ソロキャンプノート 2


最近考えているのは キャンプの思想 日本語でいうと 野営 になる おもに家と呼ばれる 建造物(構造物)に 住む ということが不可能になった時 人は野営せざるを得なくなるだろう 野営とはなにか 第一に 生命のプロセスを 自然的の条件(所与…given) にみあったかたちで 続行させてゆくことだ 生きたい とか 死にたくない とか そういう本能レベルに直面した状況下において 各自が生命のプロセスを 意識することになる これは 一方でサヴァイバル とも呼ばれるが camp 野営 も 多分に サヴァイバル的要素があるということを あらかじめ 前提している その前提は ディシプリン 訓練 の 身体 を 呼び覚ますことになるだろう 

ソロキャンプノート 1

先日 多摩川べり 正確にいえば 調布市にある日活の撮影所から南方向すなわち川べり方向に歩いて10分くらいのところで ひさびさに ソロキャンプをおこなった あたらしく購入したものがあったので それらを試してみる機会だった


まずはiwatani の クッキングバーナー これはよくあるカセットコンロのガスボンベでも使用できるもので なにより ボンベがコンビニであつかっているのがありがたい(1本250円くらい ちなみにカセットガスボンベに世界標準規格はまだない) がiwatani製のガスボンベでないと セッティングできない 他メーカーのものは使えない 行く前に部屋で 試してみたが 音がヴォーと じゃっかん うるさいが 垂直にシュッと勢い立つ青い火には 頼もしさを感じる つぎにキャプテンスタッグの キャンプ用のミニテーブル これはamazon でもっとも売れているもので コンパクトに折りたためて持ち運びに便利だ 構造もしっかりしていて 頼もしい つぎに スノーピークのクッカー スープや煮物 それにごはんも炊けるアルミ製の寸胴型のものと 寸胴の蓋もかねた アルミ製のパン この三つをためしたかった 


秋は食べ物がおいしくなる まあ年中おいしいのだが とくに 野外で食べるもののおいしさが増すので お酒のアテに肉でも焼いて食べようと 近くのスーパーでまずは買い物をした 料理用の水 食用の肉(豚ロース) バラ売りの野菜(にんじん たまねぎ ながねぎ)小瓶入りのオリーヴオイル 固形のコンソメ デザートのヨーグルト 個別パック入りのコーヒー そしてお酒 など(キャンプ用のケトルも持っていった) あと基本調味料(ライムソルト フライドガーリック 胡椒 七味)などは持参してきていた


まずはざっと下見してから場所を決める これがなかなか難しく 時間帯 人の寄りつかなさ 日照条件 など いろいろなかねあいで決定する 多摩川の各所に芝生の広大なプレイグラウンドが設定してあるが グラウンドと川の間に必ず 野生の地帯があり草 土 石 などがめだつ そんな場所でキャンプをおこなうことにした 下見をすませて スーパーに買い物に行く このときに忘れてはならないのが ダンボールの調達 敷物に使うため マットの類がかさばるので ダンボールで代用 それをもらい 現地に戻って セッティング 


ソニーNFC搭載のブルートゥーススピーカーを持っていってたので適当に音楽を聴きながら 腹ごしらえのため 準備をする
まな板を忘れたので スーパーの棚に置いてあった紙製のパンフレットみたいなものをもらってきてそれを代用した 紙だから問題はないだろうという楽観的な姿勢 (ちなみに牛乳パックはまな板がわりになるそうです)


パンで豚ロース 小刻みにした野菜類を焼く バーナーの燃焼面積 燃焼勢力のかんけいだろうか焼け方が局所的になるのでそこがむずかしく 具材をおきっぱなしにできない ひっきりなしに箸をうごかして せわしないことこの上ないが それもまた楽しい 煙がもうもうと出て 近くの子供が騒ぎ出す しつけがいいのか 必要以上に寄ってこない 遠くからサックスの練習の音 


雲行きがそうとう怪しかったが まあもつだろうと 続行する 焼肉を食べ発泡酒をのみ 音楽を飽きるまで聴く これだけで満たされてしまい もう なにも求めるものがない しいていえば 食後の運動だろう が 運動もめんどうなのでずっと寝そべって そのうち 眠ってしまった







  

考古学 ノート

 

 

 

 1 

 

