ということが不可能になった時 人は野営せざるを得なくなるだろう 野営とはなにか 第一に 生命のプロセスを 自然的の条件(所与…given) にみあったかたちで 続行させてゆくことだ 生きたい とか 死にたくない とか そういう本能レベルに直面した状況下において 各自が生命のプロセスを 意識することになる これは 一方でサヴァイバル とも呼ばれるが camp 野営 も 多分に サヴァイバル的要素があるということを あらかじめ 前提している その前提は ディシプリン 訓練 の 身体 を 呼び覚ますことになるだろう 

ソロキャンプノート 1

先日 多摩川べり 正確にいえば 調布市にある日活の撮影所から南方向すなわち川べり方向に歩いて10分くらいのところで ひさびさに ソロキャンプをおこなった あたらしく購入したものがあったので それらを試してみる機会だった


まずはiwatani の クッキングバーナー これはよくあるカセットコンロのガスボンベでも使用できるもので なにより ボンベがコンビニであつかっているのがありがたい(1本250円くらい ちなみにカセットガスボンベに世界標準規格はまだない) がiwatani製のガスボンベでないと セッティングできない 他メーカーのものは使えない 行く前に部屋で 試してみたが 音がヴォーと じゃっかん うるさいが 垂直にシュッと勢い立つ青い火には 頼もしさを感じる つぎにキャプテンスタッグの キャンプ用のミニテーブル これはamazon でもっとも売れているもので コンパクトに折りたためて持ち運びに便利だ 構造もしっかりしていて 頼もしい つぎに スノーピークのクッカー スープや煮物 それにごはんも炊けるアルミ製の寸胴型のものと 寸胴の蓋もかねた アルミ製のパン この三つをためしたかった 


秋は食べ物がおいしくなる まあ年中おいしいのだが とくに 野外で食べるもののおいしさが増すので お酒のアテに肉でも焼いて食べようと 近くのスーパーでまずは買い物をした 料理用の水 食用の肉(豚ロース) バラ売りの野菜(にんじん たまねぎ ながねぎ)小瓶入りのオリーヴオイル 固形のコンソメ デザートのヨーグルト 個別パック入りのコーヒー そしてお酒 など(キャンプ用のケトルも持っていった) あと基本調味料(ライムソルト フライドガーリック 胡椒 七味)などは持参してきていた


まずはざっと下見してから場所を決める これがなかなか難しく 時間帯 人の寄りつかなさ 日照条件 など いろいろなかねあいで決定する 多摩川の各所に芝生の広大なプレイグラウンドが設定してあるが グラウンドと川の間に必ず 野生の地帯があり草 土 石 などがめだつ そんな場所でキャンプをおこなうことにした 下見をすませて スーパーに買い物に行く このときに忘れてはならないのが ダンボールの調達 敷物に使うため マットの類がかさばるので ダンボールで代用 それをもらい 現地に戻って セッティング 


ソニーNFC搭載のブルートゥーススピーカーを持っていってたので適当に音楽を聴きながら 腹ごしらえのため 準備をする
まな板を忘れたので スーパーの棚に置いてあった紙製のパンフレットみたいなものをもらってきてそれを代用した 紙だから問題はないだろうという楽観的な姿勢 (ちなみに牛乳パックはまな板がわりになるそうです)


パンで豚ロース 小刻みにした野菜類を焼く バーナーの燃焼面積 燃焼勢力のかんけいだろうか焼け方が局所的になるのでそこがむずかしく 具材をおきっぱなしにできない ひっきりなしに箸をうごかして せわしないことこの上ないが それもまた楽しい 煙がもうもうと出て 近くの子供が騒ぎ出す しつけがいいのか 必要以上に寄ってこない 遠くからサックスの練習の音 


雲行きがそうとう怪しかったが まあもつだろうと 続行する 焼肉を食べ発泡酒をのみ 音楽を飽きるまで聴く これだけで満たされてしまい もう なにも求めるものがない しいていえば 食後の運動だろう が 運動もめんどうなのでずっと寝そべって そのうち 眠ってしまった







  

"【絶品レシピ】ザリガニを食べてみた!ザリガニビスク!Eat Crayfish【サバイバルクッキング】" を YouTube で見る


【絶品レシピ】ザリガニを食べてみた!ザリガニビスク!Eat Crayfish【サバイバルクッキング】 - YouTube

考古学 ノート

 

 

 

 1 

 

 考古学が 扱うのは まずもって古い物質 古い物質について考える というリテラルな意味の共有 しかし古い物質それ自体の存在のみ では学問として成立せず たとえば 国文学全般をリファーして 遺物(のこったもの)の自己確証が 該当すれば国文学と 古物体 との相互関係系列がスキャン可能なもの として 存立する  また 捨てる という行為が ゴミの存在との連続性を保証するのは古今東西の普遍性があると思う そして のこったもの は のこすべきものでは 必ずしもない たんなる物体への注視(2016 8 4)

 

2

考古学の限界があるというよりも 考古学そのものが 限界なのではないか  考古学って ペダンチック過剰 という意味で ジェネラルな批評を恐れている 恐れつづけている そこに考古学の 退屈さ 保守 がある(2016 8 7)