 考古学が 扱うのは まずもって古い物質 古い物質について考える というリテラルな意味の共有 しかし古い物質それ自体の存在のみ では学問として成立せず たとえば 国文学全般をリファーして 遺物(のこったもの)の自己確証が 該当すれば国文学と 古物体 との相互関係系列がスキャン可能なもの として 存立する  また 捨てる という行為が ゴミの存在との連続性を保証するのは古今東西の普遍性があると思う そして のこったもの は のこすべきものでは 必ずしもない たんなる物体への注視(2016 8 4)

 

2

考古学の限界があるというよりも 考古学そのものが 限界なのではないか  考古学って ペダンチック過剰 という意味で ジェネラルな批評を恐れている 恐れつづけている そこに考古学の 退屈さ 保守 がある(2016 8 7)

 

マニフェスト用テキスト断片 英訳サンプル

🌑1
手当たり次第に朗読する
Recite at random
🌑2
手当たり次第に引用する
Quote at random
🌑3
ラディカルな姿勢を崩さない
Do not disturb the radical stance
🌑4
組み替えられた映像
Recombined video
🌑5
想像力を抑止する映像
Video to suppress the imagination
🌑6
われわれは別のやり方で別の映画を作る
Make another movie in a different way

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放送大学 西洋音楽史講義 関連ツイート 2

rajikoで 放送大学 音楽史講義 聴き終え
ロックはエルヴィス・プレスリー に回帰する という命題を 再回帰させると 
その命題は ストラヴィンスキー春の祭典 の 終楽章に回帰する という二重命題スパイラル

ドビュッシーガムラン発見は パリ万博でのことだった と知って なんだ そんなものだったか と それは最初からマーケティングに組み込まれるしかなかった の では


パロディとアイロニーが ないまぜになったストラヴィンスキー新古典派時代の曲がかかり ラディカルさ を考えなおすきっかけとなる radiko西洋音楽史講義
次回が最終回らしい


トータル・セリエリズムのような ほとんど 誰も 聴きたがらないような曲を あえて つくり 発表するのを 拒否 回避するのではなく まずは単純なヒューモアとして 受け入れることのほうが 音を楽しむという根源に 近づけるだろう


西洋音楽史講義 第15回 聴取 ●さいご コルンハルド スタイナー ロータに至る映画音楽に触れたあと 現在は【 前衛と娯楽の深刻な分裂 】 ということばでしめくくり 西洋音楽史というカテゴリなので おのずと 第三世界フォルクローレ エスニック 民族音楽は 扱われない




後期ストラヴィンスキー アゴン と トータル・セリエリズム の代表曲 ブーレーズの 構造1 構造 2 2台のピアノのための構造 を 聴取 パロディー/アイロニー/ロマン という 操作も ヒューモア という 反操作の操作も どちらも 死にものぐるいだと いう 感想


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放送大学 西洋音楽史講義 関連ツイート1

rajiko 放送大学で ロマン派音楽 についての レクチャー 半音階の多用が 感情の曖昧さと結びつく時代 それらは 曖昧さ回避としてのサロン音楽 過剰装飾≒サロンのゴシック的と要素との強固な結びつき に
対抗するものとして


ワーグナーはオペラの台本を外注せず 自分で書いていた


なんとなく リヒャルト・ワーグナーが当時ヨーロッパに与えた影響(ニーチェも含めて)ということをかんがえていると ドイツ・ロマン派の文学 シュレーゲル、シャミッソー、ノヴァーリスあたり を読みなおしたくなり もするが 書店の前まできて 入るのが面倒になる



というのも ワーグナーから受けた 影響 ということでいえば 最重要なのは ドビュッシーで 実際 ドビュッシーワーグナーらしさ ということを注意しながら聴いていると 汲み尽くせない 想像力が掻き立てられもする



ワーグナーとドイツ・ロマン派 及び 初期ニーチェ と結びつけて考えることはなにかを隠す サロン音楽上がりのドビュッシーが 実はワーグナーの影響から出発していて そこから後期ロマン派 初期シェーンベルクを経由して不協和音重視の 現代音楽へと発展していった経緯がある


順番でいえば

ドイツ・ロマン派→ワーグナー→後期ロマン派→ドビュッシー→初期シェーンベルクヴェーベルンによる切断→いわゆる無調音楽→イタリア未来派→ノイズ・アヴァンギャルド


+無調音楽のはじまりはベートーヴェンの難聴とも関係ある


哲学史になぞらえると 

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